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2019年04月19日10:09

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【1990年4月】会社の創立記念日に京都・奈良を旅する

京都を訪れるのは高校の修学旅行以来4回目、奈良は同じく修学旅行以来3回目でした。京都は前年3月の卒業旅行で四国を回る途中に一泊して回り、奈良は前年4月に四日市での新人研修の帰りに近鉄特急で寄った時以来です。会社の創立記念日が4月10日で休日なので、9日月曜に有休を取って四連休にして、修学旅行と同じ京都・奈良の三泊四日の旅を計画しました。ユースホステル会員になって二年でしたが、以前宿泊したことのないユースを開拓すべく、人気の郊外の宇多野YHではなく繁華街の東山YHを予約、その後は奈良YHと山の辺YHを予約しました。

旅の前日の4月6日金曜には職場の宴会がありました。前年に入社して初めての新年度ですが、同期三人でのビールの一気飲みを強要されたのは当時の普通の宴会模様で酒宴は乱れまくり途中からの記憶がないのでした。独身寮に戻ってから、バブル期の国際交流の一環として来日して半年になるアイルランド人研修生二人に明日京都へ旅行すると話したことは微かに記憶に残っていました。4月7日の朝、二日酔での出発は7時半でした。東京発の新幹線に乗り込んだのは9時半、この時は天気が良かったけれど静岡県内からは雨でした。

京都駅の食堂街でウナギを食べた後、地下鉄で今出川駅まで北上。コインロッカーに荷物を預け、東へ歩いて鴨川を越えました。雨が降っているのに傘を持っていなかったのでファミリーマートに寄って580円のビニール傘を購入。傘を忘れた旅行者は珍しくなく、目の前で立て続けに傘が三本売れています。京福電鉄で鞍馬へ行くつもりが、気が付いたら出町柳駅をかなり通り越していましたので予定を変更して哲学の道を歩くことにしました。

哲学の道は桜が満開で見頃です。緑色の混じった花や葉っぱと一緒に咲く山桜など種類も豊富です。法然院と永観堂に立ち寄りました。永観堂の回廊を歩いて寺院らしい静かな雰囲気を味わいました。南禅院は何かの行事で拝観できなかったので、南禅寺の広い境内は歩いて通り過ぎるだけでした。花冷えで雨も降って体を冷やしたせいか喉の調子が悪化しはじめました。一ヶ月前に喘息の発作止めの吸入薬を筑波メディカルセンター病院でもらっていたのですが、カバンの中に入れたままコインロッカーに預けてしまいました。喉の具合が悪化して息苦しさが増す中で平安神宮を回りました。中国風の赤く壮麗な建物を三枚連続のパノラマ写真として撮影しました。庭園はしだれ桜が見頃を迎え、雨がひっきりなしに水面に落ちる池の風景も水墨画のような雰囲気を感じさせました。

喉の具合がますます悪化したので平安神宮の目の前でタクシーを拾って退散、今出川駅へ直行、コインロッカーに預けたカバンから吸入薬を取り出して発作を治めることができました。かなり楽になりましたが発作による酸欠状態のためかしばらく頭痛が続きました。京都の一日目は慌ただしく過ぎていきます。宿泊は東山ユースホステルで、当時は目の前を京阪の路面電車が走っていました。

東山YHは京都の市街地に中心に近くてきれいですが、食事の内容は大学の学食や社員食堂並みで大して良くはありませんでした。宿泊者は日本人より外国人が多く、オーストラリア、フランス、ドイツ、韓国と多岐にわたっています。夕食の時、隣の席のフランス人とフランス語で会話を試みましたが、相手の言うことはいくらか判ったもののこちらからは言葉が上手く出なくて、英語に切り替えました。生物学の勉強のために日本の会社に来ているそうで、サキソフォンの練習を始めたところだそうです。

ドイツ語の語学力はフランス語以下なのを思い知りました。デュッセルドルフ近郊から来ているオバサンが二人、一人はオーストラリア人の女の子を相手にドイツ語の教授を始めました。動詞の活用に代名詞の格変化まで丁寧に表を作って教えていますが、復唱する生徒さんの様子はたどたどしくて、私のドイツ語能力の方が上かも知れません。

韓国人の若い女の子数人のグループは大阪で開催中の花博帰りで、今日明日は京都、明後日は東京国際YHを予約したそうです。これからの予定について盛んに話し合っているようです。一人は日本語を多少話せましたが、他は英語が少しできる程度なので、日本語と英語を代わりばんこに使ってのたどたどしいコミュニケーションとなりました。日本語で説明し始めると「スピークイングリッシュ!」と言われたりもしました。

外からは京福電鉄の路面電車の通過する音が盛んに聞こえてきてBGM代わりになりいい雰囲気ですが、いろいろ規則のうるさいYHのようです。食堂では高齢のペアレントが「ヘルパーさん、なにやってはるんや?」と罵声を浴びせているのを耳にしました。消灯時刻が早くて、まだ夜はこれからという時に事務的に談話室の明かりを消されて追いだされてしまったので居室へ戻り、二段ベッドでカーテンを閉めて旅日記をしたためたのは10時45分でした。廊下のベンチには電気を消されてもめげずに小声で会話を続ける人が残り、英語も聞こえてきました。

翌4月8日(日)は6時前に目が覚めました。起床を呼びかける放送も決められた時刻通りに流れました。韓国人のぼってりした女の子がウォークマンに入れた音楽を聞かせてくれました。中身はQueenの「ボヘミアンラプソディー」とムーディーブルースでした。古いロックが大好きでレッドツェッペリンも好きだそうです。千葉県出身だという若い日本人の女の子が外国人と英語で話をしていましたが、「Boyfriend but not boyfriend」という表現は「友達以上恋人未満」のつもりのようです。私と同年代と思われる病院勤務の女性は大原へ出かけるそうです。農業に従事しているという若い男がいて、農薬もじゃんじゃん使いますよ!と言っていました(私は農薬探索のラボで仕事をしていました)。朝食のテーブルは1969年生まれの女の子と1936年生まれのオジサンと同席しました。オジサンは京都の見所に詳しいようですが、若い女の子を誘うのは遠慮していました。京都の古い街並みが残るのはどのあたりか教えてもらいました。

雨が降る中7時半にYHを出発しました。知恩院へ向かいましたが、入口に傘と靴を置いてきてしまったので、庭園に降りられなくなって拝観料の元が取れなくなりました。その後、一念坂、二年坂、産寧坂と民芸品の店だらけの通りを歩き、京都の風情のある街並みを味わっている気分になれました(後に京都散策の定番コースの一つとなります)。清水寺は工事中と聞いていたし、混雑が予想されたので拝観は省略して京阪電車に乗り、出町柳で叡山電鉄に乗り換えて京都の奥座敷の鞍馬に向かいました。

貴船までの1時間のコースを歩きました。新緑の美しさを肌で感じているような心地よい空気が流れています。雨は上がっていましたが地面が濡れていて、普通の靴では少し歩き辛いようです。遊歩道を外れるとマムシや熊が出現するとオドシが書かれています。原生林の緑が美しく歩き甲斐は十分にありました。貴船に到着するとせせらぎが聞こえ、貴船川には小さな滝がいくつも連なって眺めが良く、新緑や桜とも調和して春らしい雰囲気に浸りました。叡山電鉄の貴船口駅の桜もきれいでした。東山YHに宿泊していた男子3名、女子1名のグループと合流して、京阪電車に乗って八坂神社から清水寺まで歩くことにしました。

出町柳駅のコインロッカーに預けた荷物を取り出そうとして背伸びした瞬間に左膝に鋭い痛みが走りました。急激な動作で筋を痛めたようです。一緒に歩く仲間には痛みは隠していましたが、まだ二日間ある旅路は左足を引きずりながら歩く羽目になりました。午前中に雨の中を一人で歩いた道を今度は仲間と一緒に歩くことになり、京都の東山の坂の風景に馴染んで新緑も心ゆくまで味わいました。工事中の清水寺も成り行きで参拝しました。清水の舞台は後に京都散策の定番コースになりますが、工事中のこの時が初めてだったのです。京都の市街地を眺め渡す風景は最高でした。さらに境内を一周歩いて清水の舞台を遠くから見た後、白川の流れる古い街並みに出逢えたのも収穫です。スナック街に隣接して簾を下ろした茶屋の並ぶ風景を眺め京都散策をすっかり堪能した気分です。

一緒に歩いた仲間と別れて一人旅に戻ったのは5時過ぎでした。京都散策に慣れたメンバーからのアドバイスに従って丹波橋で京阪電車から近鉄に乗り換えて奈良に向かいました。奈良に着いたのは6時半ごろ。奈良ドリームランド行きのバスの本数が少なくて、奈良ユースホステルには15分遅刻です。広くて清潔なYHでビジネスホテルのような雰囲気ですが、翌日が平日のせいか宿泊者が少なく、夕食も遅刻したこともありテーブルで一人でした。グループで宿泊しているのは韓国人の研修会だそうです。講師らしい韓国人の日本語が非常に自然で上手な若い坊さんと少し話をしました。日本語が達者な年配の韓国人が当時はまだ多かったようです。時期外れのユースホステルの雰囲気は寂しいもので、仕方なく10時半までロビーでテレビを見て過ごしました。居室には若い男が一人同室でしたが無口で大人しそうでした。その日の分の日記は居室のベッド(二段ベッドの上段)で書きました。

翌4月9日(月)は朝食のテーブルに一人旅の男5人がまとまって、同室の大人しそうな男も控えめながら話をして、ユースらしい会話の時間を少し持てました。髪の薄いオッサンはユース歴が5年くらいだそうです。韓国人の団体の他、女子大のコーラス部も合宿で来ていて、関西方面なのは言葉で明らか、平均年齢二十歳くらいで美人もちらほら見かけますが、団体では話しかけたりするのは難しそうです。

ユースを出発したのは8時頃です。同室の男は黙々とした一人旅に戻って歩いています。1年前の四日市の研修の帰り以来の東大寺の参拝に出かけました。大仏殿と三月堂をゆっくりと鑑賞しました。1年前は三月堂の諸仏に学生気分の抜けない心の中を見透かされるような恐怖を感じましたが、二回目の今回は多少気持ちの落ち着きもあり時間を掛けて鑑賞するゆとりもありました。若草山へ登ったのも一年前と同様ですが、昨日京都を歩いた際に左足を痛めていたので少し辛い歩きになりました。頂上から奈良市街を見渡す景色は若干霞んでいるものの素晴らしいものでした。この辺りにも鹿がたくさんいて、丸薬みたいな糞があちこちに散らばって全く踏まないで歩くのは不可能です。遠足らしい集まりが弁当を広げている景色をあちこちに見かけます。

近鉄の奈良駅付近でガイドブックにあった釜飯屋で昼食を食べた直後、すぐ近くのお好み焼き屋の良さそうなサンプルを眺めていたら、店員かアルバイトの若い女の子の呼び込みの愛想よさにつられて大阪風お好み焼きを一枚平らげる羽目になりました。JR奈良駅まで歩きました。この時初めて見たJR奈良駅の駅舎は石造りの社殿のような佇まい、周辺の雰囲気は長閑でスミレが咲いている花壇があちこちにありました。JRで法隆寺まで乗車しました。レンタサイクルがあるので足を痛めての法隆寺の参拝に重宝しました。修学旅行生の姿も目にしましたが、境内は静かで良い雰囲気で宝物殿と夢殿を一通り見学してきました。平日の午後は多少寂しいけれど一応は元を取った旅となりました。

この日の宿泊は、JRの単線区間の柳本駅から歩いて崇神天皇陵の近くの田んぼが広がる田舎にある山の辺ユースホステルでした。当時のユースホステル利用者は会員証が何よりの宝物でYHのスタンプをホステラー同士で見せ合うのも旅自慢の一つだったのですが、ここのYHはなぜかスタンプをわら半紙に押印して返してきて、あまりにもみすぼらしい旅の記念となってしまうので、旅から帰ってからスタンプを切り抜いて奈良YHでもらったスタンプ帳の補助カードに貼りなおし、仏像の眼前にちょうど上手く収まりました。

到着して二段ベッドの上段を確保してこの日の分の日記をしたためていたら、同室となる一名が到着。浜坂YHのヘルパーを務めてきた帰りだそうです。YH宿泊歴を話すと浜坂YHの他、高知県の定福寺YHを勧められました(どちらも後に宿泊、定福寺YHは真夏のお馴染み)。ユースの夕食はハンバーグがメインでYHの食事の定番だねと同宿者が言いましたが味は上々でした。夜8時頃にライダーの男が一名「飛び込み」で合流。川崎の会社員で潮岬YHに宿泊した後に白浜を回ってたどり着いたそうです。夕食の提供を断られたのでコンビニの弁当を買ってきています。ホステラーが少なくて寂しいので、田原俊彦の主演するクサいドラマ(いかにもフジ大映系だそうです)を見て過ごしました。

翌4月10日(火)は8時半にYHを出発しました。同室者に付き合って桜井までバスを使用、近鉄に乗り換えて飛鳥駅で下車。レンタサイクルを借りて二時間ほど田舎道を走りました。古墳の周りのなんでもないアスファルトの道を走り回って、のどかな春の空気を満喫するサイクリングとなりました。飛鳥寺に寄り、飛鳥大仏を拝観。1300年間も鎮座している大仏様について、年配だけれど声が非常に良く通るお坊さんが正座して大きな声で解説しました。飛鳥大仏様は左側では柔和なお顔、右側は厳しい表情をなされている所も拝見しました。写真撮影は自由だったと思いますが、なぜか恐れ多くてシャッターを押せませんでした。

飛鳥寺の後は石舞台古墳と高松塚古墳のあたりまで走りましたが、疲労もたまっていたので石舞台古墳の岩の重なりを外から撮影しただけで飛鳥駅へ戻りました。吉野へ向かう電車は花見客で満員の様子ですが、高田市からあべの橋までノンストップの近鉄特急「さくら」は空いていて快適で昨夜からの日記を車内でしたためる余裕がありました。あべの橋に12:23に到着したら街並みが賑やかすぎて奈良の田舎とのギャップの大きさに戸惑いました。阪堺電気軌道の路面電車が南に走っていて、古い車両に乗ってみたくなりますが左足を痛めて歩行が辛い状態なので開拓するのは諦めました。少し馴染みのある難波へ行き、黒門市場で「あそこ」のうどんを食べた後、更に道頓堀の「大たこ」でタコ焼き17個を平らげました。今回の旅行は体調面では、二日酔での出発、喘息の発作、左足の故障と良くないことだらけでしたが、食べ物は比較的恵まれていたようです。

堺筋線と阪急を乗り継いで京都に来て(阪急から京都駅までの経路が不明、四条から地下鉄?)、16:01発の新幹線に乗り、東京で寿司を夕食にして(回転寿司だったのかは今となっては不明)、土浦に着いたのは21時になっていましたが阿見町までの終バスには余裕で間に合ったと思います。会社の創立記念日だったこの日には、東京ディズニーランドに遊びに行った社員も多く、社内恋愛が露見したカップルもいたと聞きました。

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