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2019年04月03日10:46

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新元号「令和」について

皆様、おはようございます。


サラリーマン時代、28年間、商標管理に従事し、ネーミングの発案から、ネーミングが商標として使用できるか否かの調査、使用できれば、商標出願、中間処理(審査官からの拒絶理由通知に対する意見書の作成、その他の手続き)、登録手続き、更新手続き等々、特許や意匠と違って、商標を使用し続けている期間は、更新すれば、永久的に使用可能です。


ネーミングの発案を仕事として、多種多様にわたり従事してきたので、今回の新元号のネーミングの発表にも大いに関心を抱きました。


元号名は、商標法第4条(商標を受けることができない商標)の柱書で、商標の登録は、原則的にできません。


しかし、発表前から、長年使用されてきた商標で、著名になったもの、周知になったものは、識別性、顕著性を有するに至ったため、この限りではありません。


発表後の商標は、出願しても、商標法第4条の規定で、登録されません。


まあ、会社名を新元号として、商標出願(令和株式会社)しても登録はできません。


会社法としては登録できても、商標法としては、登録できないのです。


会社法では、都道府県内、あるいは市町村内、人口が集中しているところは、区の単位で、同じ名称の会社名は使用できないことになっているのです。


新元号「令和」は、商標として、全分野の商標を調査したら、外観や称呼、観念が、同一、または、類似が、多数存在するでしょうね。


商標的には、「令和」は、綺麗なネーミングで、奈良時代や平安時代の公家さんたちの姿を想起させる名前に映りますよね!!




さてさて、4月1日、11時40分頃、官邸の記者会見場で、官房長官から、元号「令和」とし、5月1日から施行するとの発表があり、90%の国民は、大歓迎している観を呈していましたよね!!


大歓迎している国民は、安倍政権の裏側が見極められない人です。


表向きには、新元号は、万葉集から引用し、今まで引用した中国(チャイナ)の古典からを退け、恰も日本の古典から採用し、日本国として、印象的に良くした観がはびこっています。


万葉集の元(基)を糺せば、中国に由来していることは確実です。


万葉集第5巻の梅花の歌32首の序は、歌人、大伴旅人が表し、東国などから徴発した防人を所管する大宰府の長官であったとされている。


万葉集の防人の歌は、農民達が出征途上で、防人に取られていく悲しみを、切々と歌ったもので、東歌で、素朴な東国の方言を使用して、大らかに生活を表現したものである。


太平洋戦争で、「今日よりは顧みなくて大君の醜の御楯と出で立つわれは」と歌われた防人の歌は、戦意高揚に利用されたのです。


「令」には、令息、令嬢、令室のように、良いとか美しい意味合いがあり、令和は、美しい和を想起させる観念があります。


また、「令」には、使役の意味合いもあり、下部(国民)は、上部(役人)からの命令に従え!!とも言っているように想えてなりません。


「和」には、昭和の郷愁も見え隠れし、同時に、安倍政権の主張している「積極的平和主義」も連想される観が否めません。


ここに、政治的な意図が隠されている、秘められていることに、気づけるでしょうか。


日本の平和のために、政権の命令を素直に受け入れて、憲法第9条の改変を受け入れよ!!と本音が裏側にあるのが判明出来るでしょうか。


表向きには、素敵な言葉(歌)で表現し、裏向きには、下心が垣間見えるのですから。


皆様、素直に喜んでいる場合ではないのですよ!!


安倍政権の推移を注視して、見守っていきましょうよ!!


真の平和に寄与するか否かです。


商標は、商標法第1条(目的)に、「商標の使用する者の業務上の信用の維持を図り、もって、産業の発達に寄与し、あわせて、需要者の利益を保護することを目的とする。」と規定されているのですから。


特許も実用新案も意匠も、目的は、「産業の発展に寄与すること」が規定されているのですから。


因みに、特許や実用新案、意匠の発明者、考案者、創作者には、出願や登録の報奨金は、会社として、特許管理部門から支給されますが、商標(ネーミング)は、誰でも容易に考えられので、出願や登録報奨金は、支給されないことが普通です。


私は、商標管理業務を28年間従事してきて、長年使用し続けて、会社のイメージ・アップ、商品の売り上げに、多大なる貢献をしたものは、報奨金を支給してあげてもいいのではないかと想い、提案しましたが、多大なる貢献をした案件がなく、不発に終わりました。


「令和」のネーミングの発案者が、公表されませんが、それはやむを得ないことでしょうね!!


ネーミングの発案者の理念よりも、使用者の理念の扱い方の如何の方が、怖い、恐ろしく想われて、仕方ないのですから。


私は、「令和」よりも、レイワの称呼を重んじれば、「礼和」の方がはるかにいいと想います。


「礼に始まり、礼に終わる」、日本の伝統的な「心」の観念が、「礼」に備わっているから。


皆様方々は、どのように、如何に、想われたことでしょうか。


感謝。

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