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2019年03月10日10:28

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信仰を辞めたい

クリスチャンへの疑問質問!コミュの「信仰を辞めたい」についてのコメントをメモ(記録)と致します。


柱書:

信仰を辞めたい

hide さんの内容

2019年03月06日 22:55


18歳でプロテスタントの洗礼を受けてから約30年になりますが、律法を守るのが嫌で辞めたいです。クリスチャン辞めるにはどうしたらいいか、誰か教えてください。



イイネ!
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コメント(232)






[232] モリオバッハ

2019年03月10日 10:16


>>[215] hideさん


おはようございます。


本件の課題について、適切な回答をされたコメンターがいなく、ガッカリされていることでしょうね!!


上記のコメンター達の誹謗中傷合戦大会を呈している情報記事を精査しても、得る知識はありませんでしたから。


貴殿の問題提議は、

Q1:クリスチャンを辞めるにはどうしたらいいか。

A1:クリスチャンになる前のスタンス(生き方&生かされ方の姿勢)&ライフスタイル(生活の仕方、生活習慣)に戻せばいいのですよ。




蛇足:


18歳で洗礼を受けられた時期は、「洗礼を受けるか否か」の判断能力が備わった時期なはずですから、決心されて、洗礼を受けることを選定され、30年間、クリスチャンとしてのスタンス&ライフスタイルを維持して、「歓喜のボランティア(奉仕)人生」を謳歌してきたはずなのですが、貴殿の様相を精査すると、クリスチャンとして、相応しくない、自分勝手の利己中の人生を謳歌してきてきた観が診られます。


その理由は、貴殿は「法律を守るのが嫌い」と自白され、貴殿のプロフィールを拝見させて頂きましたが、クリスチャン生活としてのスタンス&ライフスタイルが開示されていないため、折角洗礼を受けても、無意味な生活をしていたことが推察できるからですよ。


私は高校1年生(1963年)時に、近所の東駒形教会(賀川豊彦牧師が立ち上げたプロテスタント教会)に行きはじめ、「高校生のための聖書研究会」に、3年間参加し、受洗はしませんでしたよ。


受洗しなかった理由は、「主の祈り」や「使徒信条」に表現された記述内容(中身)が、自然法則(特許法第2条に規定)に合致していないことが判明できたからなのです。


「受洗するか否か」に関わらず、私は、3年間通い続けた「高校生のための聖書研究会」でマスター(学習)したイエス様のスタンスをこの半世紀余りにわたって、実践&研鑽をし続けて参りました。


「信仰告白」はしておりませんが、「親交告白」はして参りました。


要するに、貴殿は受洗されても、クリスチャンとしての生活を実践&研鑽されていない様相で、勿体ない、無意味な生活であったから、このような「クリスチャンを辞めるにはどうしたらいいか」を想起されたのでしょうね。


貴殿と同様なクリスチャンは、経験則によれば、90%を占めていますよ。


まあまあのクリスチャンらしい人は、9%を占めています。


イエス様と同等のスタンスを持ち合わせたクリスチャンは、1%に過ぎません。


従って、貴殿自身は、既に、クリスチャンを辞めている状態・状況と言えるでしょう。


「律法を守るのが嫌」とは、利己中(自己中)のスタンスそのものですね!!


歓喜の人生を謳歌するためには、六法全書(憲法をはじめ、その傘下の種々の法律)を守ることが必要不可欠です。


クリスチャンであるか否かに関わらず、信義則違反、公序良俗違反では、歓喜の人生を謳歌することは出来ないことを肝に銘じてくださいね!!


受洗されても、上記のように、90%を占めるクリスチャンは、名だけです。


歓喜の人生を謳歌するには、常に、イエス様のスタンス(慈愛心、正義感)を、自分自身のスタンス&ライフスタイルに採用し、貫徹すること意義があるのですから。


聖書の内容(中身)やイエス様の様々な行為を、他人事とせず、自分自身に活用しなければ、勿体ない話です。


キリスト教に限らず、世界の様々な宗教の本質(真理)は、「利己中(自分勝手気ままな生きている姿勢)から利他中(相手を思いやり、共に分かち合える姿勢)に、チェンジする(切り替える)こと」が求められていることを発見(気づき)できれば幸いなのですが、聖職者(神父、司祭、牧師、伝道師、宣教師、高僧、神主、宮司等々)のプロの大半が、気づけず、他界している状況が延々と続いてきているのです。


人類一人ひとりのスタンスを切り替えることが、


キリスト教で言うところの真のハルマゲドンとか、復活とか、再臨と呼ばれていることに相当しているのです。


仏教では、真の解脱とか、悟りとか、涅槃と表現されているのです。


イスラム教では、真のジ・ハード(聖戦)と表現されていることに通じるのです。


宗教人をはじめ、人類の大半が、他人との戦争(葛藤)、人類の最終戦争と想起されていますが、これは真実に相当しません。


人類の大半が、錯綜状態、誤認混同状況と言っても過言ではありません。


どうぞ、改心(改新・戒心・回心)されて、快心(会心)を試みられたら如何でしょうか。


今がそのチャンス(機会)ですよ!!


「歓喜の人生」を共に謳歌していけたら、嬉しい限りですね!!


参考情報に供されれば幸いです。


感謝




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