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2019年03月03日17:50

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佐竹氏奥州進出拠点の城

土曜日、朝起きたら天気は上々晴れ

城でも観に行ってこようか思い立ち自宅(日光市)を出発し、那珂川町を経て大子、塙、鮫川村、棚倉へ足を伸ばしたダッシュ(走り出す様)

訪れたのは「菅生館」、「赤坂城」(鮫川村)、寺山館(棚倉町)の3カ所。

赤坂城跡は城山全体の立木がすべて伐採され、その代わりに梅の木がたくさん植樹されていた。
再来週くらいには梅が満開になり、辺りには梅の香りが漂うことと思う。
城の方はというと、立木が完全に取り払われた状況と言うこともあり、麓から階段状に造成されたその形が手に取るように判る。
山頂部の本丸からは鮫川の街が一望できる。

次に訪れた棚倉町の「寺山館」。
赤坂城とともに佐竹氏の奥州侵攻あるいは防備の拠点として取り立てられたこれらの城は大規模な改修が施されてとても堅固な造りとなっている。
寺山館は標高こそそれほどでもないが、険しい山城であるが、さらに各曲輪の切岸を鋭くし、尾根を大きな堀切で穿ち、防備を固めている。
500年近く経ち、うっそうとした木々に覆われた今でもその堅固さを目の当たりにすることができる。

佐竹氏の本拠の常陸(茨城)との境に近い塙町、鮫川村、棚倉町とその周辺は佐竹氏と奥州の各領主達との攻防の場となったところでもあり、自ずと両陣営の城も堅固になっていったのだと思う。
城の堅固さを観ているだけでその緊張感が伝わってきます。

写真1枚目:赤坂城
写真2枚目:寺山館案内
写真3枚目:寺山館登城道と切岸


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