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2019年02月23日22:08

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眺望のランキング・・・

 古川古松軒の話の続きです。
 古松軒は、備中国下道郡新本村(岡山県総社市新本)の生まれです。
 天明3年(1783年)3月末から9月にかけて、
 山陽、九州を巡り、「西遊雑記」を著していますし、
 東北・北海道は東遊雑記で述べられているように、歩いています。
 江戸に出る道中もあったでしょうから、
 江戸時代に古松軒ほど全国を歩いた人は珍しかったと思います。
 将軍はもとより大名ですら、自由に旅行出来る時代ではありませんでした。
 もちろん、以前書いた野田泉光院などのように、
 回国者として全国を渡り歩いた人もいたでしょうが、少数でしょう。

 古川古松軒は、東遊雑記の中で、全国の眺望に順位をつけています。
 古松軒は囲碁も好きだったようで、その手合いで表現していますが、
 面白いので、書き出してみました。

 古松軒が第一位としたのは、富士山でした。
 田子ノ浦、清見が関、三保が崎の風景を日本一としています。
 それから4・5目劣るとして松島を挙げています。
 次が、薩摩国の坊津の海辺と丹後の天橋立で
 これらを並べて、松島から劣ること8・9目としています。
 その次が、筑前箱崎の海面、海の中道、摂津の国の須磨ノ浦、
 播州明石から見た淡路島の眺望を並べて、坊津・橋立と比べると先番位劣るとしています。

 その次は、人の好みもあるから優劣はつけられないからとしながら、
 多くの名所を挙げていますので、一応書いて置きます。
 紀州和歌浦、安芸厳島、羽州象潟、摂州住吉浦、薩州桜島、豊後の佐賀関、
 肥後玉島川、虹ケ浜の風景、豊前の門司が関、柳ヶ浦、長州赤間関、
 羽州鳥海山、月山、奥州岩木山の雪景色、雲州三保が関、弓の浜の海上、
 勢州二見浦、備後の鞆の津の沖より伊予路の眺め、江州琵琶湖の浦々、
 山州淀、浜川の浦、八幡、山崎、伏見の眺め、摂州長柄、難波津の景色を挙げています。
 港や海岸線の眺めが多いので、現在とは変わっているかも知れません。

 この内、象潟については、かねてより有名で、八十八潟、九十九島一眼に見えて、
 松島に続きて無双の勝景と称賛されていたので、
 古松軒もかなり期待をしていたようですが、
 思っていたのとは違って、良いとは感じなかったようです。
 世間の愚眼と思ったと書いていますし、
 古くからどうして有名なのか分からないとも書いています。

 象潟は、景勝地、歌枕の地として知られ、
 古今和歌集や新古今和歌集などにも当地を詠んだ歌があります。
 江戸時代には「東の松島 西の象潟」と呼ばれ、
 松尾芭蕉の『奥の細道』でも、
 「松島は笑ふが如く、象潟は憾(うら)むが如し」と書かれています。

 古松軒が象潟に行ったのは、天明8年(1787年)7月1日の事です。
 象潟は、1804年(文化元年)の象潟地震で海底が隆起し、陸地化していますが、
 古松軒は陸地化する前の象潟に行っている訳ですが、
 何か状況が悪かったのでしょうか?
 ともかく、古からの伝承にとらわれないで、自らの見たまま感じたままを記した
 古川古松軒の面目躍如と感じられる記述だと思います。


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