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2019年02月14日21:37

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ミンダナオ島における内戦被災者救援活動(part2)

( part 1)
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1970389160&owner_id=11236320

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(パート1よりの続き)

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ミンダナオ島での、イスラム過激派と政府軍の内戦による避難民の支援活動を計画し始めた。

例えば中東では、邦人が誘拐され、何度か報道された。

ここミンダナオでも、日本人の被害がないから日本では報道されないが、たまに爆破テロや誘拐事件が起きている。

そして内戦が激化し、戒厳令が出ている、その地へ向かおうとしている。

かといって、べつに死ににいくわけでも拉致されにいくわけでもないし、そうなりたくもないので、できる限りの準備をしていこうと思った。

しかし、、、

現地で活動するNGOに連絡をとったのだが、結局最後までうまく連絡がつかず、

そんなこんなしているうちに出発の日が来た。

大きな不安を抱えながらも、まあなんとかなるだろう、、、と、いつものやつで(気楽に、という意味ではない)、現地入りした。

内戦の地であるマラウィの隣のイリガンという町に宿をとった。

ヒジャブを被ったムスリムの人たちが当たり前にたくさんいる。

一見、平穏なこの町だが、外国人の姿はまったく見かけない。

そして、郊外には軍の検問所があり、町中にもふつうに軍の車が停まってる。

イスラム過激派の一員がこの町のどこに潜んでいるかもわからない。

そう、ここはもう、外務省発出の危険度レベル3の地域だ、、、。

ところで、

とりあえずこの時点で、現地との連絡は途絶えており、

仕方ないので、とりあえず直接、そのNGOの事務所に行ってみた。

だが、誰もいない、、、

というか、しばらく人がいた形跡がない、、、

うーん、どうしよう、、、と、とにかく、連絡がとれたら、と、ドアに連絡先のメモを挟んできた、、、

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宿に帰って、お昼を食べて、で、なぜかすっかりやりきった感で、昼寝に入ったフィリピン人アシスタントのふたり、、、

えっと、、、(^_^;)

自分的には、たぶん、しばらくあの事務所には誰も来なくて、うちらに連絡が来るとは思えないんだけど、、、

と、

「あのさあ、、、」

と、むりやり、ふたりを起こし、次のアクションに入った。

実は、日本でコンタクトがとれた人の中に、マラウィ入りしたレポートを報道しているフォトジャーナリストの方がいた。

こんなこともあろうかと思い、あらかじめその方に、ある避難所のおおよその地区を聞いていた。

それが、今回訪れた、政府の支援の手が届いていない避難所だ。

それは、本当に、忘れられたように、町外れの山の中にあった、、、

おおよその住所のメモを頼りに、町のいろんな人に聞きながら、ジプニーを乗り継ぎ、たぶん近くまできて降りて、また付近の人に尋ね、そしてなんとかたどり着いた。

そこには、廃校と朽ちかけたバスケットコートと、そしてテントが並んでいた。

遊んでいる子どもたちが、おそらく珍しいのだろう、恥ずかしながらもこっちをすごく見て、気にしてる。

手をふると笑顔でふりかえしてくれるヒジャブの少女たち。

でも、近付こうとすると恥ずかしがって逃げてしまう。

でも、ずっと付いてくる。

振り向くとまた逃げてしまう、、、(^_^;)

そして、テントに行ってみた。

ひとりのおばあちゃんがいた。

たくさんの話をしてくれてた。

今までのこと、現状、不満、不安、、、たくさんのことを、、、

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「もう、8ヶ月も何も支援をされていないわ」

おばあちゃんが訴える。

戦争で家も仕事も何もかも奪われ、仮設テントでの生活。

支援がないと生きていけない。

でもなんとかみんなで協力してがんばってる。

これからのことを考えると不安で仕方ない。

でも故郷へは帰れない。

帰っても、そこにあるのは破壊された瓦礫の山だけだ。

いろんな話をした。

そして、ここでの支援活動のことを相談した。

今、何が必要ですか?

仮設住宅が立ち並ぶ村を訪れ、集まってくれた人たちと話し合った。

食料と、あと、石鹸とかの生活用品、、、

やはり今足りないのは、生きていく術の基本的なものだ。

翌日からの支援活動の段取りを決めて、村のリーダーにも話を通してもらって、

遠巻きにずっとこっちを気にしてる子どもたちに愛想を振りまいて、

避難所を後にした。

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そして、翌日の朝、

市場で支援物資のお米や缶詰、子どもたちへのプレゼントのお菓子をたくさん買った。

よく見ると、原材料の関係なのだろう、お菓子にも、ムスリムOKのマークとかがある。

手配したジプニーに荷物を積んで、村に行き、そして、避難所の人たちと一緒に、物資のパッキングをした。

いつのまにかたくさん集まった避難民の方たちを、なんとか整理して、支援物資を配った。

みんなとても嬉しそうだった。

配給に一段落がついたあと、集まってる子どもたちとゲーム大会をした。

そういえば、何気に「みんなでおっきな輪を作ってー」って言ったら、見事に男女別のふたつの輪ができた。

ムスリムはやはり男女間の接触に厳しいのだろう。

クリスマスソングでも歌う?と言ったら、キョトンとされた。

文化の違い、宗教の違い、それはもうどうしようもなく根付いている。

べつに大したことじゃない。「あ。そっか。そうだよね。気づかなくてごめん。」で済むようなことだ。

なのにそれが、差別や誤解を生み、憎しみの連鎖となり、戦争へと繋がり、こうしてたくさんの被災者が生まれてしまう。

でも、今はいい。忘れよう。

この楽しい時を、もう少しだけ、みんなで分かち合おう、、、

商品は抱えきれないほどのお菓子がいっぱい。

気がついてみると大人も一緒に混ざってた。勝手に体が動いてた。

みんなとても楽しそうだった。

きらきらした笑顔がたくさんあった。

そして、

いつのまにか一日が終わり、自分らも帰る時間になった。

最後にみんなで歌を歌った。

持っていったギターを弾いて、輪になって歌った。

みんなが知ってる歌を、、と思って、ある少女に聞いた。

「知ってる?」
「うん」

one call away

この歌の歌詞みたく、

電話一本でかけつけるのは無理だけど、

スーパーマンにはかなわないけど、

でも、

キミはひとりじゃない。

こうして一緒に笑顔を分かち合える、、、

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もうクリスマスは過ぎてたけど、

アシスタントのフィリピン人曰く、

年内はクリスマス、らしい。

町もぜんぜんまだクリスマスモードだ。

余った支援物資の袋をいくつか持ち歩き、

宿への帰り道、

ちょっと気がついた人に配った。

杖をついてるおじいさん、

階段で疲れて座り込むおばあさん、

ずっと立ってる警備員、

半裸で汗だくになってトライシカット(自転車タクシー)を漕ぐおいちゃん、

ストリートで暮らしてる、おっきな荷物を引きずりながら歩く人、

道端で寝ている汚れきったひげだらけの人、

etc...

道行く人に、メリークリスマス!といきなりプレゼントした。

おたがい、なんだかハッピーだった。

うん。なんか、素敵だった。。。

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内戦地域に取材に行こうと思ってたけど、

町の人や避難所の人、誰に聞いても無理だと言われた。

戦場になったマラウィは、戦闘地帯以外の市街地はもうそれなりに機能しているらしく、もともとの住民やビジネスで行く人とかは、まあOKらしい。

ただ、避難所にいる人たちは、ようするにその戦争が激しい場所から逃げてきているわけで、

未だに戒厳令が続くなか、それはやはり行くのは無理だろう。

そして、何よりも、いちばんの問題は自分が外国人だということ。

アシスタントの彼女にも言われた。

「やっぱり今回は無理だと思うよ。私たちはまだしも、あなたは無理。だからあきらめて、、」

と。

軍や政府関係の組織や、ちゃんとした護衛とかがないと、例えばマラウィに入る道中の山の中で襲われて拉致される、みたいなことも充分有り得る。

今から日本人が行くぜ、みたいな情報が、何かしらのネットワークで伝わって誘拐されるかもしれない。

今、無理する必要はない。

そう、本来、やるべきことはやった。

今回の活動に際し、たくさんの方に支援・協力して頂いた。

「自分は行けないから」と、義援金を寄付してくれた人、

アドバイスや情報をくれたジャーナリスト、

周りがみんな反対ばかりなのに、どんな危険がまってるかわからない戦地へついてきてくれたアシスタントのふたり、

やばいくらい無愛想だけど、なんだかんだと協力してくれたゲストハウスのおばちゃん、

いろいろ教えてくれたり案内してくれた町の人たち、

避難所で生活する、困難な境遇の中でも、なんとか強く行きていこうとしている人たち、

そして、、、

ここにもある、たくさんの笑顔、、純粋な瞳の子どもたち、、、

みんなほんとにありがとう。

帰り際に、仮設テントで暮らす少女が、

「もう帰っちゃうの?」

「きっとまた来てね」

と、抱きついて離れなかった。

この子の弟は、まだ赤ちゃんで、このテントで産まれた。

初めはあんなに恥ずかしがってた子どもたちも、

いつのまにか写真を撮る時に、ヒジャブで隠してた顔を見せてくれた。

うん、、

また来よう。

いや、来なきゃいけない。

誰に理解されなくてもかまわない。

もしかしたら危険が待ってることもわかってる。

マジでお金もない(;・∀・)

でも、ここに、救いを求めてる人たちがいる。

待っててくれる人たちがいる。

だから、

きっと、また来るよ、、、

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2018年の年末、NGO「HOPE〜ハロハロオアシス」では、そのYUMEKAKE PROJECTの活動として、

内戦による戒厳令下の、フィリピン・ミンダナオ島のマラウィにおける戦禍の避難民の支援活動を行った。

マラウィから避難してきた人たちの避難所がたくさんある、隣のイリガンに拠点を置き、活動した。

町は一見、平穏で安全そうに見えるが、ここでさえすでに、外務省による危険度3の指定地域だ。

なかなか現地組織との連絡がうまく行かず、結局、現地入りしてからの手探りの活動だったが、なんとか目的を果たせた。

イスラム過激派と政府軍の内戦の激化により、故郷に帰れないたくさんの人たちが、廃校のバスケットコートや付近の村に暮らしていた。

政府の公設の避難所でないため、もう8ヶ月くらい何の支援も受けていない、と言う人々。

しかし、故郷は戦争で壊滅状態で、家も仕事もない。

そんな忘れられた避難所において、

食料等の支援物資の配給や、子どもたちと一緒にゲーム等をして一日過ごした。

これからも続く、先の見えない厳しい生活のなか、少しでも、夢と笑顔を届けれたら、と思い、

自分も、複雑な感情を抱きながらも、

せいいっぱいの笑顔で、皆と共に、たくさんの思いとかけがえのない時たちをわかちあった。

最後にもう一度、、、

みんな、本当に、どうもありがとう。

不安、不満、焦躁、希望、喜び、夢、笑顔、現在、過去、そして明日、

様々な思いをわあちあった、今日という日を、自分はいつまでもきっと忘れない。

みんなも、これからもやっぱりまだ、辛い日が続くかもしれないけど、

ふとした時に、この楽しかったひとときを思い出して、

また明日を生きていく勇気と力にしてほしい。

あまりに遠い海の向こうから、

ほんとに、ほんとに、ほんのちっぽけな力でしかないけど、

でも、ありったけの思いを送るよ。

今はまだ、しょうじきまったく先は見えないけど、

それでも、

負けたくない。

現実は受け入れる。目はそらさない。

でも、あきらめたくない。

これからも、一緒に、手を繋いで、強く生きていこう。

いつかまたきっと、もとの平和な生活に戻れるまで、

一緒に、がんばろう、、、

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《 フィリピン・ミンダナオ島における、内戦による避難民への救援活動についての、ご協力のお願い。》
https://www.facebook.com/hopeyumekake/posts/1227973414018473
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