短い記事では、とりわけ地裁判決主旨が簡素過ぎるので何ともだけども、
「不特定多数の利益の増進に寄与する公益目的事業を行っている」という、
司法に拠る論拠というのがどういうものか、何に立脚したものなのか・・
これは一つ重要で注目すべき所ではないかと。
“不特定多数”の“利益増進”・・。
非常に曖昧で抽象的。特に「利益」とは具体的に何を指し示しているのか。
生命倫理に関わる大変重要で、かつ繊細な領域なだけに、単なる合理性や
文言上の整合性だけで処理しきれないはずで、利益という定義についての司法判断は、
相当的確で誤差を生じさせないものでないと、社会に対して思わぬ拡大解釈や
誤解を生みかねず、挙げ句取り返しのつかないことになりかねない。
尊厳死を巡る議論については、どの分野にも共通してある、まさに利益性や合理性が
例外なく中心になって来るわけだけど、この根幹部分についての考察や議論が現時点で
何処まで進捗しているかと言えば、決して理想的な位置まで進んではいないというのが
概ね世間での有り様ではないかと思う。
その観点を軸に、「だからこそこうした組織団体に拠る活動が重要になる」
という論旨が説得力を持つのは理解出来るのだけど、生命倫理の法的見解と、
国に拠る行政との関連性について、相当丁寧で緻密なロジックでもって
司法が担保する外形にない場合、国が16年に示した
「医療判断に大きな影響を与える可能性が高まる」という懸念が露呈しかねない。
諸外国では、既に尊厳死や安楽死の合法措置が取られている国が複数あり、
各々の司法見解や医療分野での解釈、方法論にはお国柄が透けて見える所を含めつつ
多様な考え方や倫理観を垣間見ることが出来るが・・。
どの国も、当初の論理には正当性をそれなりに持ち、そして“セーフティネット”や
“安全弁”というのが備わっている・・と言われていた。
ところが施行後の推移をみていくと、当初謳われていたような推移には必ずしも
なっておらず、それどころか懸念した通りの生命倫理〜影響が随所に出ているという。
それらを指し示す文献が以下のもので、記事は2012年なので最新のものではなく、
その後現在どんな変化を辿っているのか否かは定かじゃないものの、
メリットとして掲げられた尊厳死や安楽死の内容は、社会に降ろされていくと
決して健全性をもって浸透・発展していかない危うさを観ることが出来る。
https://synodos.jp/society/1070
この内容を観る時、では果たして今の日本が制度化していけば、同じ轍を踏まず
理想的な進捗を果たすことが出来るかを鑑みると、決してそうは思えないわけで。
何より、現代日本にある社会性を広く眺めれば、他者への寛容性はもとより、
政治を始めとする「人の尊厳や人権」そのものの不理解、根本的な生命概念、
倫理観等が荒廃しているといっていい現状下、ここを蔑ろにしたまま突き進めば
必ずや「他国の二の舞」になるのは避けられない・・いや、もっと酷い結果となる
可能性の方が高いだろう。
生命の自己決定権が、憲法由来の論理になぞらえた時に、その整合性が取れるとの
法的な論拠は成立するとも思うが、「法と道徳の分離原則」を含めた奥の深い
論旨が強固にあり、尚且つ広範の社会に啓蒙教育された状態でなければ、
医療現場は勿論のこと、あちこちで拡大解釈やすり抜けの論理が派生し、
講じる安全装置さえ役に立たない、または機能不全を起こす恐れが多分にある。
そうなってしまうと、折角熟慮し判断した重たい自己決定が、悲劇や後悔をもたらす
元凶となってしまいかねないし、命だからこそまさに「取り返しがつかない」。
協会の主旨には「撤回変更が出来る」と一応謳ってはいるが、それが出来たとしても、
変更出来るフレキシビリティが異なる安易性を生み出したり、柔軟性をもって
周囲や社会が甘受する土台がなければ、意思決定が思わぬ非難や居心地の悪ささえ
後に派生しかねない。
とはいえ、一方では深刻な介護事情であったり、医療現場での壁や限界性に喘ぐ
場面もあるわけで、一概に否定しきれない現実を無視は出来ないものの、
メリットとデメリットの勘案をする上で、本当にこの策のデメリットはないのか、
またはどんなデメリットが考えられるかについて、他国の実情にまでしっかり
焦点を当て、都合の悪い部分を避けた議論だけで先行すべきではないだろう。
上記文献にある一説が非常に重要ではないか。
>重症障害児・患者本人たちと一緒に、実は介護者である親や家族も同時に、
社会から見捨てられているのだと思う。「自己決定権」や「自己選択」という
名のもとに、実は「自己責任」の中に個々の家族が冷酷に投げ捨てられ、
そこに置き去りにされ、見捨てられようとしているのではないだろうか。
この意味を、現在何処まで日本社会が理解出来ているのか・・
少なくとも悲観的にならざるを得ないし、少なくともこの理解が進まない内
拙速に走るのは極めて危険だろう。
それらを踏まえた時、公益財団とすることが適当なのかどうかは、
司法判断の正確な論旨抜きに、是非を軽々に言えないのではないか・・。
■尊厳死協会の不認定取り消し=延命拒否「公益」めぐり−東京地裁
(時事通信社 - 01月21日 18:00)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=5465256
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