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2019年01月01日05:04

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物語における感情移入とは

2018年12月09日のツイート

物語にとって「感情移入」というのは必須の要件と言っていいが、これはキャラクターが単体でどういうものであるかとはあまり関係がない。この辺が分からないと、ただ単にキャラクターそのものに感情移入できたとしても作品自体が面白くない、ということも起こり得てしまう。この件について書きたい。

つまり、感情移入できるキャラクターだとか、共感できるキャラクターだとか、それはそれで作品にとってプラス要素にはなるが、それは作品が決定的に面白いモノになるかどうかとは別問題、ということだ。

いきなり分かりやすい例を挙げると、「バキ」なんかは、とりあえず私としては共感できるキャラクターがどうも見当たらない。のだが、にもかかわらず、どういうわけか「感情移入」は起こり、バキって面白いなー、という感想になる。

「相手を倒す」という「目的」や「欲求」、そのために「戦う」という「行為」、「やってやる」という「衝動」、「痛み」の「感覚」、喜びや悔しみの「感情」、戦いが終わったときの「達成感」(負けても、やるだけやったという感情は双方にある)…こういうものによって「感情移入」が起こっている。

物語における感情移入とは、共感というよりこういったものをキャラクターたちと共有することで起こるもので、それが共有できればキャラクターがどういうヤツなのかは問われないのだ。これは例えば、共感できないキャラクターであっても目的が同じであれば仲間、みたいになるのと似た感覚だろうか。

ジョジョなんかを観ていると、戦っているときに主人公側の視点と敵の視点と交互に描かれたりするのだが、敵が主人公側から攻撃されるターンのときに敵の視点で描かれたりして、そいつがピンチになるとそいつの気持ちになってハラハラしてしまうのだ。

「相手を倒すために戦う」、これが敵であろうが味方であろうが同じなのだ。そこに感情移入しているのだ。敵も味方もそのように描く、ということをやると、言ってみれば2倍の感情移入が得られるわけだ。

もちろん、敵も人間である、ということで「人間くささ」のようなものを描いてやると、キャラも人間、読者も人間、ということでそこに「共感」は呼べたりする。ただそれは「感情移入という物語における包括的な仕掛け」の「一部」である、ということだ。

この感情移入の仕掛けにおいて上位に来るのが「キャラクターの目的」ということになる。目的があればキャラクターはそれに向かって行動することになる。これはもう簡単に言えば「キャラクターが目的に向かって頑張る様子」を描くことで感情移入というものかなりダイレクトに得られるということだ。

キャラクターがどんなヤツかはどうでもいい、ということだが、なんとこの目的がどんなものかもどうでもいい。これは面白い事実だ。「マクガフィン」という言葉がある。映画監督のヒッチコックの言葉だが、泥棒が狙う宝石やスパイが狙う重要書類などのことで、それは別に何に設定してもいいわけだ。

まとめると、「読者を感情移入させたければ、どんなヤツでもいいからあるキャラクターが、どんな目的でもいいからある目的に向かって、とにかく行動していくところを描けよ」ということになりますね。分かりやすい。

これをやらないといけない。設定にこだわるのも大事なことだ。主人公を共感できるキャラにするのは有効な手だ。しかしその設定で「キャラの目的」が考えられていなければストーリーは動かない。…うーん、なんか当然のことをドヤ顔で言ってるみたいで恥ずかしいのだが…w

みんな、とにかく共感を呼べそうな、悩みがあるとか、人間くさいとか、かっこいいかわいいとか、好かれそうだとか、逆にクズだとか、「キャラが立ってる」とか、あと何があるか知らんけど、そういうキャラを考えることばかりに必死のようだが、それでは作品を面白くするのに決定的なものにはならんよ。

自分が作ったキャラの目的も考えてやらずに、ただただ日々を過ごさせてるとしたら、無責任な親だと思うよ。キャラがかわいそう。キャラを立たせてるつもりが、キャラが死んでる。物語が死んでる。本当の意味でキャラを動かして、物語を動かして、生きたキャラ、生きたストーリーにしないとダメだね。

キャラがいいか悪いかは、どこまでいっても読者の好き嫌いだから、キャラさえでよければいいという考えでは、ハズしたら終わり。だからそれこそ、みんながいいと思う、人気のキャラにしたければ、そいつが目的に向かって頑張るところを描く、これが鉄板であると。そういうことが言える。そういうこと。
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