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2019年01月01日04:49

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またまた物語のテーマの話

2018年11月14日のツイート

物語論で言う「成長」とは人間的成長のこと。主人公は話の中で成長しなければいけない。力がパワーアップするのとは別次元の話。悪役の場合、悪を貫いてパワーアップするというのは人間的成長ではない。悪役にとって成長するというのは改心するってことだから。つまり主人公は改心する。

簡単に言うと、物語において、主人公には精神的にダメなところがあり、しかし最終的にダメなところが直る。悪役みたいな主人公は成長が描きやすい。恋愛物も簡単、最初は素直じゃなかったのが、最後に素直になるから結ばれる。勇気、優しさなど、最初はなかったのが、最後には主人公は獲得している。

物語において、最終的に主人公が人間的に成長したから、最後に成功する。という風に描く。さらにエピローグ的に、まあ読者が「できすぎた話だ」と思っているだろうといったところに、まだまだ完全には成長しきれていないところを出す(結ばれた二人がさっそくケンカを始めるとか)。

これで物語を通してテーマが言える。「人間、優しさが大事だよ」とか。それを簡単に言うと「優しさがテーマ」となる。でも「優しさをテーマに話を作ろう」というと難しい。そこは「『人間、優しさが大事だよ』ということが物語を通じて言えるように話を作ろう」と考えると分かりやすい。

「優しさをテーマに」って考えると「登場人物全員優しい」とかやってしまう。別にそれでもいいけど、ただひたすら優しい雰囲気が味わえる作品になるのかもしれないけど、まあ普通はただ退屈な話になるだけで、しかもいわゆる「何が言いたいのか分からない」という感想になるのは目に見えている。

「物語でテーマを表現する」というのは、一枚の絵やポエムでテーマをバーン!とやるのとはだいぶ違う。例えば映画はだいたい2時間で、これは話としては短いものだ。しかし、もし「2時間ぶっとおしで一枚の絵をただ映すだけ」とかやられたら苦痛以外の何物でもない。

優しさがテーマっぽい作品(優しさがテーマだとは言っていない)ということで今、宮崎駿の「魔女の宅急便」が思い浮かんでしまっている。「優しい気持ちで目覚めた朝は〜…優しさに包まれたなら〜きっと〜…」という曲も頭の中で聞こえてきた。

でも、映画をよく観てみると、だいたい辛いこと、大変なことばかり起こって、主人公はだいたいずっと悩んでいる。その中で、たまーにいいことがある、人の優しさに触れる。そうすることで客は「優しさっていいな〜」としみじみ、つくづく、身に染みて思うことになる。「優しい映画だったな〜」となる。

魔女の宅急便は、別にテーマとかはなんなのか、何が言いたかったのかよく分からない映画だ。でも「優しさ」であの曲が流れてきてしまい、あのイメージでいっぱいになってしまったから話に挙げてしまった。それでも、だとしても、ただひたすら優しい映画ではなかったことは分かったと思う。

話がややこしくなってしまったが、「優しい雰囲気」と「厳しい中身」の違い、それと「優しさがテーマ」との違いがある。実際に物語を作るというのは、雰囲気では作れない。具体的なモノを積み上げて作り上げていかないといけない。

テーマは、主人公こそが体現するのが一番きれいで分かりやすく破綻のない形になる。言ってみれば基本形。物語の。これは好き嫌いで考えるものとは違う。別に嫌おうが知るまいが構わないことだけど、簡単・基本・話が美しく面白くなるための事実。これを分かってないのがハンデになるだけ。とか思う。

主人公というのは、この話で何が言いたいのか、それを読者に伝えるという重大任務を帯びたナビゲーターみたいなものだ。彼(彼女)の心理、行動、体験を通じて、この話で本当に言いたいことを読者に伝えるという最重要任務。逆に、大した任務もないお気楽な登場人物が脇役、ということになる感じ。

この主人公、読者にテーマを伝えるという重大な任務を遂行するのに「これは絶対に言ってはいけない」という禁止事項がある。なんと「テーマをセリフで言ってはいけない」のである。テーマを伝えたいのに、そうするのが一番簡単なのに、それを直接言ってはいけない。ジェスチャーゲームみたいなことだ。

別に言ってもいいけど。やってみるといい。相当冷める。ジェスチャーゲームなのに口で言ったらゲームが成り立たないのと同じ。何のために話を作っているのか根底から崩れる。テーマを言えばいいのなら話なんて何ページも書いてないで、ただ一行それを書いとけば終わりなのだから。原理的にナシなのだ。

あと「話にテーマは要らない」論というのがあるが、そういう論点ではない。「何が言いたいのか分からない話を聞いてて面白いのか」だ。面白いならいいじゃん。テーマがなくても面白いと思ってもらえる何らかの勝算があるのだろう。そんなことよりもテーマを立てることが極めて簡単で有効ということだ。

「作者でさえ気づかないテーマ」というのもある。作者が気づかないテーマを読者が気づいたりする。そこが評価されたりして作者は「そこじゃないのに、そこですか」と困惑したりするというのは耳にする話。テーマは、話を作る前に決めたりもするが、作られたものに結果的に現れるものでもあるのだ。

それはそうだ。古来「物語はこうやって作ればいい」というのが先にあったわけではなく、まず物語が作られ、それが面白かったりつまらなかったりして、じゃあ面白い物語には何があるのか?あー面白い話ってテーマがあるわ、じゃあ最初からテーマありきで作れば面白さが保証されるな、となったわけだ。

テーマがなくても、話はつまらなくても、作品は面白い、というのはだいたい「演出がいい」ということ。その場その場の、何か心に来る出来事が、効果的な演出で表現されて、それを寄せ集めて作品にする。庵野秀明はこれ系。ご自身で言っていたように中身空っぽなので、とにかく意味ありげな演出で作る。

意味ありげなことをやって、それを受け取った側が勝手にいろいろ考える。中身空っぽの天才庵野秀明が作り上げた芸術。でも本当は意味はないので、素人がマネをすると(本人の作品でもよく見るとそうなのだが)だいぶ寒いことになる。人がただ意味ありげにかっこつけてる様子というのは実に寒いものだ。

とにかく演出で面白く(見えるように)作る、これはストーリーテラーの敗北と言っていい。話を面白くするのは諦めた。演出がすべて。かっこよく、美しく、それっぽくやれば、評価は得られる。作り手が自らの演出に気持ちよく酔っている。だから寒い。こういうのはPVから映画に来た監督によく見られる。
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