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2019年01月01日04:27

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漫画よもやま話

2018年10月17日のツイート

ドラゴンボールは相当ハマった。始まったときはそれほどでもなかったけど天下一武闘会が始まってからは夢中になった。スト2が出て格闘ゲームにハマってたのと相乗効果がすごかった。頭の中にそういうのしかなくなって、描きたいものがドラゴンボールみたいなのしか出てこなかった。

今でも見返してみると間違いなく面白い。…のだが、頭の中にはもうない。むしろ天下一武闘会が始まる前の、いわゆるファンタジーアドベンチャーが描きたくなっている。バトルしかないバトル中心のものは別にもう描きたくない。バトルは、要所にそつなく入れておこうという扱いをするようになっている。

進撃の巨人とか観ていても、例えば今シーズンはほとんど巨人と戦ってなくて静的な会話シーンなどで話が進んだので、巨人と戦うところが観たい人たちが文句を言っているのをよく見かけたが、まったくそんなことは思わなかった。巨人戦があろうがなかろうがストーリーそのものが面白いとしか感じない。

ジャンプとかの殆どバトルしかない漫画はまったく興味がない。ジョジョはバトルが面白いのではなく駆け引きの面白さなので、あれはバトルのない日常系であっても面白いだろう。ナ…とかブ…とかまったく見たことがないし見たいと思わなかったり。ギャグも特に、銀…とか、任侠にも興味ないのでワ…も。

ハ…も、よく見てみると何がやりたいのか分からなくて、ゴチャゴチャしてるのに意味が薄く、読むのがめんどくさくて読めない。ただキャラたちが勝手に動いてるだけの様子が描かれているだけに見える。だからなんなんだろうと思ってしまう。意味が見出せないと漫画を読むためのやる気さえ出ない。

ちょっと古いがデ…は面白かった。あれにはバトルといったバトルはなく、根幹はジョジョと同じ駆け引きの面白さ。そして主人公と目的がハッキリしている。欠点は苦し紛れ的なところがあるところ。苦し紛れを見るのは苦しい。身につまされる。こじつけ、ご都合主義も大敵。連載漫画にはついて回る問題。

言ってしまうと、ストーリーというのは、伏線を自在に操れる作家が描くと面白い。これができるかできないかの境目は本当にハッキリしている。この人は自在にできる、この人は全然分かってない、というのは一目瞭然に分かる。同じプロで、同じくらい売れてる作家であっても、能力が全然違ったりする。

ジョジョは駆け引きが面白いと言ったが、実は伏線の入れ方がうまいのだ。まず戦いが始まる前に仕込みがあり、盛り上がりの曲線が坂を上るように描かれていき、どんでん返しで優勢劣勢が振り子のように切り換わっていく。そのどんでん返しのために、しっかりと伏線がどこかで仕込まれてある。

だからその瞬間に電極がつながるような快感があるのだ。伏線の入れ方にも技巧があるし(カモフラージュやミスリード)、「どう逆転するか、そのための伏線をどこで入れるか」という視点や、「これが伏線だったらあとでどういう回収があれば面白いか」という視点もある。

このように作られたストーリーには、この話の中に本当に意味のない描写なんてなかった、ということになる。「やおい」とは完全に真逆。やおいにはすべてに(ストーリー上の)意味がない。いきあたりばったりで、ただ戦うだけ、ただイチャイチャするだけ、ただゴチャゴチャするだけ。

伏線が見事なストーリーを味わっていると(伏線だけではないが)、目が肥えて、意味のないものが見たくなくなる。暇つぶしには付き合ってられないという気分になる。伏線を見事にするためには、どうしてもテーマが必要になる。テーマを幹とした体系に伏線を張り巡らせて作品を美しい作りにしたくなる。

アートというのは「技」のことだ。それを日本語では芸術と訳した。芸の術、芸の技だ。芸術という言葉が一人歩きして勘違いされる。アートは地に足の着いたものだ。素人がムチャクチャに振り回してもそこに技はない。技を磨く必要がない、などということは、成り立たない。
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