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2018年12月29日23:45

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日本とベトナム、そしてアラブの春

知る人はほとんどいないが「アラブの春」は日本と関係が深い。
19世紀から20世紀にかけてベトナムはフランスの植民地だった。
日中戦争が始まり、蒋介石は米国から兵器などの支援物資をベトナム経由で
中国へ輸送しているが
日本はその支援ルートを断つため、ベトナムに進駐した。
宗主国・フランスがドイツに降伏したためだ。
日本の仏印進駐が日米の対立を先鋭化させ、太平洋戦争に発展する。
日本とベトナムには因縁があるのだ。

日本敗戦後、フランスはベトナムを再び支配しようとするが
残留日本兵に引率されたベトナム軍はフランス軍を駆逐する。
なぜ簡単にフランス軍は敗れたのか?
それはフランスが外人部隊を投入したからだ。
外人部隊は北アフリカ出身の兵士によって構成されている。
正にアラブの春が起きた国々の部隊である。

フランスは外人部隊の兵士に約束をする。
「戦場に行き、もし生き残ったらフランス国籍を与える」と。
彼らは戦う意志はなく、
「やばくなったら投降して生き延び、フランス人になろう」という思惑を持っていた。
そしてめでたくフランス国籍を得ることができた兵士は家族を連れてフランスへ渡る。
彼らの子供や孫たちが、本国の市民に民主化を呼び掛けて起きたのがアラブの春なのだ。

つまり日本の仏印進駐がなかったら
アラブの春は起きてはいない。
数奇な運命とはこのことだ。
1941年に日本軍が起こした軍事行動が、
70年後の2011年にアラブで政治運動を起こすとは実に皮肉な話ではないだろうか?



■エジプトのピラミッド近くで爆弾爆発 観光客2人が死亡
(朝日新聞デジタル - 12月29日 05:49)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=5438654
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