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2018年12月28日21:05

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もじたま日記・2653日目・東尋坊(とうじんぼう)・・・?

 2653日目
 ・・・「漢字=カンジ=貫地・完治・幹事・監事・寛治=かんじ・感じ」だけが根拠の「コジキ」・・・しかじか(云々・然々・如かじか・呵じか・敷かじか)、うんぬん(云々)・・・かれこれ(彼此)、トウゼン(当然・當然・当前・陶然・洞禅・堂前・東漸・東禅・等膳)・・・「とおせんぼう=通せん坊=両手を広げて道をふさぎ、人が通れないようにする遊び・とおせんぼ・通路をふさいで、行く先や交通をさえぎること」、「通るのを邪魔する子供の遊び・通路をふさぎ、通れなくすること」・・・
 「一本足の高下駄を履き、松明を持ったトウセン坊の大男・・・おっかぁ〜、ッ・・・オレはどうして?マグマの崖ッ淵ちなんかで海に落とされるんダょうッ!」・・・東仙坊・・・?・・・東尋坊(とうじんぼう)・・・?
 ・・・唐を尋ねる十一の方・・・亥の北々西・・・S&NのKの政治屋と、それらの海寇賊組織・・・醜く足搔(あが)いているな・・・
 「あがく」って=「悪い状態から抜け出そうとして、もがく」?
         「良い状態から抜け出そうとして、もがく」?
 「とおせんぼう」しているのは「己(ム・自)の根性」だろう・・・?
 あのSKのオンナ報道官、「C 賢の洙、57〜」、NKの「R 春の姬、1943年7月8日〜」や、CKの「H 春の瑩、1970年4月?日〜」、NAの「Sarah Elizabeth Huckabee Sanders、1982年8月13日〜)」・・・共通項は「おんな」ダケレド・・・+αのノイズが被る・・・
 ↓↑ ↓↑
 とおせんぼう
 とうせん棒=「当選・当籤・投扇・陶仙・刀銭・冬川」防・・・
 「陶潜」・・・トウセン・・・
 「唐船」・・・ジャンク・・・
  長崎に来航した中国船
 沙船(シャセン)、鳥船(チョウセン)
 沙船=船体の内部を水密隔壁で仕切った
    平底の船・長さ30メートル
    通常、大小3本の帆柱
    船尾が船首より高く
    積量50トンほど
    ポルトガル人が「ジャンク(junco)」といった船
 鳥船=船首から船尾にかけて竜骨を通し
    竜骨に組み合わせて
    多数の肋(ろく)材を配列し船底を尖せた船
    長さ30〜50メートルほど
    3本の帆柱、船尾と船首の高さが平均し
    積量100〜450トンほど
    ポルトガル人が「ソマ(soma)」といった船
    1723年(享保八年)
    清国政府は船首の両わきを
    地域別に塗り分け
    来航唐船のうち
    南京(ナンキン)船(上海出航)は藍(あい)色
    浙江(セッコウ)船(乍浦(サクホ)出航)は白色
    福建船(厦門(アモイ)出航)は緑色
    広東(カントン)船(広州出航)は赤色
    に塗った
    中国語の「船(チュアン)」が転訛し
    マライ語の「jōng」
    更に
    スペイン語・ポルトガル語の「junco」に転訛
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 「陶潜」・・・
 「帰去来の辞」・・・歸去來兮・・・記虚来経?
          (キキョライケイ)
          (かえんなんいざ)
           田園・・・・・伝縁・傅圓
           將蕪・・・・・尚武・踵部・塩生・菖蒲
                  蕪=日+下+無
                    かぶ・株・下部
           胡・・・・・・えびす・ウ・コ
                  胡=古+肉
           不歸・・・・・付記・不起
                  歸=自+止+ヨ+ワ+巾
                    自+ト+人+ヨ+ワ+巾
           田園は
           将(まさ)に
           蕪(あ)れんとするに
           胡(な)んぞ
           不帰らざる           
 陶淵明・・・陶=阜(阝)+勹+缶(午凵)
            ・・・缶=𠂉+一+山・・・缶詰め
       異体字「𡍒・𨹋・𨺃」 
         すえ・トウ(タウ)
         焼き物・陶器・陶工・陶土・彩陶・製陶
         人格を練りあげる・教え導く
         陶冶 (トウヤ)・薫陶
         うちとけて楽しい
         陶酔・陶然
         もやもやして晴れない
         鬱陶 (ウットウ)
    ・・・陶器、日月の圓の淵
    ・・・陶磁器=トウジキ=問う時期・問う字記・冬至気
    ・・・陶の邑=オオタタネコの所在地
           意富多多泥古(古事記)
           大田 田根子(日本書紀)
       河内 之美努 村(古事記)
      (かふちのみののむら)
       茅渟県の   陶邑(日本書紀)
      「茅渟県
       (ちぬのあがた)陶邑(トウのムラ)に
       於(おい)て大田田根子(たねこ)を
       得て之(これ)を貢(たてまつ)る」
    ・・・「西陶器、東陶器の地名の堺市泉北丘陵」
    ・・・陶晴賢(すえはるかた)=陶隆房(たかふさ)
       天文二十年(1551年)
       主君・大内義隆を討ち
       大友晴英(後の大内義長)を当主に据え
       弘治元年九月二十一日(1555年10月6日)
       厳島の戦い前に出家し・・・毛利元就に敗北
       辞世の句
      「何を惜しみ 何を恨みん
       元よりも この有様に 定まれる身に」?
      ・・・ナルようにしかナラン、ってか・・・
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 ↓↑      淵=氵+𣶒
         ふち・エン
         水を深くたたえている所
         海淵・深淵
         物事の出てくる根源
         淵源
         物の多く集まる所
         淵藪 (エンソウ)
        「渊・渕」は俗字
       異体字「渊・𢏮・𠀯・𣶒・𠝃・囦・𡆼・𡇋
           𣴺・𣴸・渁・渆・㴊・𣷬・𣾬・𤀵
           灁・㶜・渕」
       簡体字「渊」
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 (365年(興寧三年)〜427年(元嘉四年)11月)
 魏晋南北朝時代(六朝期)
 東晋末〜南朝宋の文学者
 字は元亮
   陶潜
   淵明
 死後友人からの
 諡にちなみ
 「靖節先生」
 「五柳先生」
 尋陽柴桑(江西省九江市柴桑区)の人
 「隠逸詩人」「田園詩人」
 祖先
 三国呉の
 揚武将軍・陶丹
 陶丹の子で東晋の
 大司馬・長沙郡公の
 陶侃は曾祖父
 祖父の陶茂は
 武昌郡太守・・・武⇔「神武・天武・文武・聖武・桓武」天皇
        は昌(あきらか)に
         郡(こほり)の
         太(おほ・おお)の
         守(まもり・かみ・シュ)
 「寒門(単家)」と
 呼ばれる下級士族の出身
 427年、死去。享年63
 その誄(追悼文)は
 顔延之・・・顔(彦+頁)を延(のばす)之(これ・シ)
 が書いた・・・
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 顔延之(ガン エンシ・384年〜456年)
 宋の文学者
 字は延年・・・延(のば)す年
 本貫は
 琅邪郡臨沂県
 宋の
 文帝や
 孝武帝の
 宮廷文人として活躍
 謝霊運・鮑照
 らと「元嘉三大家」に総称
 謝霊運と併称され「顔謝」とも呼ばれる・・・
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 トウセン
 「桃仙(桃の神)=意富加牟豆美命
         (おおかむづみのみこと・古事記)」・・・
 「伊邪那美」の「黄泉(よみ)の国」から
 「伊邪那岐」の帰還を助けた「意富加牟豆美命」・・・
 ↓↑
フォト

フォト

 白村江の海戦・・・海鮮・・・会戦・・・廻船・・・改選・・・
ーーーーー
 ・・・「郭(くるわ・カク)」とその関連の名の探索・・・?
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 列伝第三十一・・・郭祚
           ↓↑
           祚=示+乍(ながら・サ・ジャ)
             さいわい・しあわせ・天祚
             くらい・天子の位・皇祚
             とし(年)・年祚
          皇祚(コウソ)・践祚(センソ)
          天祚(テンソ)・福祚(フクソ)
 列伝第三十七・・・朱瑞
          叱列延慶・・・叱る延慶(慶喜・慶応)の列?
          斛斯椿
          賈顕度・樊子鵠・侯深
          賀抜允・・・賀(くに)を抜いて允(あて)る?
          侯莫陳悦
          念賢・・・・・賢瑜?
          梁覧・・・・・梁史(リョウシ)をミ(覧)る
          雷紹
          毛遐・・・・・毛人=蝦夷?
          乙弗朗
 列伝第四十 ・・・斉宗室諸王下
          河南王孝瑜・広寧王孝珩・河間王孝琬
          蘭陵王長恭・安徳王延宗
          漁陽王紹信・・・漁の陽(楊)王の紹信?
                    煬帝の紹信?
          太原王紹徳・范陽王紹義・西河王紹仁
          隴西王紹廉・楽陵王百年・汝南王彦理
          南陽王綽
          琅邪王儼・・・琅邪の王の儼(イの厳)
          斉安王廓・・・斉安王の「廓=くるわ=郭」
          東平王恪
 列伝第四十一・・・万俟普・・・・万俟普・・・太安万侶の俟普
          可朱渾元・劉豊
          破六韓常・・・六(陸)韓は常に破れる
          金祚・・・・・金の祚(示+乍)
          劉貴・蔡儁
          韓賢・・・・・韓の賢
          尉長命・・・・尉の長の命
          王懐・任祥
          莫多婁貸文・・・莫多の婁の貸す文
          厙狄迴洛
          厙狄盛・張保洛・侯莫陳相・薛孤延
          斛律羌挙
          張瓊・・・張の瓊
          宋顕・・・宋書に顕(あら)われる
                  日並の頁=草壁皇子
          王則・・・王の規則
          慕容紹宗
          叱列平・・・叱る列平
          歩大汗薩・・・歩く大汗の薩(薩摩)
          薛修義・慕容儼・潘楽・彭楽
          暴顕
          皮景和・・・皮の景の和
          綦連猛・・・綦が連なる猛(建)
          元景安・・・元は景の安
          独孤永業・鮮于世栄
          傅伏・・・・傅伏=センプク・潜伏・船腹
                イは専ら伏す
 列伝第四十二・・・孫騰・・・孫の騰
          高隆之・・・高の隆しの之
          司馬子如・・・司馬の子の如く
          竇泰
          尉景・・・尉の景(景行天皇・高橋景保)
          婁昭・厙狄干
          韓軌・・・韓の軌跡・軌道
          段栄・・・段の栄(さかえ)
          斛律金
 列伝第五十八・・・韓褒・・・韓の褒(褒美・褒章)
          李彦・・・李の彦(木ノ子の彦=比古)・諺
          郭彦・・・郭の彦(クルワの彦=比古)・諺
 列伝第五十九・・・隋宗室諸王・秦王俊・・・秦の王の俊
 列伝第六十四・・・段文振・・・段の文を振る
 列伝第六十九・・・儒林上・郭遵・・・郭の遵(遵法)
 列伝第七十三・・・節義
          于什門
          段進・・・・段を進める
          石文徳・・・石の文の徳
 列伝第八十・・・・郭秀・・・・郭の秀
ーー↓↑ーー
 義慈王・・・・・・擬似負う・疑似王・擬餌押
 (599年〜660年)
 百済の
 第三十一代・・・・三十一巻=日本書紀
 最後の王
 (在位641年〜660年)
 ↓↑
 唐からは
 「柱国・帯方郡王・百済王」
 に封ぜられた
 諱は
 義慈
 第三十代
 武王
 の嫡男
 母は不詳
 (新羅の真平王の娘
  善花公主という説
  百済貴族出身の
  沙宅-王后という説)・・・沙宅=砂宅・・・砂上の楼閣
 『旧唐書』に
 扶余-義慈・・・扶余(アマリのタスケ)-義慈(擬似・記事・生地)
           阿毎王朝の援護
 と記録
 高句麗と共同し
 新羅を攻めていたが
 唐・新羅同盟軍に
 660年・・・・・・・六百六拾=陸百陸例(令)
 唐に滅ぼされた・・・
ーーーーー
 次ページに続く・・・
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