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2018年12月26日13:17

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最後の将軍 司馬遼太郎

水戸徳川家の七男、七郎麿が、慶喜の幼名である。母は京からきた有栖川宮家の吉子。
少年のごろ、紀州徳川家から、養子=次の当主の話が来たが、父・斉昭は、五男なら出すぞと回答してる。口実は、世子が何かあった時のための控えと。
 
しばらくして、老中阿部正弘より、一橋家の養子にどうかという話が持ち込まれる。
御三家の一つ、紀州徳川家への養子すら断ったのに、それより格下の一橋家ではと思いきや、斉昭は即座に受けた。
時の12代将軍家慶は健康面に難があり、あまり長生きはできない。その世子の家定は虚弱で、これも短命。しかも、尾張徳川家、紀州徳川家、田安家、清水家と将軍候補がいない。
必然的に、十四代将軍の最有力候補は、一橋家になる。

阿部正弘は、会ったこともない少年慶喜に次の次の将軍という地位を与えるに等しい決定を簡単にした。
水戸藩が、将軍より天皇を上に位置する尊王思想のメッカということをどれほど考えてたのか、本人以外は判らない。
 
阿部正弘は、施政家としては日本史上、かなり上位にランクされるやり手だが、彼の死後、その成果のほとんどが台無しにされてる。

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