2649日目からのツヅキ・・・
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『則天武后(武照)』は
「貞観二年(628)」の
生まれ年の干支は「戊子(ツチのエのネ)」?
「戊子」は「ボシ」とも読む
「古事記」や「日本書紀」の中では
「ボシ」、「ホシ」、「ボジ」
の同音異字に掛けられている・・・?
「星」、「干」、「補詞」、「補史」
「母子」、「母死」、「母字」、「母事」
等の「模字」で、
「母鼠」の誕生と「音図見とりの描写」・・・
↓↑
『則天武后(武照)』
は憎くっき「王氏」を
「蟒(ボウ・モウ・うわばみ・おろち)」
「蕭氏」を
「梟(キョウ・シャオ・ふくろう・みみずく)」
としてその記録上の
「姓の漢字」を換えさせた
後に
「武氏」を
「蝮(フク・まむし)」
「李氏」を
「キ(兀+虫=カイ・ケ)=まむし・とかげ・ひばかり」
と凶悪な「字」をつけた
「孝謙称徳女帝」が
「和気清麻呂」を
「汚麻呂」とした記録がある
「キタナマロ」とは
「記他名真賂」か、
「企多名眞賂」・・・?
「ヨゴレマロ」・・・
世後例間ロ、予後例眞賂・・・
余呉、余語、四語・・・
等の例を萬慮と・・・
『則天武后(武照)』は
殺してしまった
「王皇后」と「蕭淑妃」の
亡霊、幽霊に悩まされて
「竜朔三年(663)」に
「西内の大明宮」から「蓬莱宮」に引越し
さらには「長安」から
「東都・洛陽」に住むようになった・・・
唐王朝にとって
「竜朔三年(663)」とは
「白村江の海戦」での
大勝利の年である・・・
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以下、殆んど「by wikipedia.org/wiki/武則天」・・・
↓↑
則天武后・・・「貞観二年(628)」生まれ?
貞観二年(628年2月17日)〜 神龍元年(705年12月16日)
↓↑
戊子(壬 癸)⇔正財印綬 病⇔乙巳
甲寅(戊丙甲)⇔劫財正財 帝旺⇔戊子
乙巳(戊庚丙)⇔ 正財 沐浴⇔壬寅
寅卯=空亡
↓↑
武徳七年一月二十三日〜 神龍元年十一月二十六日
(624年2月17日)Y ? (705年12月16日)Y
↓↑
甲申(戊壬庚)比肩偏官 絶⇔乙巳
丙寅(戊丙甲)食神比肩建禄⇔戊子
甲午(丙 丁)--- 正財 死⇔壬寅
辰巳=空亡
↓↑
父 武士彠
母 楊夫人
少女期の
媚娘は漆黒の髪
切れ長で大きな瞳(目)
雪のような肌
桃色の唇
薔薇色の頬
大きな胸
見る者を魅了する
媚笑
聡明な頭脳
↓↑
出身県である
文水県を
武興県と改めた
↓↑
武三思(ブ・サンシ・?〜707年)
武則天の
異母兄弟である
元慶の子(武則天の甥)
右衛将軍
武則天が政権掌握後
夏官尚書に任命
周朝(武周)が成立すると
梁王に封ぜられ一千戸を賜る
天官尚書を拝命
695年(万歳登封元年)に
春官尚書に転じ
国史監修を担当
698年(聖暦元年)
検校内史
699年
特進
太子賓客
↓↑
懿安郭皇后=唐の憲宗の皇后
郭子儀(カク シギ)
神功元年(697年)
〜
建中二年六月十四日(781年7月9日)
唐朝に仕えた軍人・政治家
玄宗、粛宗、代宗、徳宗の4代に仕えた
客家人
安史の乱で大功
異民族の侵入を防いだ
盛唐〜中唐期を代表する名将
憲宗(在位805年〜820年)の
皇后
「郭」氏は
子儀の孫
↓↑
華州鄭県(陝西省渭南市華州区)の人
字は諱に同じ
諡号は
忠武
後晋の
劉昫の撰した『旧唐書』に
「子儀 長六尺餘」
北宋・欧陽脩の撰した『新唐書』に
「長七尺二寸」
旧書の「六尺餘」は身長190cm
父の
郭敬之は
綏州・渭州・桂州・寿州・泗州
の刺史(地方長官)を歴任
『新唐書』・百官志四下に
「上州」刺史は「従三品」に当たり
渭州・寿州などには
中都督府が置かれ
中都督は「正三品」であった
府兵制が崩れる以前に
都督・刺史の官は
地方職(外官)としては高官
「蔭官」(父祖の功によって官職に就くこと)
ではなく
武挙(科挙と同じく武官試験)で
仕官を果た
(『新唐書』本伝
「武挙の異等なるを以て左衛長史に補さる」
徐松 撰/孟二冬 補正『登科記考補正』巻27)
後、単于副都護、振遠軍使に累進
玄宗の
天宝八年(749年)
木剌山に
横塞軍
と
安北都護府を設置した際
横塞軍使に命じられた
李吉甫撰『元和郡県図志』巻4・天徳軍の条
に
「天宝八年、張斉丘
又た西可敦城に横塞軍を置き
又た中受降城より横塞軍を移して理む」
呉廷燮撰『唐方鎮年表』巻1に
天宝九年まで
節度使の
張斉丘の配下
後、
節度使として赴任した
安思順
李林甫
らに仕え
天宝十三年(754年)に
横塞軍の在所の地形が悪く
耕作に向かず
人口も少なく
新たに
永清柵の北側に築城して
横塞軍と安北都護府とを移し
横塞軍は
「天徳軍」と改称
子儀はあらためて
天徳軍使となって
九原太守を兼ね
朔方節度右兵馬使に命じられた(新旧書)
上司・節度使の
安思順は
安禄山の従弟(姚汝能撰『安禄山事迹』上巻)
↓↑
天宝十四年十一月
安禄山の乱
安思順は
以前から禄山の叛心を進言し
死罪は免れたが
(新書・哥舒翰伝
「始め、安思順 禄山の必ず反せるを度り
嘗て帝が為に言はば、坐せざるを得」)
中央に戻された
後任として
右兵馬使であった
子儀が朔方節度使に昇格し
衛尉卿(五監の一、衛尉寺の長官。従三品)
に任ぜられ
霊武郡太守を兼務し
朔方郡の兵馬を率いて
安禄山討伐に向うよう詔
↓↑
粛宗の時
安史の乱を平らげて
国難を救う功
衛尉卿、
霊武郡太守、
朔方節度使、
関内河東副元帥に任ぜられ
汾陽王に封ぜられた
↓↑
764年
安史の乱の際に賊軍征伐をともに行った
僕固懐恩が宦官との対立から叛乱
太原に進攻したのを撃退
↓↑
765年
吐蕃・ウイグルの叛乱を平定
徳宗より
尚父の号を賜り
大尉・中書令に昇進
ーー↓↑ーー
907年・・・唐王朝滅亡
6月2日(天祐四年=開平元年四月十九日)
朱全忠が
唐の
哀帝から
禅譲を受けて後梁を建国
五代十国時代が始まる
↓↑
延喜通宝を鋳造
延喜格が完成
↓↑
干支=丁卯
中国
唐=天祐四年
五代
後梁=開平元年
十国
呉=天祐四年(唐の元号を使用)
前蜀=天復七年(唐昭宗の元号を使用)
遼=太祖元年
中国周辺
渤海=大諲譔元年
南詔=安国5年
日本
延喜7年
皇紀1567年
朝鮮
新羅=孝恭王10年
泰封=聖冊3年
後百済=正開8年
↓↑
朱 全忠
↓↑
王朝 後梁
在位期間
907年6月1日〜912年7月18日
都城 開封
姓・諱 朱温→朱全忠→朱晃
諡号 神武元聖孝帝・・・神武-元聖-孝帝
廟号 太祖
生年 大中六年十月二十一日
(852年12月5日)
没年 乾化二年六月二日
(912年7月18日)
父 朱誠
母 王氏
陵墓 宣陵
年号 開平 907年〜911年
乾化 911年〜915年
朱 全忠(シュゼンチュウ)
五代後梁の
初代皇帝
廟号は太祖
諱は初め温
黄巣の乱の際の功で
唐朝より
全忠の名が下賜
皇帝即位後に
晃と改めた
ーーーーー
趁=走+㐱
㐱=人+彡(たくさん)
人の髪の毛がびっしりとつまっていること
前の人にぴったりとついて追うこと
追う
↓↑
趁=おう・おもむく・ゆきなやむ・チン
追う・おいかける
おもむく・ゆきなやむ
のる・のりこむ
つけこむ
↓↑
趁・趁着
…のうちに・…に乗じて
例
趁热喝吧=熱いうちに飲みなさい
趁好天气、我们快收割吧
=せっかくよい天気だから
↓↑
〜に乗じて
持っている
追いかける・追う
異体字「趁・蹨・趂」
趁乱・どさくさまぎれに・混乱に乗じて
「趁著=thàn-tio̍h」=「〜のうちに」
「…に乗じて・…のうちに・…を借りて」の意
機会を利用する
趁=おう・おもむく・ゆきなやむ
チン
走+㐱
異体字「𢌝・趂・𧽃・跈・蹨」
繁体字「趂」
↓↑
㐱=𠆢+彡
疹・沴の初文
㐱=異体字「鬒」
↓↑
㐱=人+彡
鬒=镸(長)+彡+眞(真)
眞=ヒ+目+乚+八
人(𠆢)+彡=㐱
髪が多い・髪が黒く美しい
髟=ヒョウ・ヒュウ
髟+α=髽髯髦髷髴髠
α+彡=彭羏彩彲簓彫諺
彦=立+丿+彡=亠+䒑+丿+彡
彥=文+厂+彡=亠+乂+丿+彡
文(模様)+厂(崖)+彡(模様)
「文+厂」→「产」で
はっきり際立った模様
彦=彥=顔立ちがはっきりした立派な男性?
↓↑
𠘱=几+彡=シン⇔風・・・彡=空気の流れ
𢒀=𢒁=乃+彡=𠘱
羽が生えたばかりの鳥が飛ぶさま
↓↑
𡯎=尢+彡=一丿乚彡=ナ(𠂇)乚彡=𡯎
尤+彡
尨(尢`彡)の異体字
異体字「𡯎・狵・庬・𧱓・𧱦・𧳑
むく・ボウ・モウ
毛がふさふさとした犬
雑色の
大きい・入り乱れる=厖
↓↑
曑・疹・診・駗・珍・胗・䪾・殄
眕・趁・畛・袗・飻・沴・紾・軫
抮・珍・殄・胗・昣・畛・袗・眕
疹・紾・翏・參・聄・軫・趁・診
跈・勠・摻・憀・慘・廖・滲
㐱
↓↑
翏(リョウ)
「羽と㐱シンからなり高く飛ぶなり(説文解字)」
「鳥の両翼と尾羽の形(字統)」
㐱=尾羽
髪飾り
「羽かざりをつけた人のさま(角川新字源)」+「彡」
↓↑
謬=言+羽+㐱
㐱=𠆢+彡
合+痕(あと・艮・傷痕・引掻き痕)
誤謬(ゴビュウ・logical fallacy)
・・・言は
呉(国)の
言を
羽(筆・pen)で
𠆢(合わせるように)
彡(引掻いた痕⇔文字痕・記録した痕)
詭弁=詭辯≠誤謬
キベン・σοφιστική・sophism
意図的に欺く「すり替え論述」
説明の関連性の不十分、
弁証の欠陥性の
誤謬とは区別される・・・
・・・言は
危(国)の
弁(辯)舌、弁(辯)言
↓↑
蓼=艸(くさ)+翏(羽𠆢彡)
たで・リョウ・リク
「蓼国リョウコク」
商=殷の時代から河南省にあった国
紀元前622年に楚国により滅ぼされた
「蓼科(たてしな・長野県の地名)」
↓↑
寥=宀+翏(羽𠆢彡)
さびしい・リョウ
寂寥(セキリョウ)
寥寥(リョウリョウ)
静かなさま・空虚なさま
うつろ・まばらなさま
↓↑
勠=翏+力・・・羽𠆢彡力
あわせる・リク・ロク
ころす=戮(リク)
↓↑
戮=翏+戈・・・羽𠆢彡戈
リク・ころす・・・殲滅(センメツ)
戈(ほこ)で殺す
殺戮(サツリク)
刑戮(ケイリク)
戮辱(リクジョク)
戮力(リクリョク)=勠力
↓↑
眉毛(まゆげ・eyebrow)
目の上部に弓状に生える毛・眉(まゆ)
額から落ちる雨水や汗が
目に入らないようにする機能
雨水やほこりや小さなゴミが
目にはいるのを避ける役割
↓↑
眉墨=黛(まゆずみ)
化粧品の一種
眉の形を美しく見せるために
眉を書き足すための化粧品、その化粧法
アイブロウ
↓↑
平安時代
上流社会で、眉毛を抜いた上で
「掃墨」という粉末状の墨で
眉を描き
引眉と呼ばれた
江戸時代
引眉の風習は既婚女性のものとなった
引眉は
明治三年(1870年)
「お歯黒」とともに禁止令
↓↑
眉唾(まゆつば)=騙されない心がけ
眉唾物(まゆつばもの)=真偽不明の怪しいもの
キツネに化かされないために
眉に唾をつけるとよい
キツネに化かされるのは
眉毛の数を読まれるから・・・
真偽の疑わしいものを
「眉唾物(まゆつばもの)」
イソップ
鴉が大きな肉をくわえて高い木にとまった
食べようとしたときに
狐に声をかけられ
容姿を褒められ
鴉は肉を食べることを忘れ
聞き入ってしまい
狐が
「きっと素晴らしい声をしているんだろうなあ
ああ、声を聞いてみたい」
と言うと、
鴉は「カー」と高らかに鳴き
くわえていた肉を落とし
下にいた狐の口に収まってしまった・・・
ーーーーー
・・・???・・・
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