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2018年12月19日13:17

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(再)前からふと思っていたのだが その10

ブティックの店員、保母さんなどのコントは除く、
若手のお姉ちゃんコンビがお互いをこき下ろし合う「掛け合い漫才」について。

『女漫才』には、リアリティが無い。
従って、「男漫才」には永遠に肩を並べられない。

男の餓鬼は、幼少から友達と言い合ったり、大声でけなし合ったり、
それを目に耳にしたりする。

男どもは、酒を飲むようになってから、余計にからかい合ったり、
こき下ろし合ったりする。
社会人になっても、酒を飲もうが飲むまいが、大声でからかい合ったり
こき下ろし合ったりする。また、それを側で見たり聞いたりする。

曰く、
A「こないだ、こいつんち泊まりにいったらさ、
 部屋中ゴミの山でさ、朝起きたら天井に頭ぶつけたぜw」
B「やかましいわw こいつの靴下の匂いで部屋の金魚が気絶したわw」

こんなのを男どもは、学生、社会人になっても実際に呑み会で
言い合ってるのである。

それが、いつまでも男が餓鬼な所であり、
「凛々しい、雄々しい」という意味の「男らしい」とは意味が違う、
男の男らしい所である。
このしょうもない男の習性は、女には無い。

その調子のまま、けなし合い、こき下ろし合いというお笑い芸の
「男漫才」、「男同士の掛け合い漫才」は行われる。
居酒屋の奥座敷で、兄ちゃん、おっさんが騒いでる調子そのままだ。

若いお姉さん同士が、日常、大声でけなし合ったり、からかい合ったり、
こき下ろし合ったりなど、お目にかかれないのだ。
だから、『女漫才』は、現実離れした、異世界のものなのだ。
従って、リアリティが無い。
当然、「男漫才」とはかけ離れたものとなる。

漫才師のおねーちゃんが、無理して、掛け合い漫才。
A「あんたんとこのおとーちゃん、前科三犯やもんねー」
B「なにゆーてんねん、あんたんとこのおかーちゃん、
  まだ現役でパンパンやんかー」

無理矢理過ぎ。違和感120%。臨場感無さ過ぎ。親近感、真実味皆無。

客の前でお姉さん二人が『このオカチメンコが!』『なによわらじの底!』
『番茶の出がらし!』『ドブさらいの竹箒!』
と言い合っても、永遠に『お芝居』でしかあり得ない。

リアリティの有無だけで優劣を付けたくはないが、
漫才のけなし合い、からかい合い、こき下ろし合いは、
リアリティの存在が肝心である。
あり得ない、とんでもない話で喧嘩しているシチュエーションでも、
そこに真迫性、臨場感、違和感の無い日常性、親近感があれば面白い。
それらのリアリティが無く、お芝居でしかないとなると、
ボルテージが低くなってしまう。
女漫才は、違和感ありまくりなのだ。

それは、男どもの、餓鬼っぽい、しょうもない「からかい合い」に過ぎないが、
そういうリアリティが無い『女漫才』は、リアリティが無いゆえに、
残念ながら、「男漫才」のリアルな雰囲気に永遠に勝てるはずがないのである。

これは、『女漫才』が、低次元のものと言っているのではない。
男の習性の方が低次元過ぎて、しょうもなさ過ぎて、
女には再現出来ないのである。

だが、中には、低次元で、しょうもないものの方が断然、
面白いものもあるのだ。

(2010年10月12日より再掲載)



■“男らしさハラスメント”で病んでいく男たち
(日刊SPA! - 12月19日 09:02)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=81&from=diary&id=5425093
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