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2018年12月06日16:39

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2641日目からのツヅキ・・・法治でアラずば・・・韓の子にアラず(非)・・・?

 2641日目からのツヅキ・・・近親、同族間のエンコン・・・?
ーーーーー
 大和三山
 神代に恋争いをしたという伝説
 額田王をめぐる
 天智天皇(中大兄皇子)
 と
 天武天皇(大海人皇子)
 との三角関係
 ↓↑
 出雲の
 アボニカミ(阿菩大神)という神様が
 香具山
 と
 耳成山
 の二人の男が
 畝傍山
 を妻にしようと争っているのを聞いて
 仲裁のため
 播磨の国まで来たところ
 争いがおさまったので
 この国にとどまった
 ↓↑
 「万葉集」巻一
 香具山
 と
 耳梨山
 と争(あ)いしとき
 立ちて見に来し
 印南国原
 (香久山と耳成山が妻争いをしたとき、
  阿菩の神が、
  この印南原まで見にやって来た)
 ↓↑ 
 「万葉集(巻一)」
 香具山・耳成山が女で畝傍山が男。
 香具山・耳成山が男で畝傍山が女。
 香具山が女で畝傍山・耳成山が男。
 ↓↑
 香具山は
 畝火
 愛(お)しと
 耳梨と
 相争いき
 神代より
 かくにあるらし
 古昔も
 然にあれこそ
 うつせみも
 嬬(つま)を
 争うらしき
 (巻一)
 ↓↑ 
 大和三山への
 心情を歌った
 万葉集の長歌
 藤原宮御井の歌として、
 青々とした香具山は
 宮の東の御門に春の山のように茂り、
 畝傍の瑞々(みずみず)しい山は
 西の御門に鎮まる瑞祥(ずいしょう)の山。
 耳成の青菅の山は
 背面の北御門に神々しくそびえ立つ・・・
ーーーーー
 尾張(おわり・糸冬)
 名古屋(名護屋・名児耶・奈古谷・那古屋)は
 「シロ(新羅・斯盧)」で持つ?
 ↓↑
 興正寺
 貞享三年(1688)
 天瑞-圓照(テンズイ-エンショウ)和尚
 が真言密教の道場として草庵を結んだ
 尾張二代目藩主
 徳川光友
 の帰依を受けて
 講堂を建立
 ↓↑
 中門は
 女人門と呼ばれていた
 興正寺は
 東山と西山に分かれており
 東山は女人禁制
 この門から先に女性は入ることは禁止
 中門のすぐ奥に
 五重塔(30メートル)
 文化五年(1808)に建立
 名古屋市内で残っている唯一の五重塔
 ↓↑
 宝暦十一年(1761)
 徳川宗春より
 「八事山」の三文字の親書を賜り
 それ以降
 「八事山 興正寺」
 と呼ばれる
 ↓↑
 「八事」
 『尾張国地名考』によると
 「八事」は
 「岩之田(やがた)」が
 ↓↑   八咫烏(やたがらす、やたのからす)
      磐余彦(伊波礼毘古)=神武天皇
      神武天皇
     『日本書紀』
      神代第十一段
        第三の一書は第三子
        第四の一書は第二子
      在位
      庚午年一月一日(紀元前711年)?
      ↓↑
      即位
      辛酉年一月一日(紀元前660年)
      橿原宮に初代天皇として即位
      G紀元前660(辛酉)年2月11(庚辰)日
      Y紀元前660(辛酉)年2月18(庚辰)日
         〜
      神武天皇七十六年三月十一日
      G紀元前585(丙子)年4月3(甲辰)日
      Y紀元前585(丙子)年4月9(甲辰)日
     「磐余の地の旧名
      片居または片立という
      大軍集(つど)いて
      その地に満(いは)めり。
      因りて改めてその地を
      磐余
      とする」・・・
 ↓↑
 鎌倉時代から室町時代にまでに転訛した
 『尾張名所志』にある
 「石田里(いしだのさと)」
 もこの八事だった・・・
 「八事」は
 「岩之田・石田」
 であった
 「石の多かった田」とういう意味
 「岩之田」「石田」が
 「八事」に転訛したもの
 「岩の田」よりも
 縁起のいい末広がりの
 「八」を使うようになった・・・
 ・・・
 「岩・石・磐・イワ」⇔「八」に転化(転嫁)?
 ↓↑
 『尾張地名考』に
 「音聞(おときき)の松」の話
 八事村の東南にある
 島田村に
 「音聞山」という山があり
 「音聞の松」があった
 享保の頃(1716〜1735)
 枯れてしまったが
 後その跡に
 若木を継いで
 今は「千歳の松」ともいう・・・
 ↓↑ 
  風ふけは
  鳴海の浦による波の
     おときヽ山の
     やまの名よしも
 ↓↑
 「音聞の松」が聞いたのは
 鳴海の浦に打ち寄せる波で
 そこから「音聞山」という名が起こった
 「音聞山」(天白区)という町名が残されている
 ↓↑
 天白川の名前
 緑区の三王山という場所に
 山王社という小さな神社があり
 その中に
 天白社という社があって由来となっている
 ↓↑
 山王神社
 比叡山の東にある
 日吉大社の別称
 神仏習合時代に
 山王権現と呼ばれた
 ↓↑
 天白社
 正体が不明
 本州のほぼ
 東半分にみられる民間信仰
 星・水・安産
 祈願など
 ↓↑
 星の信仰
 天白
 天一神と太白神から出たもの
 星の神
 伊勢神宮に
 天白が星の神である
 「てんはくのうた」
 という神楽歌が伝わる・・・
 天白を
 太白星(金星⇔金生・金姓)と考えていた・・・?
 ↓↑
 白浪滔天=白浪が山のように高い
 不分鄢天白日地干=昼夜を分かたず働く
 大天白日=真っ昼間に強盗を働く
 ↓↑
 オシラサマ信仰
 「てんぱく」と音読みされる以前は
 「おしら様
 (オシラサマ)」=蚕神、農業神、馬神
 と呼ばれた    桑の木で作られ二体一組の偶像
 道教と習合されて
 天白神信仰になった・・・
 「オシラサマ」は
 アイヌの
 「シランパカムイ」
 ↓↑
 白髭神社
 古代の
 新羅系渡来人が
 自分達の祖先を
 「新羅明神」として祭ったものが元
 「新羅(しらぎ)」=「白(しろ)」
 古代の有力氏族の
 「白猪(しらい)」氏も渡来系
 ↓↑  ・・・伊吹山の白猪神は日本武尊の敵対者
 ↓↑猪名部 真根=天皇や氏族に隷属する品部
  (いなべのまね)・・・
   猪名部御田
  (いなべのみた)
   猪名部は
   土木技術の工匠集団
   その部民の伴造で工匠集団の長は
 ↓↑新羅系の渡来人が任命されていた・・・
 白猪氏から分かれた
 荒田井氏は
 緑区鳴海の辺りに住んでいた・・・
 ↓↑
 民俗学者
 柳田国男は
 天白は風の神かも・・・
 ↓↑
 緑区の三王山のすぐ近くに
 隕石に由来する
 星崎がある
 志摩市
 大王町の
 天白信仰も、隕石に関係する
 東日本に分布
 「てんばく」
 原住民の信仰・・・
 志摩の大王町
 天白川
 近くにも
 旧石器時代の遺跡
ーーーーー
 雄略天皇
 蘇我満智が
 国内の献納物を納める
 大蔵の取締りを命じられ
 その配下の
 秦氏出納
 東漢氏、西文(カワチ)氏は記帳をした
 ↓↑
 王辰爾の子孫
 白猪・・・伊吹山の神・日本武尊に祟る
 ↓↑ ↓↑
    二十一代
   「雄略天皇=日本武尊」?
    大泊瀬幼武
   (おおはつせわかたけ)
    大泊瀬幼武尊
   (おおはつせわかたけるのみこと)
    大長谷若建王
   (おおはせわかたけるおう)
   「武=ワカタケル・タケル=建=若建」
     「獲加多支鹵・多支鹵」
 ↓↑ ↓↑
   熊本県の江田船山古墳出土鉄剣銘文
   「治天下犭复□□□歯大王」
      「多遅比弥都歯別」
      (タジヒノミズハワケ)
    十八代反正天皇(書紀)
        水歯別(古事記)
 ↓↑ ↓↑
   埼玉稲荷山古墳出土の鉄剣銘文
   「治天下獲□□□鹵大王」
      「獲加多支鹵大王」
       ワカタキル・・・鹵⇔ロ⇔ル
        ・・・鹵=ロ(ろ)=鹽=塩
        塩=土+𠂉+口+皿
        鹽=臣+𠂉+鹵+皿
        𦣪=𥂁・䀋・盐・𨣎・𪉟・𪉩・𪉹
 ↓↑ ↓↑ ↓↑ ↓↑
       「獲加多支鹵大王」
        ワカタケル
    大長谷 若 建  =雄略天皇
 ↓↑ ↓↑
   『宋書』本紀
   順帝紀
   昇明元年(477年)十一月己酉条
   倭国が遣使し方物(地方名産物)を献上
 ↓↑ ↓↑
   「倭王武」が「南朝宋」に上表  
    477年
   「使持節 都督倭・百済・新羅・任那・加羅
    秦韓・慕韓七国諸軍事 安東大将軍 倭国王」
    と自称し
    478年=昇明二年五月戊午条
   「使持節 都督倭・新羅・任那・加羅
    秦韓・慕韓六国諸軍事 安東大将軍 倭王」
    と
   「順帝(南朝宋の末代皇帝・姓は劉、諱は準
       第6代明帝の第三子
       第7代後廃帝の弟
       沈約の『宋書』后妃伝で
       実際には
       明帝の弟・桂陽王、劉休範の子)」
    から叙された
 ↓↑ ↓↑ ↓↑
   「雄略天皇=日本武尊=倭建=倭男具那=日本童男」
                (ヤマトオグナ)
   「小碓命(おうすのみこと)」
    は
    白猪=猪名部=新羅の技術者集団に殺された?
 白猪氏    
 船氏
 津氏
 は河内の
 古市に住み
 西琳寺は西文氏
 葛井(ふじい)寺は白猪(しらい)氏
 野中寺は船氏
 の氏寺
 漢人、阿智の使主の末裔
 東漢氏で檜隈に住む
 檜隈寺は東漢氏
 の氏寺
 ↓↑
 大和、河内、山城の地域
 帰化人の人口は全体の35%超
 5世紀後半
 今来の漢人
 鞍作、錦織、金作諸氏
 百済より渡来し
 蘇我稲目を支援
 天皇家は彼らを使用
 雄略天皇以降
 蘇我→韓子、高麗、稲目、馬子
 と天皇に仕え
 帰化人たちを統括した
 韓子、高麗、稲目、馬子
 が半島由来の名
 ↓↑
 蘇我石川宿禰
 満智(まち)−韓子(からこ)−高麗(こま)−稲目
 蘇我氏は百済系渡来人の総領家
 漢(あや)氏や秦(はた)氏を従えた
 財政官僚
 大伴氏や物部氏らは
 軍事官僚
 ↓↑ 
 小姉君(小兄比売)は渡来人の
 ペルシャ(波斯)人or白人(新羅)との混血・・・?
 『新撰姓氏録』に
 「弓月の君」
 に率いられてきた一族に
 「秦氏」
 ↓↑
 蘇我小姉君(そがの おあねのきみ)
 蘇我稲目の娘
 姉妹
 蘇我堅塩媛
 兄弟
 蘇我馬子
 欽明天皇の妃
 ↓↑
 子供
 茨城皇子
 葛城皇子
 穴穂部間人皇女
 穴穂部皇子
 泊瀬部皇子(崇峻天皇)・・・東漢直駒に殺害
 ↓↑
 孫
 聖徳太子(厩戸皇子)
 来目皇子
 殖栗皇子
 茨田皇子
 麻呂子皇子
 酸香手姫皇女
 蜂子皇子
 錦代皇女
 佐富女王・・・皇女、王女でなく女王?
 ↓↑     女王は女帝、女支配者?
        女性の王
        王の后
        内親王の宣下のない皇族の女性
        皇族で3世以下の嫡男系嫡出の女性
 ↓↑  ↓↑ ↓↑
     佐富女王(さとみのひめみこ
          さふのひめみこ
          さほのひめみこ)
 ↓↑  ↓↑ ↓↑↓↑
          狭穂 姫命
         (さほひめのみこと)
          沙本 毘売命
          佐波遅比売命
         (さわじひめのみこと)
            ↓↑
          垂仁天皇五年十月薨
          垂仁天皇の皇后
         (垂仁天皇二年二月九日立后)
          皇子
          誉津別命(本牟智和気御子)
          同母兄
          狭穂彦王(沙本毘古)
 ↓↑  ↓↑ ↓↑↓↑
     父は田目皇子(多米王)
         ・・・駄目・試・同目・多目
     母は穴穂部間人皇女
     穴穂部間人皇女は
     田目皇子(多米王)の父
     の用明天皇の皇后で
     用明天皇の崩御後に
     田目皇子(多米王)と再縁し
     佐富女王を産んだ
     聖徳太子の異母兄の娘かつ異父妹
     甥で、従兄弟に当たる
     長谷王
    (聖徳太子と膳部菩岐々美郎女の子)
     と結婚し
     葛城王
     多智奴女王・・・?
        女王⇔多くを智(知日)る奴
     を産む
ーーーーー
 ・・・紀元前722年〜紀元前660年=神武元年
 ↓↑
 徳公(トクコウ)
 紀元前710年〜紀元前676年
     ・・・紀元前722年〜紀元前660年=神武元年
 ↓↑ 722-660=62=六拾弐=陸拾貳
 秦の第六代公
 憲公の次子
 ↓↑
 武公二十年(前678年)
 同母兄の武公が死んで
 徳公が
 秦公となった
 33歳
 ↓↑
 徳公元年(前677年)
 雍城の大鄭宮に住み
 犠牲
 三百牢を供えて・・牢=家畜化された牛
 鄜畤(フジ)・・・夢から覚めた
          文公は
          鄜に祠廟を建てて
          白帝(中国の神様)を祀った
         (紀元前756年)
          白帝は西方角と五行金徳の神
 を祠った
 この年
 梁伯・芮伯が来朝した
 ↓↑
 徳公二年(前676年)
 初めて
 伏の節・・・伏=イ+犬=ふす・フク
 ↓↑    圧伏・畏伏・帰伏・屈伏
       降伏・承伏・信伏・説伏
       夏の最も暑い時期
      「伏日/三伏・初伏」
       仏法の力で人を
 ↓↑    降伏・折伏・調伏
 を行い
 狗(いぬ)を殺して
 蠱(コ・悪気)をふせいだ・・・穀物につく虫
 この年に死に
 長子の宣公が立って
 秦君となった
 ↓↑
 蠱(コ)=まじないに使う虫
 ↓↑   人を害する呪いや毒薬
      蠱毒・巫蠱(フコ)
      惑わす・乱す
      蠱惑(コワク)・・・
        「怖い・恐い・強い」+句?
      易の六十四卦の一
      上卦は艮(ごん)(山)
      下卦は巽(そん)(風)
      山風蠱とも
      蠱は故(こ)の音通
      事の意
      風が吹いて山林中の
      汚気を一掃
      旧弊を一新
 ↓↑
 蠱物(まじモノ)=まじないをしてのろうこと
    まじない術・まじ
   「畜(けもの)仆(たふ)し、蠱物する罪」
   (祝詞・六月晦大祓)
    人を惑わすもの・魔性のもの
 ↓↑
 蠱毒(こどく)=古代中国の呪術
    動物を使うもので、華南の少数民族の間で
    受け継がれ
    蠱道、蠱術、巫蠱(フコ)
ーーーーー
 ・・・???・・・韓非子(カンピシ)・・・
 法治でアラずば・・・韓の子にアラず(非)・・・?
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