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2018年12月05日17:01

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ささやかな年末の「梁祝会」12/1東洋大学へ続三義先生の講演「中国留学と中国研修」を聞きに行く

ささやかな年末の「梁祝会」12/1東洋大学へ続三義先生の講演「中国留学と中国研修」を聞きに行く

2018.12.05 Wednesday


2018年12月1日 14:00〜17:00東洋大学白山キャンパス へ、

(続三義先生は元北京外国語大学教授)
今回は残念ながら、塚越さんは練馬の書道展の手伝いでおいでにならなかったが、
遠路前橋からおいでいただいた浦野さん、これまでに10セット以上の梁祝三部作を周囲の人に紹介し売りさばいてくれている千葉の渡辺さんも駆けつけてくれた。

続先生にはその講演の中で概略「中日双方の留学に関する変遷」というような内容のなかで北京外国語大学に留学し「梁祝リャンチュウ伝説」と出会った人物として渡辺のことを、梁祝墳墓の写真入りで取り上げ紹介していただき、全体会が終了する最後に司会者に指名され、一言と発言も求められささやかな年末の「梁祝会」となった。



シンポジウム終了後、浦野・渡辺で地下鉄白山駅の近くの「鳥貴族」で二時間ほど話し込み、ささやかな忘年会ということで二人で盛り上がった。

東洋大学人間科学総合研究所主催
「学生のモビリティの可能性と問題点、特に海外研修科目をめぐって」
特別講演・シンポジウム 一般公開
「日本と中国(大陸・台湾)の学生間交流」
ほかにも「東洋大学のドイツ、欧州研修」等のテーマの講演もあったが、続先生の部分の内容は以下概略

続三義先生(東洋大学経済学部教授)の講演内容
「中国留学と中国研修」
1,日本人の中国留学
1の1:1949年〜1972年
日本人の中国への留学が不可能な時代、当時中国は、西側の国とはほとんど国交がなかったので、アジア(日本、韓国が含まれない)・アフリカ諸国との交流しかなく、いわゆるアジア・アフリカ・ラテンアメリカ諸国からの留学生がほとんどだった。

1の2:1972年〜
☆1972年、中日国交正常化により、日本人の中国留学が初めて実現できた。
☆1978年以降、中国の対外開放政策に基づき、多くの外国人留学生を受け入れるよ うになる。
☆2010年までは、日本からの留学生は1万5千人(文科省HP).
☆中国から日本への留学生は、政府交換留学生は1976年が初めてなので、日本から中国への最初の政府交換留学生もこのころだろう。

1の3 香坂順一氏(元大東文化大学学長)の実践
☆ 1992年、北京外国語学院(大学)の協力の下、北京外国語学院(大学)に、もっぱら日本人留学生を受け入れる、4年卒業を目指す教育機関・国際交流学院を設置した。日本の高校を卒業した生徒は直接北京外国語大学に入り、4年間の勉強を経て、中国の大学を卒業できる仕組み。
☆この学院の仕組みは、中国語で講義する一方、必ず第二外国語としての英語も習得しなければならない。そのうえ、日本人の教授による日本の経済、社会、言語、文化の特別講義もある。
☆この国際交流学院では、高校生のほか、社会人による研修も受け入れている。
☆その中で、渡辺明次氏が勉学中、梁山伯と祝英台(リャンシャンボとチュウインタイ)のことをめぐって、中国人もできなかった、そのすべての遺跡をたどり、立派な卒業論文をまとめ、今でも、日本でその研究を続けている・・・・・・・・・・

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