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2018年12月04日10:33

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何て言うんでしょうかね、馬鹿なの?と。

下駄箱の靴と、教室の出欠簿を付ける意味が分からないって、馬鹿なの?と。

登校しているけど、教室にいない生徒の有無を確認するために決まっているでしょ?
学校って、案外死角が多く、誤って何処かに閉じ込められていたり、怪我や病気で動けなくなっていたり、イジメにあって教室にいない生徒の有無を確認するためですよね。

そもそも、学校って不自由を学ぶ場所でもある訳でしょ?
家で野放し、学校でも自由奔放、

で?

って話ですよ。
その人の人生は社会に出てからが本番なんですよ。
その本番の場所では、理不尽な話や、様々な制限のもと、不自由な生き方が求められるんです。

その不自由な環境で、如何に自分をだし、自由を求めるのか?

という事を自ら学ぶための、修練の場なんですよ、学校って。
だから、規則でがんじがらめになっているんですよ。
その規則も、変える努力、規則の穴を付く等の行動もありますが、規則を破ったら罰を受ける事を学び、逆に規則を破り、悪い事をしていると自覚を覚えるのも学校の教育の一部なんです。
だから、学校が不自由で当たり前で、不自由だからこそ工夫をし、自由を探す工夫をするんですよ。
そもそも、自由とはどういうことかという事をこれを言っている人達は理解しているのでしょうかね?

自由奔放は、「自由」という文字を使っていますが、単なる無法ですよ?

自由とは、自分の主張と他者の主張と折り合いが付けられる者が得られる権利の事です。
折り合いの付け方は、人それぞれで、それを学ぶのも学校なんですよ。
人によっては、強引な力技で折り合いを付ける事もあるのでしょう。
その結果は、いろんな形で自分に戻ってきますよね?
状況によっては、単なる嫌われ者になるでしょうし、その主張の内容によっては頼りにされる人になるでしょう。
また、帳合を取って折り合いを付ける人もいます。
それはそれで、「うまい」と評価を得る事もあるでしょうけど、「調子がいい」と陰口をたたかれる事もあります。

この折り合いの付け方こそが、ある意味学校での自由なんですよ。
自分のやり方、人のやり方が違う事を知り、やり方を変えたり、良い所を受け入れたり、或いは、そもそも何もしないと言うのも、子供の個性なんですよね。

何ていうのか、ここで言う自由や不自由や、多様性って、表面的な事だけじゃないですかね?

そもそも嘗ての日本製品が何故優秀だったのか?って話ですよ。
日本は国土が狭く資源が無いため、諸外国と異なり、様々な制約が無ければ立ち行かない国です。
近年の話をするならば、日本の道路事情に合わせて普及型の車両は、車のサイズに制限がありました。
その限られたサイズの中で、最大限の効率を求めてデザインされ、性能を高める工夫をしたから、日本車が大衆車としては世界最高峰の品質を誇っていたわけですよ。
ただその反面、それ故に高級車が苦手という面が出てしまい、その方面では長く立ち遅れていましたけどw
古くは、江戸時代の綱吉の時代でしょうかね?庶民を含め贅沢禁止令が出されています。
その結果、他の素材を使って、贅沢品と同等の質を出す工夫を凝らしてきて、日本の民芸品が、世界から高く評価されるに至っています。
幸い、豊かな国になりましたから、お金を出せば何でも買えちゃい、輸入していますので、今は然程の不自由を感じないで済んでいます。
ただ、日本の国土が広がったわけでは無く、依然広がったわけでは無く、資源の無い狭い国土のままなんです。
そういう日本が世界を相手にしていくのに必要なのは、自由な発想力でしょうか?制限の中で工夫できる力なのでしょうかね?と言う話です。

自由な発想、奔放な行動って、ある種の才能ですからね?

誰しもが一定水準まで行くのでしょうけど、役に立つレベルに到達できるのって、極々一握りの人ですよ。
反対に工夫は、才能も要素の一つですが、愚鈍でも実直に繰り返す事で、凡人でも一定水準に達する事が出来るんです。
その凡人のレベルが、世界の標準よりも遥かに高かったから、日本人は優秀だと言われていたわけですよ。

表面上の自由を担保し、表面上の多様化を求めて何になるんですか?

不自由な環境を経て求めて実現した自由と多様化こそが、その人の財産だと思うんですけどね?
可愛そうですが、オンリーワン何て妄想ですよ?
その他大勢の自由と多様化なんて迷惑以外何物でもありませんよ。
不自由な環境に打ち勝ってこそ、社会で頭角を現す人になるのでは?と。
不自由な環境に埋もれると書くと、悲惨な状況を想像してしまいますが、それは極普通人の極普通の生き方ですよ。
我慢を覚え、地道さの意味をしり、コツコツと進んでいく人生です。

いま、これが出来ない極普通の人が沢山いるわけでしょ?

普通の人のレベルが下がっているんですよ、日本は。
その原因は?と言えば、馬鹿が提唱する自由と多様化ですよ。
単なる我儘を自由と多様化と言う言葉に置き換えた馬鹿が居るんです。

学校は不自由です。
その不自由な学校で、自由を求めて学業に勤しむのは、学校の責務ではなく、教育を受けさせる義務を負った親の責務ですよ?

下着の色が白と指定されているのなら、白い下着だけを買い与えれば良いんです。
子供が仮に、それが嫌だと思ったら、工夫しますって。
親に白以外の下着の着用を知られたくなければ、自分で洗濯しますよ。
そう言う話なんですよ。

何かといえば、子供に寄せる話が横行していますが、自ら工夫する機会を奪うような寄せ方が、子供の為になるとでも思っているのでしょうかね?

学校は不自由で十分です。
親が不自由な学校に行かせよう、不自由な学校でも楽しめる工夫をさせる教育をする事で、先生の負担が減り、先生が他の事に気を配れるようになるのでは?
学校は、サービス業ではありませんよ。

学校は、教師という生き方を選択した人達が、将来を担う子供に教育を施す場です。

仮に、教師が生き方ではなく、職業として選んでいたとしても、その原則を崩せば、害を受けるのは子供ですよ。





■「給食中は私語一切禁止」学校を取り巻く“不自由”の実態
(AERA dot. - 12月04日 07:02)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=173&from=diary&id=5403340

 時代に合わない規則、忙しすぎて子どもに向き合えない先生、自分の子どもの教育に熱心になるあまりに周りが見えない親……。「学校が不自由だ」という声が数多く寄せられた。いまこそ学校現場の改革が必要だ。

【アンケートを見る】何が先生を不自由にしている?

*  *  *
 昼どきの小学校は誰もいないのかと思うくらい静かだった。授業参観のため学校を訪れた女性(45)は、当時1年生だった娘の教室の後ろ扉をそーっと開けた。すると、目にとびこんできたのは、全員が前を向いて黙々と給食を食べる姿。

 私語は一切なし。楽しいはずの食事の時間がなにかの訓練の場のように見えた。参観に来ていたほかのママ友たちとアイコンタクトで外に出て、首を傾げた。女性は言う。

「『黙食』と呼ばれる指導なんです。子どもたちがしゃべりながら食べると時間がかかるかららしいです。娘は入学したばかりのころ、給食の時間が怖いと泣いたこともありました」

 娘は食べることが好きで、おいしければ「おいしいね」と言わずにいられないし、初めての食べ物を見たら「これ何?」と聞かずにはいられない。でもそうすると、先生にシーッと注意されてしまうのだ。

 アエラでは「学校を不自由にしているものは何?」と題したアンケートを11月に実施した。この問題への関心は高く、インターネットなどを通じて2週間で、親や先生682人から回答が集まった。「子どもたちにとって、学校が不自由だと感じますか」との問いでは、「非常に感じる」(56.2%)と「感じる」(37.1%)が合わせて9割以上に上った。

「不自由」の正体はいったい何なのか。

 アンケートでは「体感温度は人それぞれだが、制服の冬服・夏服の期間を指定される」「体育は一年中半袖短パンという決まり」「下着の色にまで干渉する」など、服装を始めとする学校生活の細部にわたって自由がないという声も目立った。

 小学生の子どもをもつ保育士の女性(43)は、こうした校則に無念さがこみあげる。勤める保育園では0歳からの未就学児を預かる。

「寒かったら、自分でもう一枚着ようね」
「汚れたって気が付いたんだね。じゃあ着替えてらっしゃい」

 小学校に上がるまでに、自らの状況を判断し自分で行動できるよう指導している。それなのに、小学校に上がった途端「判断してはいけなくなる」とは。

「なんでも一律に決めてしまえば、先生も子どもも考えずにすむので楽かもしれませんが、そこで失われるものは大きいと思います。多様性は大事にされていないのでしょうか」

 学校の不自由さを感じているのは子どもや親だけではなく先生もだ。アンケートでは、「先生としても学校が不自由か」を聞いたところ、不自由と回答した人は96%に上った。

 30代男性の中学教員は朝、靴箱の前に立つと気が重くなる。担当学年、約200人分の生徒の靴を見て出欠確認し職員室の黒板に書くという業務があるからだ。もちろん各教室では担任が出欠をとる。

 なぜ、靴箱でも出欠確認をする必要があるのか、他の教員に聞いても「これまでやってきたから」「自分の学年だけやらないわけにはいかない」といった答えしか返ってこない。

 管理職に尋ねても、合理的な理由はわからない。実際、職員室の黒板に書かれた出欠情報を見ている教員はほとんどいない。

「いったん決めたことが形骸化しても、見直してやめるという発想が学校現場にはありません。だから忙しくなる一方です。慣例的に行われてきたことについて、上の人間に問いただすこと自体、はばかられる空気もあって完全に思考停止状態です」

 首都圏の小学校に勤める男性教員(39)の学校では、「筆箱の中は鉛筆5本と赤鉛筆1本、定規、消しゴム」と決められている。さらに「消しゴムの色は白」と指定されているが、その理由まではわからない。

「本来であればなぜその決まりがあるのかを考えたり、どうあるのがベストなのかを教員たちで話し合うべきなのかもしれませんが、その余裕がありません」

 先生たちの不自由の背景には「忙しさ」があるという声は多かった。この男性は、朝8時に学校に入ったあと約10時間、休憩なしのノンストップだ。午前中の授業を終えると、給食、昼休み、掃除の指導と続く。給食中は、話に夢中になる子がいれば声をかけ、食の細い子は励まし、自身が落ち着いて食べる暇はない。規定では15時半ごろに45分間の休憩があるようだが、そんな時間は取れたためしがない。放課後も、会議や校務、次の日の授業準備や学級の仕事、さらに行事の準備ときりがない。

「仕事の絶対量が多く、勤務時間内にとても収まりません。オーバーフロー状態です」

 男性は家にも仕事を持ち帰る。学期末の忙しい時期は深夜にまでおよぶ。多様性を尊重したくても、とても考える余裕がないという。(編集部・石田かおる)

※AERA 2018年12月10日号より抜粋

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