大阪マラソン2018が終わりました。
先週の神戸マラソンは嫁さんの付き添いでゆっくりランでしたが、今回は自分のためのガチレース。大阪マラソンは来年からコースが新しくなるため、旧コースでの最後のレースでもありました。
思えばここ数年、自己ベストはいつも大阪マラソンで更新してきました。
自分にとって最高に相性のいいコース。それが大阪です。
今年も前日受付からそのまま大阪に宿泊してレースに挑みました。
やはり大阪マラソンの規模は大きく、前日から盛大なお祭り感が満ち満ちていました。
当日は快晴。風もほぼなく、気温も丁度いい。絶好すぎるコンディション。
スタートは先頭から10m程に陣取り、スタートの号砲を迎えました。
実は今回は調子が上向かず、正直不安いっぱいのスタートでありましたが、号砲とともに前に飛び出した瞬間、すべての邪念が吹っ飛びました。
沿道の応援は今年も変わらず大勢で、みな大声で、たくさん元気づけてくれます。しかし、それはほとんど意識の隅にあり、考えることはとにかく自分との対話。腕、脚、骨盤の動き、呼吸の深さをチェックし、1キロ毎のタイムを睨み、決して周りのランナーに惑わされず、自分の今日のペースを探りました。
「キロあたり4分ひと桁」リスクはあれど今日できる限りでの“走り続けられるペース”がこれでした。そして我慢のレースがはじまりました。
このペースでは周りのランナーに次々と抜かされていきます。でも時計を信じ、前半はどんどん抜いていただくのだと思い、ペースを一定に保ちます。序盤から息遣いは大きくゼーハーしますが、意識的に呼吸を深く大きくし、対応します。
中盤、ハーフの通過タイムが1時間26分台。既にハーフの自己ベストを上回っています。あと半分。体は心肺も筋肉もフル稼働で大変ですが、まだ走れる。ペースはキープしていきます。ただ徐々にじわじわと体が重くなってきます。少々意識せねばペースがスッと落ちてしまうため、ラップタイムにより意識を傾ける分、一方でフォームが崩れないようケアしながら。
30キロ経過。あと12キロ。ここからはとにかく「淡々と、ただただ淡々と」を自分に言い聞かせながら淡々と走るようにしました。辛い苦しい歩きたいといった心の声を飲み込み、淡々と集中して走ること。ひたすら耐えて淡々と。呪文のように自分に「淡々と」と説きながら。
37キロ。南港大橋。橋の登りはキツいけれど、そう長い上り坂ではない。気合で登り切ったとき、10月の四万十川ウルトラマラソンで泊りが相部屋だったNさんを沿道で見かけました。「Nさん!」と手を振りました。Nさんは一瞬こちらを怪訝そうに見てすぐ視線が離れました。それもそのはず、私は帽子を目深にかぶりサングラス着用でしたから。でも見事四万十川でサブ9を達成したNさんを見て少し元気が出ました。私の四万十川ウルトラマラソンは90キロ地点で脚が無くなり、残り10キロはほぼ歩きに近いペースでした。でも今日は違う。まだ脚は終わっていないし、残りはたったの5キロ。
40キロ。心肺は限界。身体も思うように動いてくれず、スパートがかけられない。でもペースは絶対落とさない。
42キロ手前。間もなくフィニッシュゲートが見える辺りの曲がり角で歩いているランナーを抜きざま「もうあと少し!頑張りましょう!」と振り返りながら手を叩きながら激励した瞬間、左足底と右ふくらはぎがビキッと痙攣しました。でももうあと残り500m程。ここまで来たら死んでもペースは落とせない。ゲートが見えた瞬間、フィニッシュ地点の点のみしか見えず、そこに向かってほぼ無呼吸で最後のスパートをかけました。
グロス 2時間54分43秒
ネット 2時間54分37秒
決して更新できないと思っていた昨年の大阪マラソンでのベストを2分以上更新できました。ゴール直後、振り返りコースに一礼した体勢のまま咆哮しました。
長く厳しいレースでしたが、一方であっという間のような気もします。
自分に2時間55分を切る力があったなんて。マラソンをし続け、辛い練習を黙々と続けたからこそ、そういう新しい自分を見つけることができました。
さて次走は12月23日の加古川マラソン。
いい意味でリセットして、また頑張りたいと思います。
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