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2018年10月16日20:28

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仁徳天皇陵・・・

 宮内庁と堺市は昨日、同市にある日本最大の前方後円墳
 「大山古墳」または「大仙稜古墳」(仁徳天皇陵)について、
 今月下旬から共同で発掘すると発表しました。
 古墳保存のための基礎調査ですが、
 歴代天皇や皇族の陵墓の発掘に宮内庁が外部機関を受け入れるのは初めての事です。
 この古墳は、全長約500mで、三重の濠がありますが、
 今回の調査は10月下旬〜12月上旬、埴輪列などがあったと考えられる
 最も内側の堤(幅約30m)に幅2mの調査区を3カ所設け、
 堺市の学芸員1人も発掘や報告書作成に加わるとの事です。
 宮内庁陵墓課は、今後も堤の別の部分や墳丘の裾などを発掘し、
 濠の水で浸食されている古墳の保存計画を作るとの事です。

 この古墳は、仁徳天皇陵とされて来ましたが、
 実際の被葬者が誰なのか、学術的には確定していないため、
 最近は、大仙稜古墳とか大山古墳とか呼ばれています。
 江戸時代の元禄年間(1688年〜1704年)に、朝廷が「仁徳天皇陵」と指定したとされ、
 現在でも宮内庁は、これにしたがっています。

 仁徳天皇は第16代の天皇で、難波に都を定め、
 人家の竈から炊煙が立ち上っていないことに気づいて3年間租税を免除するなど、
 その治世は仁政として知られています。
 また、『宋書』倭国伝に記される
 「倭の五王」中の讃または珍に比定する説がありますが、確定はしていません。
 崩御したのは、日本書紀を単純に西暦に置き換えると、399年になります。
 「仁徳天皇陵」の築造は5世紀中頃との説が有力で、
 50年以上のずれが生じてしまいます。
 古事記の崩御の年は、西暦に置き換えると427年になりますので、
 こちらは概ね当てはまりそうですが、
 仁徳天皇は実在しなかったとの説もあり、
 誰が葬られた墓なのかは、学術的な調査をしないと分からないのかも知れません。

 宮内庁では、天皇家の墓とされる「陵墓」は「尊崇の対象」であるとして、
 「静安と尊厳の保持がもっとも重要だ」という立場から、
 学術調査を含む立ち入りを厳しく規制してきました。
 考古学界は陵墓の公開と保全を訴えており、
 宮内庁は2008年から、
 日本考古学協会など考古・歴史学の16団体に限定的な立ち入り観察を認め、
 2016年3月には地元自治体や研究者に協力を求める方針に転換し、
 徐々に公開度を高めて来ていますので、今回の調査もその一環なのでしょう。

 大仙稜古墳を本格的に発掘するとなると、莫大な経費が掛かる事も間違いないですが、
 日本の古代史は、天皇陵の発掘調査が出来ないために、
 解明出来ていない事が多いと思っています。
 天皇家の先祖伝来の墓であるとの宮内庁の考えも分からないのではないのですが、
 学術的な解明を進める事が、日本の正しい歴史を明らかにする事になります。
 現在のような宮内庁の方針では、
 いつまでたっても日本の国の成り立ちが分からないままになるような気がしています。


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