2614日目
・・・ウシナワレタ「11=十一=拾壱=足壱=XI」・・・バラかキクか?・・・「マグダレナ・ソフィア・バラ」?・・・ダレ?・・・バラ=茨=いばら・・・茨木・茨城・荊木・棘木・・・井原西鶴?・・・バラに刺あり・・・キクにミミあり・・・茨の冠・・・キクのハナには・・・???・・・ハラにヘソあり・・・臍(毘)には「ごま=胡麻・護摩・独楽・駒・狛・高麗」・・・
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バラか、キクか、ウシか?
↓↑
尼寺を設立・・・・・・・天寺・蛙目出等・鴉目出等
冶承四年(1180年)・・・事象・自性・自照・自笑・字象
↓↑
平家追討の兵を挙げた
朝日将軍
木曽義仲
↓↑・・・源 義仲=信濃源氏の武将・河内源氏の一族
源義賢の次男
源頼朝・義経兄弟とは従兄弟(いとこ)
木曾 義仲=「朝日=あさひ=旭」将軍
木曽=当時は美濃の国
義仲が匿われていたのは
東筑摩郡
朝日村(朝日村木曽部桂入周辺)
後白河天皇の第三皇子の
以仁王=源以光の
「以仁王(もちひとおう)の令旨
治承四年(1180年)」で
平氏打倒の挙兵
寿永二年五月十一日(1183年6月2日)
倶利伽羅峠の戦い
(くりからとうげのたたかい
倶梨伽羅峠の戦い
「砺波山=礪波山」の戦い)
で
平維盛に勝利し
京へ向けて進撃し、同年七月上洛
平家は、
↓↑ 安徳天皇を伴って西国へ落ち延びた
元暦元年一月・・・1184年4月16日〜1185年8月14日?
↓↑ 甲辰・戊辰・丙戌
元暦二年七月九日(1185年8月6日)京都地震
地震のマグニチュードは M7.4 と推定
法勝寺など巨大寺院群が崩壊
乙巳・癸未・癸未
文治元年(元暦二年)乙巳(1185)
↓↑ 元暦二年三月 壇ノ浦に平家滅びる
西暦の元の暦の元の年の一の月?
庚申・戊子・己卯(申酉=空亡)
猿 鼠 兎
↓↑
粟津原・・・・粟の津の原・・・アワのツのハラ
足神源・賊心原・続震源?
粟=覀+米
あわ・ゾク・ショク・ソク
↓↑ 異体字は「𠧼・䅇・𥟫・𥸫・𥹟・𥻆・𥾄」
で最期を遂げ
宮菊・・・・ミヤのキク
菊=艹+勹+米(丷+十+八)
という一歳違いの
異母妹
「吾妻鏡・文治元年(1185)の条」・・・吾の妻の鏡?
文辞・文字・文事・分字 後歳(差異)の加賀見?
頼朝の妻
政子は・・・政子=尼将軍
宮菊を
「やしない子(養女)」にし
都に居た菊姫は
将軍の息女ということで
周囲にいた者たちが
菊姫の名前を騙(かた)って
役に立たぬ古文書をあげたり
不知行の荘園を寄付したり
菊の使いだといって
官位が高く権勢のある家柄の
荘園の年貢を横取りしたりした
これが
頼朝の耳に入り
頼朝は
菊姫を捕らえて
鎌倉に連行するように命じた
菊姫は自分は一切知らないと弁明し
政子がとりなし
頼朝は、兄
義仲は朝敵として討ったが
菊姫に罪はないとし
その境遇に同情し
『美濃国
遠山の荘の一村』
を与え
義仲恩顧の御家人である
小諸太郎光兼らに命じて
菊姫の面倒をみさせた
遠山の荘の一村とは
↓↑
馬籠
のこと・・・島崎藤村の「夜明け前」・「破戒」
・・・???
ーーーーー
キリスト死後の墓参の女性
↓↑
マルコ16章=マグダラのマリア
ヤコブの母マリア
サロメ
の三人
マタイ28章=マグダラのマリアと
もう一人のマリア
の二人
ヨハネ20章=マグダラのマリアだけ
ルカ 24章=マグダラのマリア
ヨハナ
ヤコブの母マリア
一緒にいた他の婦人たち
↓↑
イエスの母マリア
マグダラのマリア=ベタニアのマリア
ヤコブとヨセの母マリア
クロパの妻マリア=イエスの母の姉妹
↓↑
ゼベダイの子らの・・・ゼベダイの妻の
母の名は
「マリア・サロメ」・・・ヘブライ語で
「サロメ=平和」の意味?
↓↑
ゼベダイ(Zebedee)=ヘブル語の
「主の賜物・授けられし物」
ゼベダイの妻「サロメ」・・・Salome
↓↑ サロメ(Salomé)=さるめ=猿目=猿女?
↓↑ ↓↑
同名の別人は
オスカー・ワイルドの戯曲の『サロメ』
(新約聖書マタイ伝14章、マルコ伝6章より)
1891年フランス語で書かれ、1893年にパリで出版
↓↑ ↓↑
サロメの
義理の父は古代
パレスチナの領主
ヘロデ・アンティパス
実母はその妃
ヘロディア
養父は
サロメ=ヘロデ・アンティパスに
祝宴での舞踏の褒美として
「好きなものを求めよ」と言い
サロメの母
ヘロディアの命により
「洗礼者ヨハネの斬首」を求めた
新約聖書には
サロメの名は記録されていない・・・?
同名の異人だからか?
「マリア」=「サロメ」は個人名か?
↓↑ 「罪深い女」=ヘロディアの娘「サロメ」?
ゼベダイの妻
「サロメ」は
イエスの母マリアの姉妹
カペナウムの裕福な漁師
使徒ヤコブとヨハネの父
ヤコブが兄、ヨハネが弟
↓↑
「マグダラのマリア」
「ベタニアのマリア」
「罪深い女(ルカ(7:36-50))」
同一人物であるとしたのは
591年
ローマ教皇
グレゴリウス1世(Gregorius I)
540年?〜604年3月12日
在位は、590年9月3日〜604年3月12日
問答者グレゴリウス(Dialogos Gregorios)
ロマの「パパ」
問答者聖グリゴリイ(鍵括弧原典ママ)
大聖グレゴリウスとも
典礼の整備、教会改革の教皇
↓↑
グレゴリウス13世(Gregorius XIII)
1502年1月7日〜1585年4月10日
辛酉(庚・ ・辛)⇔乙酉(庚・ ・辛)
辛丑(癸・辛・己)⇔庚辰(乙・癸・戊)
癸巳(戊・庚・丙)⇔壬午(丙・ ・丁)
午未=空亡
↓↑
グレゴリオ暦
(伊語 Calendario gregoriano
英語 Gregorian calendar)
ローマ教皇
グレゴリウス13世が
ユリウス暦の改良を命じ
1582年10月15日(グレゴリオ暦)
から行用されている暦法
彼は
1572年
サン-バルテルミの大虐殺で
新教徒の殺害を喜び、ミサをあげた
1585年
日本からの
天正遣欧使節の
少年使節たちを謁見
↓↑
グレゴリオ暦
325年ニケーアの宗教会議
復活祭の日を決定する必要上
春分の日を毎年
3月21日と定めた
ユリウス暦を使っていたので
1582年
には実際の
春分の日は
3月11日
になっていたので・・・ズレを修正
暦改革
↓↑
1582年10月 4日の翌日を
1582年10月15日とした
↓↑
キリスト降誕(紀元)年数が
4の倍数の年を閏年とし
ただし
紀元年数が
百の倍数(当然4の倍数)である場合には
4百の倍数でない限り
平年とする」と定めた
↓↑
我らの「11日」を返せ
イギリスの新暦
新教国であったイギリス
その殖民地アメリカ
はグレゴリウス暦を拒んだ
1751年
イギリスで
元国務大臣
チェスターフィールド卿が
2年にわたって大衆紙や貴族を説得し
新暦の採用が議会を通過
その法令により
1752年から
1月1日を年の起点とした
(それまでは3月25日だった)
旧来の
ユリウス暦で積み重なった
誤差を正すために
9月 2日の翌日を
9月14日とした
これで
1年のなかで「11日」が消えたので
「我らの11日を返せ」
という抗議行動が起こった・・・
「11=十一=拾壱=足壱=XI」・・・
↓↑
聖母マリアの受胎告知の日(3月25日)
イギリスでは
3月25日が
1年の始まりだった
↓↑
1689年2月13日
名誉革命
ウィリアム3世
メアリ2世
が即位し
当時は1年の始まりが
3月25日だったので
2月13日は
前年の
「1688年の革命=名誉革命」
とされる・・・
↓↑
・・・神殿「売春婦」
ミュリッタ=新バピロニア王国
(紀元前625年〜紀元前583)では
「神殿売春」
「エフェス遺跡は紀元前11世紀
イオニア(古代ギリシャ)人により建設
アルテミス神殿を中心にした都市国家」
そこに存在する
「12000冊以上の蔵書」を有する
「セルシウス図書館」は
「アルタミラ神殿」に隣接
その看板は「足型」
「この足型より小さい足の人は、売春お断り!」
↓↑
ヘロドトスは
古代エジプトに存在した「神殿娼婦」を
『歴史』の中でその慣習を記録
↓↑ ↓↑
首都アテネから北西へ約180km
デルフィ遺跡
ギリシア中部パルナッソス山麓にあった
ポリス(都市国家)
紀元前8〜前6年ごろは
全世界の中心と呼ばれ
「汝自身を知れ」
「過ぎたるは及ばざるがごとし」
の
予言の神アポロンが崇拝されていた
神殿北側の丘の上に
天然の岩山を削って造られた
円形劇場
紀元前4世紀に造られ
2世紀後にローマ人によって復元された
35段の大理石の階段席
↓↑ ↓↑
西暦4世紀にキリスト教を奉じる
ローマ帝国皇帝
コンスタンティヌス1世が
女神の神殿=イシュタル
イシス
イナンナ女神
を破戒し、キリスト教化
↓↑ ↓↑
ヒエロス・ガモス(Hieros Gamos)
または
ヒエロガミー(Hierogamy)
は「聖なる結婚=ギリシア語由来の言葉」
神婚、聖婚、聖体婚姻
聖婚=神話や儀礼などの男女二神の交合
神と人の婚姻
天の神と地母神の交わり
男神と女神
神と人の結婚の祭儀
中世ヨーロッパで
修道女=神の花嫁
語源はギリシャ語
「hieros=holy(神聖な)
=gamos
=marriage
=coupling(婚姻、媾合)
デーヴァダーシー(Devadasi)
「神の召使」を意味
バラタ・ナーティヤム
オリッシー
といったインドの伝統舞踊を伝え
神殿売春を強要される因習の被害者・・・
↓↑ ↓↑
「神聖儀礼」だった「売春」行為、
売春婦そのものが
「罪深い女(ルカ(7:36-50))」
ではない・・・?
では、ナニが、ダレが・・・罪深いのか?
「ヘロディア」と、その娘「サロメ」・・・「猿女」?
↓↑
イエスの母は
カナでの婚礼の後
イエスと行動を共にする(ヨハネ2:12)
カナの婚宴
(ラテン語: Nuptiae in Cana factae))
イエス・キリストの最初の奇跡の地
(ヨハネ福音書2章1-12節)
三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があって、
イエスの母がそこにいた
イエスも、その弟子たちも婚礼に招かれた
カナ(Cana)
は新約聖書に登場する
ガリラヤ地方の町の地名である
↓↑
旧約聖書に
アシェル族の町
カナが記録
ツロの南東10kmにある現在の「カーナ」
「ベツサイダ(Bethsaida)」
新約聖書に登場する町の名前
「漁師の家」
という意味の
アラム語を音訳した地名
イスラエル共和国の
古跡「エッ・テル」
イエス・キリストの
最初の弟子になった漁師
アンデレ、ペテロ、ピリポの故郷
ガリラヤの町
イエスは盲人を癒し
また、町の人々の不信仰に嘆いた場所
↓↑
ヘロデ大王の子
ピリポが再興
↓↑
皇帝アウグストゥスの娘
ユリアにちなんで
ベツサイザ・ユリアス・・・別(捌)歳座(差)
と呼ばれた町
↓↑
イエス=マリアとローマ兵との間の私生児・・・?
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