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2018年10月13日01:41

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もじたま日記・2614日目・吾妻の鏡・・・我妻・阿妻・朝妻・・・?

 2614日目
 ・・・ウシナワレタ「11=十一=拾壱=足壱=XI」・・・バラかキクか?・・・「マグダレナ・ソフィア・バラ」?・・・ダレ?・・・バラ=茨=いばら・・・茨木・茨城・荊木・棘木・・・井原西鶴?・・・バラに刺あり・・・キクにミミあり・・・茨の冠・・・キクのハナには・・・???・・・ハラにヘソあり・・・臍(毘)には「ごま=胡麻・護摩・独楽・駒・狛・高麗」・・・
フォト

−ーーーー
 バラか、キクか、ウシか?
 ↓↑
フォト

尼寺を設立・・・・・・・天寺・蛙目出等・鴉目出等
 冶承四年(1180年)・・・事象・自性・自照・自笑・字象
 ↓↑
 平家追討の兵を挙げた
 朝日将軍
 木曽義仲
 ↓↑・・・源 義仲=信濃源氏の武将・河内源氏の一族
     源義賢の次男
     源頼朝・義経兄弟とは従兄弟(いとこ)
     木曾 義仲=「朝日=あさひ=旭」将軍
     木曽=当時は美濃の国
     義仲が匿われていたのは
     東筑摩郡
     朝日村(朝日村木曽部桂入周辺)
     後白河天皇の第三皇子の
     以仁王=源以光の
    「以仁王(もちひとおう)の令旨
     治承四年(1180年)」で
     平氏打倒の挙兵
     寿永二年五月十一日(1183年6月2日)
     倶利伽羅峠の戦い
    (くりからとうげのたたかい
     倶梨伽羅峠の戦い
     「砺波山=礪波山」の戦い)
     で
     平維盛に勝利し
     京へ向けて進撃し、同年七月上洛
     平家は、
 ↓↑  安徳天皇を伴って西国へ落ち延びた
 元暦元年一月・・・1184年4月16日〜1185年8月14日?
 ↓↑       甲辰・戊辰・丙戌
       元暦二年七月九日(1185年8月6日)京都地震
       地震のマグニチュードは M7.4 と推定
       法勝寺など巨大寺院群が崩壊
          乙巳・癸未・癸未
       文治元年(元暦二年)乙巳(1185)
 ↓↑    元暦二年三月 壇ノ浦に平家滅びる
 西暦の元の暦の元の年の一の月?
          庚申・戊子・己卯(申酉=空亡)
           猿  鼠  兎 
 ↓↑
 粟津原・・・・粟の津の原・・・アワのツのハラ
        足神源・賊心原・続震源?
        粟=覀+米
          あわ・ゾク・ショク・ソク
 ↓↑       異体字は「𠧼・䅇・𥟫・𥸫・𥹟・𥻆・𥾄」
 で最期を遂げ
 宮菊・・・・ミヤのキク
       菊=艹+勹+米(丷+十+八)
 という一歳違いの
 異母妹
 「吾妻鏡・文治元年(1185)の条」・・・吾の妻の鏡?
      文辞・文字・文事・分字   後歳(差異)の加賀見?
 頼朝の妻
 政子は・・・政子=尼将軍
 宮菊を
 「やしない子(養女)」にし
 都に居た菊姫は
 将軍の息女ということで
 周囲にいた者たちが
 菊姫の名前を騙(かた)って
 役に立たぬ古文書をあげたり
 不知行の荘園を寄付したり
 菊の使いだといって
 官位が高く権勢のある家柄の
 荘園の年貢を横取りしたりした
 これが
 頼朝の耳に入り
 頼朝は
 菊姫を捕らえて
 鎌倉に連行するように命じた
 菊姫は自分は一切知らないと弁明し
 政子がとりなし
 頼朝は、兄
 義仲は朝敵として討ったが
 菊姫に罪はないとし
 その境遇に同情し
 『美濃国
  遠山の荘の一村』
 を与え
 義仲恩顧の御家人である
 小諸太郎光兼らに命じて
 菊姫の面倒をみさせた
 遠山の荘の一村とは
 ↓↑
 馬籠
 のこと・・・島崎藤村の「夜明け前」・「破戒」
 ・・・???
フォト

ーーーーー
 キリスト死後の墓参の女性
 ↓↑
 マルコ16章=マグダラのマリア
       ヤコブの母マリア
       サロメ
       の三人
 マタイ28章=マグダラのマリアと
       もう一人のマリア
       の二人
 ヨハネ20章=マグダラのマリアだけ
 ルカ 24章=マグダラのマリア
       ヨハナ
       ヤコブの母マリア
       一緒にいた他の婦人たち
 ↓↑
 イエスの母マリア
 マグダラのマリア=ベタニアのマリア
 ヤコブとヨセの母マリア
 クロパの妻マリア=イエスの母の姉妹
 ↓↑
 ゼベダイの子らの・・・ゼベダイの妻の
 母の名は
 「マリア・サロメ」・・・ヘブライ語で
            「サロメ=平和」の意味?
 ↓↑
 ゼベダイ(Zebedee)=ヘブル語の
           「主の賜物・授けられし物」
 ゼベダイの妻「サロメ」・・・Salome
 ↓↑     サロメ(Salomé)=さるめ=猿目=猿女?
 ↓↑     ↓↑
        同名の別人は
        オスカー・ワイルドの戯曲の『サロメ』
       (新約聖書マタイ伝14章、マルコ伝6章より)
        1891年フランス語で書かれ、1893年にパリで出版
 ↓↑     ↓↑
        サロメの
        義理の父は古代
        パレスチナの領主
        ヘロデ・アンティパス
        実母はその妃
        ヘロディア
        養父は
        サロメ=ヘロデ・アンティパスに
        祝宴での舞踏の褒美として
       「好きなものを求めよ」と言い
        サロメの母
        ヘロディアの命により
       「洗礼者ヨハネの斬首」を求めた
        新約聖書には
        サロメの名は記録されていない・・・?
        同名の異人だからか?
       「マリア」=「サロメ」は個人名か?
 ↓↑    「罪深い女」=ヘロディアの娘「サロメ」?
 ゼベダイの妻
 「サロメ」は
 イエスの母マリアの姉妹
 カペナウムの裕福な漁師
 使徒ヤコブとヨハネの父
 ヤコブが兄、ヨハネが弟
 ↓↑
 「マグダラのマリア」
 「ベタニアのマリア」
 「罪深い女(ルカ(7:36-50))」
 同一人物であるとしたのは
  591年
 ローマ教皇
 グレゴリウス1世(Gregorius I)
  540年?〜604年3月12日
  在位は、590年9月3日〜604年3月12日
  問答者グレゴリウス(Dialogos Gregorios)
  ロマの「パパ」
  問答者聖グリゴリイ(鍵括弧原典ママ)
  大聖グレゴリウスとも
  典礼の整備、教会改革の教皇
 ↓↑
 グレゴリウス13世(Gregorius XIII)
 1502年1月7日〜1585年4月10日
 辛酉(庚・ ・辛)⇔乙酉(庚・ ・辛)
 辛丑(癸・辛・己)⇔庚辰(乙・癸・戊)
 癸巳(戊・庚・丙)⇔壬午(丙・ ・丁)
  午未=空亡
 ↓↑
 グレゴリオ暦
 (伊語 Calendario gregoriano
  英語 Gregorian calendar)
 ローマ教皇
 グレゴリウス13世が
 ユリウス暦の改良を命じ
 1582年10月15日(グレゴリオ暦)
 から行用されている暦法
 彼は
 1572年
 サン-バルテルミの大虐殺で
 新教徒の殺害を喜び、ミサをあげた
 1585年
 日本からの
 天正遣欧使節の
 少年使節たちを謁見
 ↓↑
 グレゴリオ暦
 325年ニケーアの宗教会議
 復活祭の日を決定する必要上
 春分の日を毎年
 3月21日と定めた
 ユリウス暦を使っていたので
 1582年
 には実際の
 春分の日は
 3月11日
 になっていたので・・・ズレを修正
 暦改革
 ↓↑
 1582年10月 4日の翌日を
 1582年10月15日とした
 ↓↑
 キリスト降誕(紀元)年数が
 4の倍数の年を閏年とし
 ただし
 紀元年数が
 百の倍数(当然4の倍数)である場合には
 4百の倍数でない限り
 平年とする」と定めた
 ↓↑
 我らの「11日」を返せ
 イギリスの新暦
 新教国であったイギリス
 その殖民地アメリカ
 はグレゴリウス暦を拒んだ
 1751年
 イギリスで
 元国務大臣
 チェスターフィールド卿が
 2年にわたって大衆紙や貴族を説得し
 新暦の採用が議会を通過
 その法令により
 1752年から
 1月1日を年の起点とした
 (それまでは3月25日だった)
 旧来の
 ユリウス暦で積み重なった
 誤差を正すために
 9月 2日の翌日を
 9月14日とした
 これで
 1年のなかで「11日」が消えたので
 「我らの11日を返せ」
 という抗議行動が起こった・・・
 「11=十一=拾壱=足壱=XI」・・・
 ↓↑
 聖母マリアの受胎告知の日(3月25日)
 イギリスでは
 3月25日が
 1年の始まりだった
 ↓↑
 1689年2月13日
 名誉革命
 ウィリアム3世
 メアリ2世
 が即位し
 当時は1年の始まりが
 3月25日だったので
 2月13日は
 前年の
 「1688年の革命=名誉革命」
 とされる・・・
 ↓↑
 ・・・神殿「売春婦」
    ミュリッタ=新バピロニア王国
   (紀元前625年〜紀元前583)では
   「神殿売春」
   「エフェス遺跡は紀元前11世紀
    イオニア(古代ギリシャ)人により建設
    アルテミス神殿を中心にした都市国家」
    そこに存在する
   「12000冊以上の蔵書」を有する
   「セルシウス図書館」は
   「アルタミラ神殿」に隣接
    その看板は「足型」
   「この足型より小さい足の人は、売春お断り!」
 ↓↑   
    ヘロドトスは
    古代エジプトに存在した「神殿娼婦」を
   『歴史』の中でその慣習を記録
 ↓↑ ↓↑
    首都アテネから北西へ約180km
    デルフィ遺跡
    ギリシア中部パルナッソス山麓にあった
    ポリス(都市国家)
    紀元前8〜前6年ごろは
    全世界の中心と呼ばれ
   「汝自身を知れ」
   「過ぎたるは及ばざるがごとし」
    の
    予言の神アポロンが崇拝されていた
    神殿北側の丘の上に
    天然の岩山を削って造られた
    円形劇場
    紀元前4世紀に造られ
    2世紀後にローマ人によって復元された
    35段の大理石の階段席    
 ↓↑ ↓↑
    西暦4世紀にキリスト教を奉じる
    ローマ帝国皇帝
    コンスタンティヌス1世が
    女神の神殿=イシュタル
          イシス
          イナンナ女神
    を破戒し、キリスト教化
 ↓↑ ↓↑
    ヒエロス・ガモス(Hieros Gamos)
    または
    ヒエロガミー(Hierogamy)
    は「聖なる結婚=ギリシア語由来の言葉」
    神婚、聖婚、聖体婚姻
    聖婚=神話や儀礼などの男女二神の交合
       神と人の婚姻
       天の神と地母神の交わり
       男神と女神
       神と人の結婚の祭儀
       中世ヨーロッパで
       修道女=神の花嫁
    語源はギリシャ語
    「hieros=holy(神聖な)
        =gamos
        =marriage
        =coupling(婚姻、媾合)
    デーヴァダーシー(Devadasi)
   「神の召使」を意味
    バラタ・ナーティヤム
    オリッシー
    といったインドの伝統舞踊を伝え
    神殿売春を強要される因習の被害者・・・
 ↓↑ ↓↑
   「神聖儀礼」だった「売春」行為、
    売春婦そのものが
   「罪深い女(ルカ(7:36-50))」
    ではない・・・?
    では、ナニが、ダレが・・・罪深いのか?
   「ヘロディア」と、その娘「サロメ」・・・「猿女」?
 ↓↑
 イエスの母は
 カナでの婚礼の後
 イエスと行動を共にする(ヨハネ2:12)
 カナの婚宴
 (ラテン語: Nuptiae in Cana factae))
 イエス・キリストの最初の奇跡の地
 (ヨハネ福音書2章1-12節)
 三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があって、
 イエスの母がそこにいた
 イエスも、その弟子たちも婚礼に招かれた
 カナ(Cana)
 は新約聖書に登場する
 ガリラヤ地方の町の地名である
 ↓↑
 旧約聖書に
 アシェル族の町
 カナが記録
 ツロの南東10kmにある現在の「カーナ」
 「ベツサイダ(Bethsaida)」
 新約聖書に登場する町の名前
 「漁師の家」
 という意味の
 アラム語を音訳した地名
 イスラエル共和国の
 古跡「エッ・テル」
 イエス・キリストの
 最初の弟子になった漁師
 アンデレ、ペテロ、ピリポの故郷
 ガリラヤの町
 イエスは盲人を癒し
 また、町の人々の不信仰に嘆いた場所
 ↓↑
 ヘロデ大王の子
 ピリポが再興
 ↓↑
 皇帝アウグストゥスの娘
 ユリアにちなんで
 ベツサイザ・ユリアス・・・別(捌)歳座(差)
 と呼ばれた町
 ↓↑
 イエス=マリアとローマ兵との間の私生児・・・?
ーー↓↑ーー
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