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2018年09月28日05:52

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軽い!(0134 LIGHTWEIGHT SPECIAL)

自動車史に名を残す人物は何人もおりますが、Alexander Arnold Constantine Issigonis (アレック・イシゴニス)は
Ferdinand Porsche(フェルディナント・ポルシェ)や
Dante Giacosa(ダンテ・ジアコーサ)と共に誰もが認める天才技術者ですね。
1906年11月18日にオスマン帝国(現トルコ共和国)で生まれたアレック・イシゴニスは、BMC (British Motor Corporation)が1959年に発売したミニ(エンジンを横置きにした革命的なFF車)の設計で高名ですが、第二次世界大戦前から優秀な技術者として名を知られていました。1936年の前輪独立懸架サスペンションが代表作でしょうか。

そんな彼が1933年から練り続けたアイデアを具現化したのがオースティン7をベースにしたスペシャルでした(正式な名称はありませんが"Lightweight Special"と呼ばれることが多いです)。その呼称の通り軽い軽い!わずか587ポンド(約266kg)しかありません。
軽さと強度を両立させるため車体構造は革新的です。この頃ごく一般的だった梯子型フレームではなく、ベニヤ板をアルミニウム板でサンドイッチしたパネルで形づくられたモノコックの車体を採用(発明?)したのです。
それにアルミニウムの外皮を被せました。ゴチャゴチャしていて空気抵抗が大きなサスペンション(フロントは不等長ウィッシュボーン、リヤはスイングアクスル)を覆うようにしています。
そのサスペンションは後のミニで見られるように、金属スプリングの代わりにゴムを使った革新的なモノでした。
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イシゴニスにこのクルマをオーダーしたGeorge Dowsonが主にヒルクライムに出場していましたが、ある時このマシンを見たMurray Jamiesonがシリンダーヘッドを取り付けるスタッドボルトを増やすなど強化/チューンアップした特製のエンジン(ツイン・マグネトー、スーパーチャージャーで70馬力以上)を供給したと言われています。

ところが、ある古い週刊誌に面白い記述を見つけました。
一時Rodney Turner(オースティン7のエンジン・チューナーとして有名)が自身のオースティン7アルスター用に組んだ特製エンジンが搭載されていたというのです。このエンジンは最終的にGordon Bretellのシングルシーター(モノポスト)のレーシングカーに積まれたもので、オースティン7ファンの間では有名なハイパフォーマンス・エンジンです。

ギヤボックスはオースティン7の4速、リヤアクスルもオースティン7のものを少し改造して使用しました。要するに特製の車体とチューニング・エンジン以外はどこにでも転がっていたオースティン7のモノを用いて、メンテなどを容易にしたのですね。イシゴニス賢明!

ライトウエイト・スペシャルは1938年後半に前出のジョージ・ドーソンの操縦でプレスコット・ヒルクライムでデビューしました。750ccクラスのみならず1100ccクラスでも最速タイムを出すほど戦闘力は高かったと言います。

戦後、イシゴニスの操縦でグランスデン・ロッジ・サーキットで勝つなどしましたが、メインはやはりヒルクライムで、John Bolsterのブラディ・マリー(CG/カーグラフィック誌2005年1月号参照)との熾烈な争いが見ものだったそうです。

1948年頃、ドーソンは実験用に特製されたウーズレーの直列4気筒OHCエンジンを手入れ、ライトウエイト・スペシャルに搭載しました。
このエンジンは、それまでのオースティン7のサイドバルブとほぼ同じ排気量ながらかなり重かったようですが、巨大なゾラー製スーパーチャージャー(ヴェーン式)を取り付け30PSI(!)をかけて95馬力絞り出していたとか。750ccほどの古い古いエンジンですよ!

1950年代はウスター州のドーソンの農場でスペアパーツと共に仕舞われていましたが、1959年に引っ張り出されて1960年からシェルズレイ・ウォルシュのヒルクライムで活躍しました。1930年代からズバ抜けていた速さは健在で、1970年代になってもオリジナル・オーナーの息子、Chris Dowson
の手でクラスレコードを塗り替えるなどしたそうです。
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