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2018年09月24日21:36

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Sinfonia Dramatique第4回演奏会

切実、強烈、そして清らかな「祈り」の響きにホールが満たされた。

☆Sinfonia Dramatique 第4回演奏会
■日時:2018年9月17日(月祝)13:30開場/14:00開演
■場所:ティアラこうとう大ホール(江東区)
■曲目
♪D.Shostakovich/交響曲第7番ハ長調op.60「レニングラード」
■指揮:佐藤 雄一

Sinfonia Dramatique(通称「劇響」)は、2017年設立のまだ新しいオーケストラ。
指揮者、佐藤雄一氏の音楽に共感し、演奏を通してその音楽の幅を広げ、伝えることを目的としている。
10年に渡って佐藤氏を応援してきた私にとっても念願、待望のオーケストラである。
既に過去3回の演奏会を開催し、その演奏はますます充実してきている。

第1回演奏会 『白鳥の湖』1877年版全曲ノーカットの大演奏会。
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第2回演奏会 ギネス級に遅いテンポで貫き通した衝撃的な演奏会。
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第3回演奏会 『眠れる森の美女』全曲 表現力が劇的に向上。
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今回ショスタコーヴィチの「レニングラード」を取り上げたのは、交響楽団CTKが第2回演奏会で取り上げた「レニングラード」を更に上回る演奏をしようという狙いがあった。
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まさに狙い通り、細部に至るまで佐藤氏の意図が染み渡り、磨き上げられた演奏となった。

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今回の会場はティアラこうとう大ホール。
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2013年10月6日(日)に、慶應医管が「フランチェスカ・ダ・リミニ」の圧倒的な名演を聴かせたのがここだった。
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実は劇響も第2回演奏会で「フランチェスカ・ダ・リミニ」を取り上げたのだが、私の感想では医管の演奏の方が良かった。

多くの奏者達が開演前からステージ上で猛然とさらっていた。
これは劇響のシステムなのだが、そのさらい方が凄い。打楽器群も叩きまくり。
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開演前からカオスのような現代曲を一曲聞いた気分。
しかも、開演前アナウンスの時にはさらうのをピタッと止め、沈黙していた。

今回、驚いたのは、佐藤氏がプログラムに寄せていた楽曲についてのノートだった。
「祈り」と題されたその文章は、「レニングラード」が書かれた困難な時代に思いを馳せ、ショスタコーヴィチの深意に寄り添おうとする内容だったが、現代に生きる音楽家としての問題意識が背景に鳴り響いていた。
私自身はこれまで散々、現代における音楽の意味を問うてきていたが、佐藤氏自身の言葉で読むのは初めてだったのである。

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さて、「レニングラード」の感想である。

第一楽章
冒頭が、うわべの元気さに背を向けた表現だったのは、佐藤氏の意図を考えれば当然である。
CTKの演奏と比べて充実したのは、第一楽章に挿入される例の長大なエピソードの部分である。
表面的な軽薄さ、楽しげな旋律の背後に潜むグロテスクさを、オーケストレーションの極めて緻密な音色表現を通して明らかにしていた。
ショスタコーヴィチが、いかに逃れようのない恐怖と向き合い、描き切ろうとしていたか…。
ちりばめられた不協和音や不気味な音色からありありと浮かび上がってきた。
その、逃れようのない感じが何とも恐ろしかった。
現代の日本の状況そのものであるとも感じた。
例の旋律が遂にその暴力性を露にし、牙をむいて襲いかかり始めると、オケの音量は十倍にもなった。
凄まじい破壊、暴力である。
私はその激しい表現に、ショスタコーヴィチの極めて強い怒りを感じた。
これほど強烈な怒りの表現は、音楽史上でも稀であろう。
あまりにも多くの死を、破壊を、人間性が踏みにじられる現実を見てきた、人間の怒り。
プロパガンダを超えた作曲者の激しい心情を感じた。
これもまた、形を変えた「祈り」の姿であったかもしれない。

破壊の後の脱力、そこではファゴットの長大なソロが印象に残った。
会津大学管弦楽団時代から佐藤氏についてきている奏者、Uさんのファゴット人生の一つの頂点だったかもしれない。
一人ひとりの奏者が、思いを一つにして演奏する真剣さは、全曲を通して漲っていた。

第二楽章
最初の楽章が社会全体に襲い掛かる暴力なら、第二楽章はよりプライベートな空間における歪みであろう。
ここでも、演奏の完成度はCTKを上回る繊細さ、緻密さであった。

第三楽章
「祈り」が最も端的な姿で現れているのが第三楽章であろう。
とりわけ弦楽奏者の息を飲む美しい音色表現が際立っていた。
切実な、美しい響きに、聴衆は耳を洗われる思いだった。
緻密な演奏はそのまま第四楽章に引き継がれた。

第四楽章
息長く展開する音楽、その長編小説のようなストーリーを読み切り、終始緻密に構成した演奏だった。
主要な主題が少しずつ姿を露にしていく。
書かずにはいられなかったショスタコーヴィチの強い思い、それらを細部まで疎かにしない表現で演奏し切っていた。
とりわけ印象に残ったのは、いよいよ最後の盛り上がりに入る直前の、繊細極まりない木管アンサンブルだった。
真に心を一つにした演奏とは、ああいうのを言うのだろう。

佐藤氏は、この音楽に勝利は感じないと語った。
戦争に勝者などはいないのである。
しかし、そこには絶望の中でも希望を描こうとする、作曲者の強い思いが溢れていた。
希望を捨てまいという意志。未来を信じ、未来の人類に託そうという強い意志。
諦めない、という意志。
全ての演奏が見事に終わったとき、沢山の涙が溢れた。
最後の最後まで描き切らなくては伝わらない思い、それがしっかり伝わったと感じたからだった。

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演奏会は稀に見る大成功であった。
それは、聴衆の動員数といった点にも現れていた。
劇響としても過去最高の聴衆数だったろうし、佐藤氏の演奏会としても多い方であった。
これは、楽団の運営スタッフの努力を称えなくてはいけない。
佐藤氏の演奏会では、奏者が音楽作りに熱中するほど宣伝が疎かになり、結果として聴衆が集まらないという困った矛盾が過去多く見られたからである。

非常に見事な演奏だったのに、指揮者に対してブラボーの嵐が送られなかったのは訳がある。
私にしても、演奏が終わった瞬間に泣いてしまったほど感激したのだが、その厳かな感激を自分の声で汚せなくて、声は出なかったのである。
おそらく聴衆は佐藤氏に対して、畏怖に近い尊敬の念を感じたのであろう。

そうした例は過去にも経験がある。
アルト歌手の小川明子さんが若い頃、ベルクの叙情組曲の「アルトの歌付き完全バージョン」を歌ったとき、なんと聴衆は誰一人拍手さえしなかったのである。
小川さんは失望したらしいが、あまりに優れた演奏で、しかも二度と聴く機会がないであろう一期一会の演奏に、誰もが拍手さえできなかったのである。
また、今は亡き指揮者セルジュ・コミッショーナが都響を振って第九を演奏したときは、聴衆の誰一人ブラボーを叫ばなかったのである。
あまりに並外れて崇高な演奏に、第九につきもののお祭り的熱狂も冷めて、厳かな感動だけが残ったのである。

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劇響は回を重ねるほどに成長している。
今回は、団員の結束がさらに強くなったように感じたし、佐藤氏の演奏意図も実に隅々まで行き渡っていた。
多くの奏者が印象に残る演奏を聴かせた。
大変なプレッシャーと闘いつつ叩き切ったスネア奏者や、大活躍だった打楽器奏者たち。
血の通った音楽を聴かせた木管奏者たち。
真っ赤になりながら高水準の表現を聴かせた金管奏者たち。
ハープやピアノもよかった。
弦楽器群が素晴らしかったのは言うまでもないが、地味な存在であるビオラパートの充実した力強い演奏にも驚いたのである。

演奏全体としてCTKを上回る出来で、超大音量のトウッティの音さえ混濁しないのは驚異的だった。
表現としては、第二、第三楽章についてはCTKの演奏の方が想像力を刺激されたので、私としてはCTKの名演を否定するつもりは毛頭ない。
その辺りは、佐藤氏の指導の重点というか、演奏のコンセプトとも関係があろう。
憶測だが、佐藤氏は劇響を長期的計画で演奏力の高いオケに育て上げようとしているのではなかろうか。
遅いテンポは、ロングトーンにも通じるものがあり、表現の基礎体力が付くような気がする。

もっとも、会津大学管弦楽団のような「弱小」学生オケですら、全身全霊で指導してきた佐藤氏である。
どんなオケとも最高の演奏を目指していることに変わりはあるまい。

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劇響は、早くも第5回、第6回の演奏会を予告している。

☆Sinfonia Dramatique 第5回演奏会 春のバレエ全曲演奏シリーズ第3弾
■日時:2019年4月14日(日)開場13:00/開演13:30
■場所:ティアラこうとう大ホール(江東区)
■♪P.I.Tchaikovsky:バレエ音楽『くるみ割り人形』全曲op.66
■入場料:1,000円(予定)

「くるみ割り人形」は楽しい曲で大いに楽しみだが、第6回の内容も凄い。

☆Sinfonia Dramatique 第6回演奏会
■日時:2019年9月29日(日)開演14:00(予定)
■場所:かつしかシンフォニーヒルズモーツァルトホール(葛飾区)
■ハイドン:交響曲第104番<ロンドン>
■ショスタコーヴィチ:交響曲第15番
■指揮:佐藤 雄一

なんと、ハイドンとショスタコーヴィチという二大シンフォニストの最後の交響曲を演奏しようというのである。
佐藤氏の「ロンドン」は間違いなく世界一だが、劇響が過去の名演を凌げるかどうかは厳しい試金石となろう。
ショスタコの15番は謎めいた曲であり、世界的に有名な指揮者でも手も足も出ない曲である。
一人、佐藤雄一氏だけが謎を解く鍵を手にしている可能性があるが、もうドキドキが止まらない。

♪佐藤雄一氏の次の演奏会♪
☆慶應義塾大学医学部管弦楽団 第42回定期演奏会
■10月7日(日) 15:00開演
■川口総合センターリリア メインホール
楽譜
♪リムスキーコルサコフ:皇帝の花嫁序曲
♪シューベルト:交響曲第7番「未完成」
♪チャイコフスキー:交響曲第5番
フォト
いざ、#医管へ行かん♪
https://twitter.com/keio_ikan?lang=ja

♪佐藤雄一氏の次の次の演奏会♪
☆アルテハイマート合奏団第36回演奏会
■2018年10月8日(月:体育の日) 14:00 - 17:00
■かつしかシンフォニーヒルズ モーツァルトホール
■曲目
♪ モーツァルト/「皇帝ティトの慈悲」序曲(ベーレンライター版)
♪ ブルッフ/Vn協奏曲第1番(カルマス版)
♪ シューベルト/交響曲第4番「悲劇的」(ベーレンライター版)
■指揮;佐藤雄一
■独奏;原口京子
https://www.facebook.com/events/186142178826626/

愛すべきアマオケ、アルテハイマート合奏団の演奏会だ。
二日連続で佐藤氏の演奏会が聴けるとは、幸せという他ない。
是非足をお運びください。
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