mixiユーザー(id:1762426)

2018年08月31日06:20

83 view

ラスタとして生きるー7 ジャー・ヒロ


  イギリスとエチオピアでラスタファリアンの真髄を学び、スピリチュアルなルーツ・ソングを唄う日本人ラスタ・シンガーのラス・ニコが昔、面白いことを言った。「一日に葉っぱ一枚を食べただけで生きていけるのなら、究極の地球に優しい生き方で素晴らしいですね」というような話だったと思う。彼らしい夢のようなことを言うと、それほど真面目にとらえず「ふ〜ん」で終わったけど、今になって、彼の言葉が見に沁みる。そうだよなあ、葉っぱ一枚で暮らせれば環境破壊など起きないよなあ、と思う。

葉っぱ一枚は無理だけど、僕自身はだいぶ前から本屋で本を買わなくなった。紙が樹木を伐採することによって生まれることに嫌気が差したのだ。雑誌も本もまず買わなくなったけど、必要な情報はインターネットかテレビで触れることができるから不自由はない。車も止めたいところだけど、やはりどうしても必要なことがあり、乗っている。これもカー・シェアリングの制度が身近になれば、車を持つのは止しにしたい、と思っている。そしてたどり着いたのが「なるべくお金を使わない」ということ。不景気にますます拍車をかけるような生き方で、ちょっと気が咎めるが、ま、ラスタならいいでしょう。最近始めた、家での映画会やレゲエ・パーティもその考えに沿ったものだ。金がある人しか楽しめないものに興味はない。楽しみは平等にあるのがいい。
さっきテレビで見た、この不況の世でも躍進を続けている、餃子の王将の紹介の中で、或る店が「お金がなくてお腹が空いてる人は、食事した後、30分店の仕事を手伝ったら、食べられますよ」ということをやっていた。「一日に8人くらい来る」と店長が言ってたけど、これこそ不況時代にふさわしい店と感心した。こういう店が増えることを望んでいる。ここ北海道でも「地域通貨」という形で、お金が介在しない助け合いのやりとりをしようという試みがじんわり広がっている。これは或る若いお坊さんの努力によるものだ。暮らしやすい世の中にしようと、いろいろの人々が動き出している。

ずいぶん前に或る画期的な本、「地球白書」を読んで、地球上の生命の危機を身近に感じた。そして豊かであること、そして金持ちであることが、全ての人間以外の生き物達にとって傲慢であり、存在そのものが反地球的、反環境的であると感じた。日本に暮らす一日本人として、普通に暮らすだけで、アフリカの貧しい人々が消費するエネルギーの何十倍、何百倍も費やしているのに、それ以上の贅拓は、近い将来、「存在そのものが許せない」と思う人が多くなることだろう。この不平等な現実が結局はムーブメント・オブ・ジャー・ピープルの意識を覚醒させてゆき、大きなうねりとなって世界を揺るがしていくのだろう。

2 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する