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2018年08月10日13:35

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YAMAHA TD1

TD1
(リード)
創業以来、順調に業績を伸ばしてきたヤマハ発動機だったが、1961年に発売したスクーターやモペットといった商品の相次ぐトラブルによって、一転して深刻な経営危機に陥ることになった。そこで、ヤマハは再建に向けて、販売網の整備をはかる一方、技術陣の立て直しを急ぐ必要に迫られた。

(本文)
 ヤマハの首脳陣はこの苦境に際して、「レースで培われたヤマハの技術を、いま一度、レース界に復帰させ、技術陣に目標とチャレンジ精神を植えつけることが、(自信を喪失している)技術陣の立て直しになる」と考えた。こうした事実上のレース復帰宣言を受けて、ヤマハは全社一丸となって、中断していたレーサーの開発を再開したのである。復帰の目標とされたレースは、11月に開催される
 第1回全日本ロードレース選手権。すなわち、ライバルのホンダが建設した鈴鹿サーキットのオープニング・レースを、大胆にもターゲットに選んだわけである。時は、すでに6月の終わり。レース復帰は、4か月後に迫っていた。レーサーの開発にあたっては、前年のUSグランプリに出場した250ccクラスのマシンがベースとなった。このマシンは、有名なカタリナ・レーサーの発展型で、YDS系の2サイクル・ツインを搭載していた。こうした開発過程では、プロトタイプともいえるマシンが、8月の雁ノ巣のレースに出場して、ポテンシャルを確認したこともあった。結局、このレースでヤマハ勢は、1位〜3位までを独占することになり、開発スタッフは確信を持って作業を続行することになった。完成したヤマハの新レーサーは、同年10月に開催されたモーターショーで発表された。 シンプルなピストンバルブの2サイクル・ツインを鋼管ダブルクレードル・フレームに搭載した、このマシンがヤマハ初の市販レーサーとなったTD1であった。
 発表直後のTD1は、目標とされた第1回全日本ロードレース大会のノービス250ccクラスに出場した。そして、雨の決勝レースでは、軽量なTD1はホンダCR72を相手に善戦して、ワン・ツウ・フィニッシュを決めたのである。また、ノービス350ccクラスでも、1mmボアアップした排気量255ccのTE1が優勝を飾り、ヤマハはレースに完全復活を果たしたのだった。TD1の市販は、正式には12月からであったが、この鈴鹿用に15台が用意されたといわれている。
 好調なスタートを切ったTD1だったが、その後は、レギュレーションの関係で国内レースへの参加の道は閉ざされることになり、わずかに地方のクラブマンレース(MCFAJ主催)、顔を出すにとどまった。しかし、海外では、高性能な市販レーサーとして、TD1は大人気となったのである。
 TD1には、厳密に区別すると、TD1とTD1Aが存在した。両車は、TD1はモーターショーでも展示された保安部品を装備した公道走行仕様で、TD1Aは、それにオプションパーツを組み込んだレース専用仕様という点で区別できた。もっとも、TD1もそのほとんどが、オプションパーツを組み込んで、TD1A仕様に改造されてレースに使われていた。ちなみに、TD1の22馬力に対して、チューニングパーツを組み込んだTD1Aは35馬力にパワーアップされていた。
 TD1のエンジンは、市販モデルのYDS2をベースに製作されていた。とはいうものの、共用できたのはクランクケースくらいのもので、シリンダーには当時の最新技術だったポーラスメッキを施したアルミ合金シリンダーが用いられていた。もちろん、ポートの形状や燃焼室の形状は変更され、ピストンリングはパーカーライジング処理された1本リングが採用され、メカニカルロスの低減がはかられていた。また、ミッションはYDS2と同様に5速だったが、TD1Aでは当然、ギア比はクロスレシオに変更されていた。
だが、シフト機構は基本的にYDS系のものが流用されていたため、やはりYDS系を加工したクランクシャフトとともに、TD1の数少ない弱点となっていた。また、キャブレターのフロート部分もクランクケースにラバーを介して取り付けられていたため、振動に起因する泡立ちによって、不調をきたすことがあった。こうした箇所は、設計や材質の変更などによってその後、改善されることになったが、根本的な対策は、1964年に登場したTD1Bまで持ち越されることになった。 TD1Bは、ベースとなる市販モデルがオートルーブ付きのYDS3に発展したのにともなって登場した、TD1Aの発展型といえた。TD1Bでは、弱点だったクランクシャフトの耐久性が大幅にアップされていた。また、後年、市販車に採用される5ポートの原型ともいえる通称“ミミズポート”がシリンダーウォールに設けられ、ハイフロータイプのピストンが採用された結果、中速域のトルク特性が著しく向上していた。
 このTD1Bは輸出専用モデルで、引き続きアメリカはもちろんのこと、ヨーロッパのGPレースにも出場して、ワークス・レーサーを相手に善戦することになった。しかし、ホモロゲーションの関係からTD1同様、国内に活躍の場が得られなかったTD1Bは、エンジンのみをYDS3改造レーサーに搭載して、第3回、および第4回日本グランプリのジュニア・クラスを制したこともあった。 その後、やはりベースモデルがDS5Eに発展したのに合わせて、マイナーチェンジされたTD1Cが登場した。このTD1Cの最大の特徴は、クラッチがクランクシャフト直結からミッションのメインシャフトに移された点で、残された唯一の弱点を改良されたTD1Cは、250ccクラス最強の市販レーサーとして、各国のレースを席巻したのである。

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