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2018年08月07日00:48

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映像の世紀

《自然の猛威 ヒトのサガ》

たまたま目にしたニュースで愛媛県の様子が流されていた。

一か月前の台風? 大雨? による被害後の現状を伝えていたようだが、まあ凄い事。ゴミが…。
僅か一か月前まではどれもが各家庭で活躍していた品々と思われるが、集めるとあんなになっちゃうのね。

というか、そういった事を全く気付かずに生活を続けた自分も凄いというか、いよいよというか…。
まぁ、リアルタイムで知ったところでどうにもしようが無いんだから、知らぬが仏の方がいいのかな? 心配したふりで偽善を装う性格でもないし。

そもそも相手が自然。なる時にはなってしまうし、止めようも無い。笑おうが泣こうが仕方がない結果にしかならないんだろうしね。

数年前に集中した各地の大地震で地球の自転速度が変化している訳だから、言い換えれば何が起こっても不思議ではないという意味で驚く内容でもない気がするし。

到底1秒にも満たない自転速度であろうが地球上の全てがその影響を受けるとなると、やっぱり様々な分野でパワーが集積し、そして分散するんだろうね。

時間だけの話じゃない。話に聞いた事は無いけど、地球の傾きってやっぱり変わったのかな? 1度にも遥か遠く満たない角度で。本当に気付かない角度で。
外部からの力が加わった話ではないとはいえ、重力が内側に向かって存在する訳だから、何かしらの反動はあっても不思議じゃなく、あり得ない話じゃないよね。

地球の角度が1度変わればどうなるんだろう?
赤道位置がずれ、世界中の気温に変化が生じ、大気も狂い、森林なんか目で見て分かる変化があるかも。

北極・南極の位置も地図からずれたりするんだろうし、一日24時間の概念が狂いそう。
世界初の病気が何種類も同時に蔓延し、それまで口に出来た食料が猛毒に変化するなんて事も考えられる。

見た事も無い予想なんてバカな俺でも無限に考える事が出来る。今現状では存在しない事実だからね。言いたい放題だ。
でも、あくまで予想。ニュースメディアの真似をすれば誰だって出来る話だね。

それでも実際の影響とは、発生した際にもっと上を行くんだろうなぁ。
逃げ場なんてどこにもないだろうし、延命措置だってどこまで通用するのか。

日本の自然災害が目立ち始めたのっていつの頃からかなぁ?

確か、地名は忘れたけど筑波山周辺で発生した竜巻あたりじゃないかな? って、思ったりしている。もう20年くらい前の話だっけかな? 集合住宅を直撃して色々とニュースになったっけ。それでも海外のハリケーンと比較すれば『蟻と戦車』くらいの威力差だと思うんだけど、日本にしてはという話で展開すれば、まさしく前代未聞の話だった。

本当に変わるかもね、世界中の気象が。
でも、人間にはどうする事も出来ないし、同時に何の責任も無い気がする。
災難に遭遇して騒ぐのも人間、災難を免れて騒ぐのも人間。地球が降らせた問題に人間同士が責任をなすりつけ合う光景。

人に出来る事なんてそんなもので、せいぜい騒ぐ事くらいで、その他に僅かな支援という名の義援が動くだけの話なんだよね。見返りを求めない義援じゃない。見返りを求めてはいけない偽善かも。その後の欲望まみれの。


《病院に行ってきた》

熱中症で倒れたおやじさんの見舞いに行ってきた。

見舞いに行ったのは良いが、肝心の俺がスペシャルな体調不良で死ぬ思いだった。
勤務明けから日月と休暇で時間にして39時間ほど経過中だったが、そのうち約30時間が睡眠って…。今度は過眠症かな?

とにかく体調ガタガタ。昨日よりも気温が落ちたとはいえ、寒く感じたあの瞬間は確かにおかしい。眩暈もひどく、視点が定まらない。
でも、気にしてられない。

結果的におやじさんは肺炎を患っていた。
暫く前から会話に異変を感じていたから本人はとっくに知っていた事だろう。見た感じ、今さら感が強いようでおやじさん本人が肺炎については触れず、熱中症の事ばかりを口にしていた。一言に元気そうだ。

とっくに高齢の仲間入りを果たしているおやじさんの年齢は81歳。歳の割にはやんちゃな姿をよく見たものだが、昼間から口にしていたビール姿は既に過去の話となっており、じい様らしく背は縮み、あらゆる骨格が外見から窺えるようになっていた。

季節の変化とはいつの間にかであって、それでいて異様に早い。
考えてみればこの家族と対面を交わしてから人生の半分を越えていたんだな。なんて、これまでも何回か考えていながら、今更になぞる同じ心境。

『早く出てきてね』
と言う俺の隣で、
『早くくたばれ』
と言うばあ様。

知らない人が見れば驚きの会話も、この家族なら普通の会話。笑顔で罵倒出来る間が平和的な日常の期間かな。

立秋とはいえ、夏場の暑さは今しばらく続くだろうから、少しばかり過剰に回復した所で退院してもらいたいところだ。

…なんて事を、激痛の腹を抱えた俺が言う話も変だな。


《誰かの声》

見舞い帰り、土浦四中近くにオープンした唐揚げ屋に立ち寄った。
別段唐揚げが好きな訳ではないが、最近の『〜〜専門店』みたいな流行りがあるらしく、その唐揚げ屋も『唐揚げ専門店』という事らしく、目を引いただけの話だ。
とはいえ、個人経営ではなく明らかにチェーン店の雰囲気を醸し出しているので、きっと専門店とは名ばかりだろう、と、思いつつも、なんとなく。

結論から言うと、もう行かない。
グランドオープンだと思って入ったら、プレオープンだった。

プレオープンの一般大衆向けとなれば、多少の割引は期待できたがまさかの定額。
ならばプレオープンならではの増量かと思ったが、まさかまさかの定量販売。
じゃあ、過剰なまでの試食あり? まさかまさかまさかの水出しすら無し。

この店舗は本体に向かって何か反抗しているのだろうか? そんな気持ちを彷彿とさせるサービス内容だ。
しかも、マネージャーらしき3人組は客用テーブルを囲んで笑い話。明らかに対応に遅れるアルバイトらしき3人だけが慣れない作業で厨房内をてんてこ舞い。
もちろん活気なんて表現は無縁に感じられ、予算の都合か有線放送まで流れていない。

なかなか類を見ない残念ぶりに、俺は店の外に出てタバコをプカリ…。
店舗外に設置されるでかいメニューを眺め、価格の割に中身が少ない事にも気付く。

『え? いまどきの唐揚げって1個120円するの?』

みたいな。ちなみにこれはプレーンというか、標準のしょうゆ味。他の味だと更に値が上がる。
内心で『やっぱりもう来ない。ファミチキとかモスチキンの方が遥かにウマイ』…と、まだ食べてもいないのに再決心。

そんな情熱を燃やす俺の耳に、

『てぃーのさーん! てぃーのさんっ!』

と、2回連続で俺を呼ぶ声が…? 声の流れからして移動中の車のようだったが、確認は出来なかった。…でも、確かに覚えのある声色と、発音と言うか、語調だった。
雰囲気的にはさとちゃんのそれに一番近いが、彼女でない事はなんとなくわかる。それに近い誰かだ…。一体誰だろう?

既に電話番号を失っている事も痛いが、こういった時に付き合いが切れているともどかしい思いをする。

ちなみに購入した唐揚げだが、値段の割に小さく、しょっぱいだけで大した味ではなかった。鮨屋、ラーメン屋に次いで閉店候補の店だろうと思われる。
大体、唐揚げ専門店と言っておきながら厚焼き卵を平然と謳う宣伝内容が気に入らない。


《映像の世紀》

NHKがだいぶ昔に放送した20世紀全般の世界で起こった実話を映像と共に説明する番組だ。
人間の歴史は戦いの歴史でもあり、当たり前のような殺戮こそが人の持つ本能のように考えられる。

誰もがそれぞれの地に根付き生涯を終えられるのであれば、人が最も理想とする平和に近い光景になるのだろうが、隣の芝生は青く見えるかな、どうしてもそうは事が運ばないらしく、常に誰かが誰かを殺したがっている。

その裏の背景なんてものは実際には皆無そのもので、単に目立ちたい一心でそういった事を構えるような気がして止まないのは俺個人の考え方なのかな?

今の世の中は戦争こそタブーとされているが、実際にはそれぞれの国内間で企業同士の殺し合いが繰り広げられている。

成長する企業の陰に衰退する企業は存在し、職を失った人材の数パーセントは自らの命を絶ち、生きる執念に燃える数パーセントは浮浪の道を歩む。
生きるよりも過酷で死ぬよりも残酷な結末を歩む人口は多く、一見正常な生活を営む民でさえ重い税金に日々の暮らしを脅かされている。

数え切れなくなった利便性は高性能と機密性と低価格を備え、おまけに耐久性能も優れている。
一巡すればモノが売れなくなる時代に突入して久しい。
欲しいものが所持出来ればメーカーそのものの存在意義が失われ、結果的に日本に有した大手メーカーの多くが姿を消し、または諸外国に売却され続けている。

全ては自らが生き延びる手段であり、その先の事はまるで考えていない。
いや、考えるまでも無く小規模化して機を見る事は可能だが、それにしては成長し過ぎた企業の縮小をどう行って良いのかが分からなかった結果なのだろう。

多角化を図れば本家が分家に負ける恐れもあり、また裏切られる事もある。全ては代表者のプライドを傷つけないようにするための個人的措置にも見える。

企業内外の秘密事を遵守した結果、後継者が育たなくなりその後のメーカーの顔が危ぶまれもし、リストラに怯えた先任が技術を後継者に落とし込まないなんて現象も起こっている。これでは企業単位が維持できる筈も無い。

銃火器や爆薬を持たない戦いは敗者の全てを瞬殺する事をせず、法律の赴くままに残酷極まりない生殺しを続けている。

これを無情と呼ばずして何と例えようか。
その一方で、人間が作り出す平和なんて言うものは、せいぜいこのくらいが限度なのかな? と思う自分が存在する。

『映像の世紀』は色々と考えさせられるが、素直な気持ちで観るなら本当の『人間』だけが記録に納められたシリーズだ。


《あとがき》

昼間の声の主が凄く気になる。

なんかアレだな。20世紀に戻らないかな。
夢があったな、あの時代は。

今の子供たちも当然そうだが、これからの子供たちには過酷でしかない世界だな。
機械化文明ではない。機械的文明だ。今現在は。

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