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2018年08月06日06:07

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日本再生の夢2−3 病院日記

11月18日(金)5:55am

犬のエリーが7月16日(土)に老衰で息を引き取った時、その後の展開もわからぬまま、なんとなく(今年は別れの年になりそうだな)と思った。その後、10月11日(金)夜の僕の入院の少し前に、(妻の母親である)おばあちゃんが○△病院に入院した。長年、運よくめぐり会った、名医の手腕で抑えられていた癌が、治療不能にまで進行して、ホスピスでもある○△○病院に転院した。

ここで思うことは、我が人生の愛する同志であり、○○の○○山で出会い、2005年5月に、遠路はるばるエリーと共に××まで引っ越してきて、大自然の中の暮らしから都会の住宅地へとの、生活環境の激変も乗り越えて逞しく生きている猫のみゃー子のこと。××に越して約6年。結局、界隈の猫社会に受け入れてもらえず、内弁慶でエリーには威張るが、元野良猫の宿命か、体が小さく喧嘩が弱いので、家の周囲を探検しているうちに、地元の猫に襲われることが何度もあり、小さな怪我をしたり、いつも彼女の外出中は玄関と内扉を少し開けているので、家の中まで追いかけられてきて、相手のすさまじい唸り声に仰天して「コラー!」と怒鳴って追い返したり、多分そんな猫に追われて帰り道がわからなくなったと思うが、10日間も行方不明になったりした結果、「自分の生きる世界」は小さな我が家と隣に住むおばあちゃんの家と、家のほんの周辺のみと定めて、その中でもエリーのボスとしてデカイ態度で悠々と精一杯生きてきた。

エリーがいた頃は、夜9時過ぎのエリーの「おしっこ散歩」に必ずついてきた。散歩といっても、家の前の○×公園でエリーと少しぶらぶら歩き、エリーがおしっこをすれば家に戻るだけの、10分〜15分(晩年は5分〜10分ほど)の、ほとんど外の空気を吸いに出るような小さな散歩だった。しかし同行するみゃー子にとっては、一番華のある時間だった。
 気が向けば、公園の松の幹にぴょんぴょんと駆け上がり、「ミャー!ミャー!」と自慢げに鳴いたり、また、ふと気がつくと、一人隠れん坊をしていて、草むらや路肩のブロック、そして滑り台の陰に身を潜めて、(どうだ、見えないだろう)という風に、黒い瞳でじっと僕をうかがっているのだった。そして「あっ!みゃ子ちゃんがいた!」と叫ぶと、(チッ!わかったか)とばかり、飛ぶように走り、また身を隠すのだった。みゃー子にとっては「みんな一緒に外で遊ぶ至福の時間」だったのだ。
 
 公園では、警戒心の強いみゃー子は、人や車が近づくと、ハッと身を隠して危機をやり過ごす。そしてエリーのおしっこも終わり、あたりが平穏になると、僕は「さあ、みゃ子ちゃん帰るよ!」と声をかけ、エリーと家に戻る。しかしみゃー子といえば、まるで勇敢な斥候のように、周囲の安全を確かめながら、公園内から道路際へ、道路をぴょんと一気に越えて車の陰に、そして玄関に戻るという小冒険が、雨や雪の日以外は毎日繰り返されるのだった。

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