共感を覚えます。
ちょっと前にmixiで超自が言ったことと似ているのでメモしますね。
◆
岩田温
@iwata910
こういう不謹慎云々と発言をする人間が気に食わないのは、「偽善者」だからである。自分が嫌悪感を覚えたことをあたかも「被災者」のことを思う善人面しながら云う、その言い方が気持ち悪いのだ。「お前が寿司を食うのは気に入らない」と思うなら、自分の言葉として言えばいい。
@iwata910
寿司を食べた写真をアップしたら、被災者が苦労している中で不謹慎だというようなコメントがあった。こういう人は世界平和が訪れるまで家族や恋人と楽しんだり、美味しいものを食べたりしないのだろうか?「シリアで難民がいるときに何を楽しんでいるんだ?」と騒ぐのか?
17:55 - 2018年7月30日
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るぅ

🥤
@runa_nihonhare
返信先: @iwata910さん
戦中にもいた「この国難ニー」か。
◆
(超耳)
儒教的な社会だった頃には「虎の威を借る狐」がことわざとして有効でしたよね。上の人間に逆らえない。だから上の人間の権力を借りる。
今は時代が変わったのだなあとよくわかります。
卑怯者はいなくなったわけではなくて、「最近増えている」わけでもないんだと思います。
虎の威を借るのが有効ではなくなった。今の世の中で最強なのは弱者で、しかもニュースなどで取り上げられている人たち。その立場をちょろっと拝借するのが手っ取り早いというわけですよね。トレンド・ラインに従ってトレードする一般的な投資家的戦術です。つまりごくごくありふれています。
弱者が弾丸を受けてくれる形。反論されにくいですからね。味をしめてしまう人も多くいることでしょう。
卑怯者の話題の土俵に載ってしまうと失敗です。弱者を虐げる人になってしまいます。
たとえば「被災者なんか知ったことか」「悔しかったら被災者もスシを食べればいい」などと言ってしまう人もいるんでしょう。同レベルの人格に自ら降りることになる。
対抗手段もSNSで目立つようになってきました。
「むしろお金を使おう。被災地域の物を買おう。お金を落とすと産業が回ります。助かります」という論調。これは悪くないですね。
弱者を盾にして無関係な他者の攻撃する人のいかに多いかを示す例でもあります。卑怯な攻撃を受ける前提があっての対抗手段ですから。「ぜいたくな。買うのを自粛しろ」という発言があまりに多いからカウンターとして生まれたのは明白です。
我田引水で申し訳ないのですけれど。
超耳のおすすめは「賛同」と「質問」です。
被災者をいたわる部分に賛同する。そして疑問点に質問をする。
善意の人にはなごやかな会話になります。悪意の人には矛盾点を自ら明らかにさせる最善手となります。
面倒なときは「お金を社会に還元することを知らぬバカの話は無価値。バカはバカの国に帰れ」でいいんですけど。
岩田温さんのようにサンプルとして分析対象にするのもいいと思います。
ていねいに真摯に話すべきだって? 話せばわかりあえるって?
もし時間をかけ、丁寧に対応してごらんなさい。その対応をしてもらいたくてたまらない人たちの餌食ですよ。弱者を盾にして卑怯戦法で攻撃してくる理由は構ってほしいからですよ。
今は「わからせる」タームです。自分がいかにダメかをわからせる過程を経てはじめて次の「教え諭す」に至るんです。そして相手にも愚行権があるので、学ばない権利を認めなければなりません。話してわかりあわない権利が誰にでもあるので、ぜひ認めましょう。
話してわかりあうべき派は相手の権利を無視したワガママ主張をしている。しかも自覚がない。実体験も伴わない。つまり自分で実行したことなどない(不可能だしさ)。うかうか同調しないように気をつけたいですよね。
それはそうとして、わかりあう未来がもしあったらいいですよね。
たぶん「自分はバカだった」と思い知る過程は必須だと私は思うんですよね。わかりあうという理想にたどり着くためにも、一度は不快の沼を渡らなければならない。不快の沼がイヤさに「話し合いで」「わかりあう」というどこかで聞きかじった他人の言葉を盾にするのもまた、卑怯です。
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