mixiユーザー(id:22439974)

2018年07月11日21:58

375 view

本 ”キネマトグラフィカ” 古内一絵

”キネマトグラフィカ”  古内一絵

ほぼ私と同時期に社会人となった若者たちの新人時代、
そしてそれぞれの現在が映画会社を舞台に書かれている
と言うことでお買い上げ。

老舗映画会社に新卒入社した“平成元年組”六人の男女が、とある地方の映画館で
再会する。今はそれぞれの道を歩む同期の彼らが、思い出の映画を鑑賞しながら
二十五年前に起きた“フィルムリレー”に思いを馳せる。
フィルムはデジタルに、劇場はシネコンに……四半世紀の間に移り変わる
映画の形態。そして映画と共に生きた彼らの人生もまた。
何のために誰のために駆け抜けてきたのだろう。
哀惜と希望が感動を呼ぶ傑作エンターテイメント。(BOOKデータより)

神経質な映画オタク栄太郎(うつ病で辞め、取引先の群馬の映画館主に)、
初の女性ローカル営業の名前に負けないように努力する咲子(その後念願の
制作に異動しプロデューサーとして名作を作る。四十前に子供を儲ける)、
誰からも好かれる営業マン、個性を出すためにモッズコートを愛用する和彦
(現在も営業部 見かけは普通の中年に)、いい加減でチャラい学
(現在はビデオ販売部門の役員、取引先の婿養子に)、
短大卒で腰掛け気分の留美(予定通り三十前に寿退社、但し子供ができず)、
帰国子女で裕福な家庭に育ち、縁故入社で一人国際部に配属された麗羅
(映画に興味はなかったが咲子の頑張る姿に感銘し、旧態然とした国際部を
変革する。その後父が倒れ家業の会社を継ぐため退社、独身。)

物語は、入社した動機も仕事に対する意気込みも違った六人が50歳を超え、
久しぶりに栄太郎の映画館の閉館記念上映会で集まるとこから始まり、
お互いの近況が少しずつ語られていきます。
そこから入社4年目、学のミスをフォローするために行われた
ケヌキと呼ばれる映画フイルムを北関東・栄太郎、関西・和彦、東海・学、
九州・咲子と日替わりで映画館に運んだフイルムリレーのそれぞれの回想が綴られ、
最後にまた現在の上映会の後の場面に戻ります。

回想で語られるのはそれぞれの理想としていた仕事と実務のギャップ、
社会人に馴染むことへの抵抗、家族の期待に応えるために自分を押し殺してきた
ことなどで、どれも親近感を覚えます。
特に咲子の、当時制度が導入されて間もない女性総合職初の女性ローカル営業と
もてはやされる一方、男子に負けずに頑張らなければと、
得意先である地方の興行主からのセクハラや男子と同じ力仕事や
一般職女子からの僻みなどに負けずに頑張る姿には共感します。

五十歳を超え久しぶりに会った彼らは、最初ぎごちなく、
すっかり斜陽となった映画会社や地方の映画館と同じように、
どこか先が見えてしまったような諦めの境地が伺えます。
咲子は自身がプロデュースした作品が成功したにもかかわらず、
今では会社の方針でつまらない作品で出資者との調整ばかりに従事し、
息子の中学受験のために退職しよう考え始めると、途端に親や親戚からは
仕事の成功以上に喜ばれる。しかも一番喜んだのは息子だったり。
つまり総合職として頑張り実績も残してきたことよりも、
家庭に入ることの方が評価されるという現実に、
一体、今まで何のために仕事をしてきたのだろうかと。

これは咲子のように女性だけでなく、この歳まで社会の中で生きてきた人間の多くが、
ふと思ってしまうことやと思います。
財を成したり、出世した人間という何がしかのステイタスや見返りを受けた
限られた人間でない限り、自分は果たして何かを成し遂げたのか、
何かの役に立ったのだろうか、
あの頃なりたいと思っていた自分になれているだろうか? と自問自答して、
明確なことが言えず多かれ少なかれ落ち込んでしまうはずです。

ただ、咲子は咲子の仕事ぶりを知っている思いがけない人物や
ずっとそばで見てきた麗羅の言葉により、
自分たちの限界はまだずっと先のはずだ、ということに気づかされます。
生きて行く限り、時代とともに何かが消えて行き、誰もが何かを失う、
けれども、いつでもまだ”これから”だと思って生きなければいけないと。

我々は小説の中のように、誰かに自分の地味な仕事ぶりや生き方を褒めてもらえる
ことはなかなかありませんが、
それでも”これから”と思って、咲子や栄太郎(一般興行はやめるが
自主企画上映会や自主制作映画の手伝いを始める)や同期達同様、
50歳を超えても自分なりに前に進まなければと思いました。

作者は主人公と同じように平成元年に映画会社(大映だと思われる)に
20年ほど勤めた後、作家になったとのこと。
だから90年代初頭の携帯もパソコンも普及してなかった頃の社会人あるあるや
当時の世相、昭和の会社の雰囲気、頭の堅い上司の弊害ぶり
なんかが懐かしかったです。

映画会社の実態も、主人公達のように地方の映画館へのローカルセールス
といったあまり知られていない仕事(興行主からの接待ぶりも)は
興味深かったし、映画業界自体を取り巻く状況もこの間の三十年近くで、
フィルムからデジタルへの変革、シネコンの台頭による地方興行館の衰退、
制作においても映画会社によるオリジナルな企画から、
他業種の出資を受け”何とか製作委員会”(映画会社の役目は単なるその調整役に)
による小説や漫画原作のわかりやすい作品でリスク軽減する方向に
変わっていく様も描かれています。

やはり女性作家だけあって、咲子を通しての女性総合職第一世代の実態、
男性中心社会で女性が働き続けることの苦労、家庭との両立といった、
まさに昨今官民あげて解決に取り組んでいる問題が身をもって語られ、
そこにこの小説の面白さ、書かれた意義を感じることができました。
同期の麗羅や留美、接待で行ったスナックのママ、国際部の女課長や
経理担当社員の女性としてそれぞれが抱えている事情にもドラマがあり
興味深かったですが、そのぶん男三人のドラマが少なく、
そこがバランス的に少し残念。

あと、当然ながら作者の映画愛が詰まっており、
溝口、アンゲロプロス”霧の中の風景”と行った具体的な作品の素晴らしさへの言及、
そして”映画館で映画を見ると、自分でもわからない気持ちが見えてくる。
だから映画(デジタルでフイルムより趣きが減ろうとも)と映画館で見ることは
永遠に無くなることはない” との力説に共感させられました。

映画業界という興味のあるお仕事、そして同時代を過ごし親近感溢れる
主人公たちを通して、二十代の頑張って働いていた自分を思い出させ、
そして、まだまだこれから!という気持ちにさせてくれる素敵な作品でした。




4 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2018年07月>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031