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2018年07月08日12:33

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山流クラブに敗戦、豊後の小大名、そして杵築藩小笠原

試合最初の右翼飛球失策落球、左二塁打、死球(肩から唇へ、そのせいか口内炎のように口内がうずく)

日出町職員平井義人さんは高崎山下に畑を持ち、猿にカボチャなどいつも持っていかれる。

義統はこの高崎城から龍王(安心院町)へ、父を臼杵に残して逃げてしまった。逃げ癖があるのかも。

金戒光明寺から宮城豊盛文書が出てきた。伝承でなく史料として豊後の大名、代官が確認できる。毛利重政が豊後にいた確認できる(他には証拠がないなど豊後の大名配置の詳細は謎)。

文禄2年から慶長2年の短い間だが、黒田中津領の北側を毛利吉成、西側を毛利高政(友重・代官が宮城)、東側を毛利重政で囲い込んでいる。海を越えると毛利本家。

吉成はこの3人のリーダー、長崎でどんな失策をやったやら。

平井さんは重政にかなり関心がある様子だ。

小笠原からの養子が入った能見松平重直が龍王に、杵築はその兄の忠知、忠知が三河吉田に去った後は、重直を継いだ英親が移る。

豊後への譜代的な小大名を豊臣、徳川がいかに配置したかから、見えてくる九州政策があるのかも。


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