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2018年07月07日11:14

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盲信

排他的宗教の歪んだ信仰。

以下、モーゼの十戒の冒頭ですが、

主が唯一の神であること
偶像を作ってはならないこと(偶像崇拝の禁止)
神の名をみだりに唱えてはならないこと

「主」を指定していないにも関わらず、ここに特定の神を宛がい信仰し始めた所から間違いが生じています。
ここの解釈は、

1. 信仰心を持ちなさい。
2. 自分の信じる神を人に告げるのはやめなさい。

こうあるべき所を、ここに特定の神の名を入れ、挙句、稀代のマジシャンを神の子と称し、崇め、ものの見事に、スタートラインから曲解された宗教を盲信した挙句の話なのかと。

十戒の続きは、人としての倫理観について語られています。
早い話が、道徳のお話です。
ただ、その道徳を定着させるため、人知を超えた存在を信じる事、すなわち、人よりも上位の存在を作る事で、道徳心の定着を促す手法が宗教です。
信じる者が異なれば、争いの原因となるため、その種を未然に潰すため、特定の名前を用いず、「主」とし、道徳を都合よく解釈しないよう、信じる者は一つにしなさいと伝え、信じる神が違うという理由で争いが生じるのは本末転倒なので、信仰による争いが生じないよう、信じる神の名は、他者に告げるなと言っています。
それにも関わらず、自分の信仰をあかし、自分の信じる神を崇める事を強要してきました。
そもそも、冒頭から曲解した宗教です。
以下の解釈について、どれだけ歪んだ解釈をしているか見当もつきません。

排他的宗教では、人が食べるものとして、神から授けたもうた「羊」と「ワイン」を挙げています。
曲解をやめようという宗派の方々は、羊とワインならOKという解釈をし、多くは、羊=動物性たんぱく、ワイン=アルコール飲料と解釈し、禁忌の幅を狭めた解釈をしています。
ただ、前後を読む限り、これは、何を食べても良いけど、感謝の気持ちを忘れないようにという話であって、食べるものを制限している話ではないんですよね。

菜食主義の方とお話しすると、中々楽しいです。
嫌煙家の方と煙草について話をする位ww
日常会話は普通なのですが、事その話題になったとたん、論理的な話が出来なくなります。
恐らく、そこに信仰があり、理屈ではない部分で菜食主義をされているのだと理解はしています。

ただ、彼らの挙げる「命」の定義について、かなりの部分で不安を感じています。

彼らの挙げる「命」は、肉や襲撃を見てもわかるように、赤い血を流す生き物なんですよね。
そこの中に、昆虫や植物は入っていないんですよ。
本文中の表現を使うと、

>>人間至上主義にストップを

これを口にするならば、「死ね」と言いたい。
人は、生きているだけで無数の命を奪う存在なんです。
食物連鎖の頂点に立つために努力を重ね今日の地位につきました。

その人達が着ている、被服を作るため、どれだけの命が奪われているのか考えたことがあるのでしょうか。

その被服を作る機械を作るため、どれだけ環境を破壊してきたか考えたことがあるのでしょうか。

その機械を動かすエネルギーを得るために、どれだけの命を奪い、生き物の生息地を奪い、生きていくための環境を奪っているか考えたことがあるのでしょうか。

それらを考えていたならば、菜食主義なんて口に出来ないはずなんですよね。
ただ、これを平然と口に出来る人達が実在するんです。

なぜか。

そこに宗教があり、自分の信じる宗教で言われている命を奪う行為ではないから、考えないんです。
盲信で一番怖いのは、この

「考えない」

という思考なんですよ。
極普通の人で日常会話も普通に成立し、話すだけなら楽しい人だったりもするのですが、事、この主義の話になったとたん、思考が停止し、判で押したように同じ事を繰り返し口にするんです。

仏教や、日本が良いと言っているわけではないので誤解してほしくないのですが、あくまで宗教一般の解釈としてとらえて貰えると助かります。
仏教では、命の定義は生きとし生けるもの全てとしています。
人は命を奪わないと生きていけない罪深い存在だとしています。
だから、食事の際に命を頂戴するという意味で

「頂きます」

と、命に対して感謝する習慣が根付きました。
先に述べたモーゼの十戒の冒頭部分を自然と生活に定着させているのが日本人です。
正直なところ、自分が何を信仰しているのかすら知りません。
ただ、生活規範の中に、

罰当たり

という言葉が根付いています。(最近の子はどうか分かりませんけど)

悪い事をすると罰が当たる。

罰を当てるのは誰?という話になると、お天道様という言葉がうちでは良く帰ってきましたが、別に太陽信仰をしているわけではありません。
人知を超えた存在の総称として「お天道様」という言葉を使っていたんだと思います。
地方によっては、特定の氏神様の名前だったりします。

話がそれましたが、生きとし生けるもの全ての命を奪わないと生きていけない罪深い人として生きている私からすると、この菜食主義と言うのは実に傲慢な考え方に見えて仕方ありません。
特定の動物だけを贔屓しているわけですよね?
あなた方が口にする野菜や果物も生きているわけですが、それは食べ物だから食べて当たり前なのですか?

無精卵は、命が無いからギリギリセーフww

これも実に傲慢な話です。
本来は有精卵として命を育むべき物を人が敢えて食べるように無精卵としているのですよ。
命が宿るべき所を人的に命が宿らないようにした物の何処がセーフなのかさっぱりわかりません。

チーズやバターは問題ないwww

これも傲慢の極みですよね。
そのチーズやバターを作る牛乳はどうやって作られているのか考えたことがあるのでしょうか。
妊娠と出産を繰り返す牝牛から取れる母乳ですよ?
その状態を考えれば、これほど残酷で傲慢な食べ物は無いはずなんですけどね。

ただただ、盲信していて、主義のための主義になってしまっているため、思考が停止し、他の事が考えられなくなってしまっているんですよ。

私は人です。
自らエネルギーを生成しそれを消費して生きられる自己完結型の存在ではありません。
ですから、生き物に感謝し、食卓にあるものに感謝し、手を合わせて

頂きます。

と感謝の言葉を述べてから頂戴しています。
感謝する気持ちは大切ですが、何に感謝すべきかを考えてみては如何でしょうか。

補足1:
彼らが彼らの主義において考え移すべき行動は、肉屋の襲撃じゃないはずですよね?
廃棄が生じる飲食産業そのものに対して、命への冒涜として訴えるべきですよ。


■仏で肉屋襲撃相次ぐ 菜食主義者犯行か、壁にメッセージ
(朝日新聞デジタル - 07月06日 21:00)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=5189063

 フランスで肉屋が襲われる事件が相次ぎ、あらゆる動物性食品を避ける完全菜食主義者による犯行との疑いが出ている。業界団体によると、6月下旬までに50件ほどの被害が確認されており、肉屋の店主たちがたまらず政府に直訴。警察による保護を求めている。


 パリ郊外ジュイアンジョザスで今月2日の未明、肉屋を営むカルル・ピテルさん(48)の店舗兼住宅が襲われた。店のガラス扉が割られ、外の壁には「人間至上主義にストップを」とスプレーで描かれていた。


 人間が生物の頂点に立つかのような発想を否定する、一部の完全菜食主義者がしばしば使うメッセージであることから、その関係者による犯行との疑いが出ている。


 ピテルさんは「食にも自由がある。肉食をやめろと誰が強制できるのか。肉屋を攻撃しても仕方ない」と語った。


 AFP通信などによると、仏では4月以降、北部リールなどで肉屋の店舗が血を模した液体で汚されたり、ガラスが割られたりする被害が出ている。「肉とは殺害である」などのメッセージも添えられていた。


 肉屋などの業界団体は先月、コロン内相に手紙を送り、「仏全土の1万8千人の食肉職人が事態を憂えている」として、警察による保護を訴えた。(ジュイアンジョザス=疋田多揚)
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