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2018年07月02日17:03

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内観(病気のこと、家族のこと、祖母のこと)

□リンパ浮腫の治療について
◯発症から最初の受診まで
私は、リンパ浮腫という病気を2004年4月、17歳のころから患っています。
しかし、リンパ浮腫という病気だと診断されたのは、23歳のときでした。発症から診断まで6年かかったんです。
23歳になる以前に、病院には行きました。
発症してから半年ぐらい経ったとき、2004年10月頃に、リンパ浮腫の症状であるむくみの症状がひどくなったので、以前足を捻挫したときにも足がむくんだことを思い出し、それが悪化したのではないかと疑い、足を捻挫したときに通院した接骨院に行きました。
しかし、そこでは、患部が赤くなっているため、接骨院の治療の範疇ではない。皮膚科に行くべき、と言われました。
ちなにに、当時患部が赤くなっていたのは、リンパ浮腫の特有の症状である蜂窩織炎が原因と思われますが、当時はそんなこと分かりませんでした。
接骨院の先生には、皮膚科に行くようにと言われましたが、私は、何となく皮膚科の治療範疇ではない気がしたし、行ってもいいことが起きない気がしたので、それから、半年間、医療機関を受診することはありませんでした。

◯次の受診
次に受診したのは、2005年5月頃のことでした。
皮膚科のある診療所を受診しました。
そこでは、レントゲンや血液検査などを行い、心臓や腎臓、肺などの内蔵疾患を疑われましたが、結果は、異常なしでした。
医師は、むくみの原因はたくさんあるが、ここではこれ以上の検査はできない。検査にためには、産婦人科や大きな病院を受診するべき、と言われましたが。
基礎体温を測って、それを産婦人科に見せろ、と言われました。
基礎体温を測る余裕は当時の私にはありませんでした。
毎日ダルくて、生きているので精一杯で、朝起きてすぐ基礎体温を計り、それを記録するということができませんでした。
できても、上手く計れなかったりして、適切な記録ができない可能性があり、そうなるぐらいならしない方がいいと思いました。
産婦人科の疾患ではないかという可能性に関しては、今年の5月にリンパ浮腫外来の先生にも相談しましたが、リンパ浮腫外来の医師には、婦人系の疾患ではない、と断言されました。

医師には、利尿剤の処方をされ、少し飲みましたが、なんだか嫌な予感がしたので、続けて飲みませんでした。
リンパ浮腫の治療において、利尿剤の服薬は、基本的にはしない方がいいと言われています。
一時的にむくみがなくなっても、体の水分がなくなることで、かえって、体が水分を蓄えようとしてしまい、リンパ浮腫が悪化してしまう可能性があるからです。

◯その後の受診と受診をためらった理由
次に通院したのは、1年後でした。医師に他の病院を受診していないことと利尿剤の服薬をしていないことを言うと、「なんで言う通りにしないんだ」と怒られました。
自分はダメな人間だと落ち込みました。
1年前もそのときも自分は、ちょっとしたことで、病気でもないのに、大騒ぎする困った患者なのではないかと思い、受診をためらったり、病院の建物に入ってからも気を揉み、診察が終わってからも気にしていました。
看護師さんたちが私を不審そうに見ていましたが、今から思えば、私はここに来ていいんだろうか、と不安になっている様子がこいつはおかしいと思わせたんだと思います。もしかしたら、精神疾患の患者だ、と思われていたのかもしれません。
そんなことがあり、2回目の受診のあと、私は、受診を躊躇い続けました。
また、違う病院を受診することで、病気じゃない(検査結果に異常はなかっため)のに、病気だと仮病を使い、病気じゃないという診断結果に納得せず、自分が病気だと認めてくれる自分に都合のいい病院を探す困った患者だと思われるのではないか、そして、実際にその通りなのではないか、と悩んだのも理由の1つです。

◯受診をためらった理由の背景
私のそのような思いは、子どものころのトラウマが原因のような気がします。
私は、小学校のころから、クラスメイトや先生とうまく関わることができず、学校に行かない方がいいのではないかと思い、また、それだけではなく、家族ともいい関係を築くことができなかったため、とても疲れていて、学校を休みがちになりました。
そうすると、祖母が怒り、「また休むのか! 病院行くか!? え!?」と言うので、病院に行っていましたが、結果はどこも異常なしで、そのたびに祖母にさらに、「どこも異常ないって言われとるのに、なんであんたは休むの!? Iちゃんは、体が弱くても学校に行っとるのに!」と怒られました。
だから、異常ない=仮病なのではないかと自分でも思ったのです。

◯度重なる異常なしの診断に治療を断念する
そんなわけで、次に病院を受診するのに時間がかかり、次に受診したのは、2008年10月のことでした。
まず、整形外科に行き、やはり異常なしと言われて、整形外科医から県綜合医療センターか大学病院への受診を勧められました。
大学病院なんて大それた場所に行くのが躊躇われたので、県総合医療センターに行くことにしました。

結果は異常なしでした。

整形外科にどこの科に行けばいいのかと聞いたら、循環器科と言われて、県総合医療センターの総合内科に行ったところ、そこでは、形成外科と言われました。
私は、どちらの言うことを聞けばいいか分からなくなって、何となく、総合内科の看護師さんより、整形外科の先生の言うことのほうが正しいと思ってしまい、「整形外科の先生に循環器科と言われたんです!」と言ってしまいました。
循環器科では、「特に異常ないです。うちかどうかも分からないんですけど」と言われました。
そのときは、分からなかったけれど、循環器科の方も行くべきなのは、形成外科だと思われていたのかもしれません。
精算のための紙をもらって、会計コーナーに行こうとすると、紙に「診察が終わったら、受付に寄ってください」という但し書きがありました。
私はその意味が分からず、この受付というのが会計コーナーのことなのかと思いましたが、たぶん違った気がします。
会計で意味を訊ねましたが、なぜか「気にしなくていいです」と言われてしまいました。
お金は2万円近くかかったと思います。これだけ払っても何もわからないのか、と思いましたが、異常ないって言われたんだからよかったんだ、と無理矢理思いました。

◯受診を再開しようと思ったきっかけ
そして、その次が2010年3月のことでした。
県総合医療センターに行っても分からないなら、と諦めていましたが、事務員の面接で行った精神科の面接で病気のことを相談したら、「順番が逆。体を治すのが先。こんな状態で仕事探したらダメよ」と心配されたので、頑張って、病名を特定しようと思い、ネットで足のむくむ病気を調べて、下肢静脈瘤という病名を知り、その病名の治療をしている病院を探しました。

病院受診後、私は、下肢静脈瘤ではなく、リンパ浮腫だと分かりました。
その病院では、下肢静脈瘤用の弾性ストッキングを購入しました。

リンパ浮腫の弾性ストッキングと下肢静脈瘤の弾性ストッキングの違いは、圧力がリンパ浮腫用の方が強いということです。

◯一人暮らしに対する世間の反応
余談ですが、その病院に行く前、まんが喫茶のアルバイトの面接を受けたとき、私は、現住所と卒業した小学校や中学校の校区が違うことから、面接官に一人暮らしだと話さなければならず、そうしたところ、面接官から、「なんで家出たんだ」と聞かれ、「距離を置きたかったので」と答えると、今度は、「親から追い出されたのか? 何したんだ?」と言われてしまい、とてもショックを受けました。結果はもちろん、不合格でした。「部屋の片付けとかをしたりしないといけないんだぞ。片付けできるのか」とまで言われてしまい、精神的にボロボロになりました。
その次の面接がさっき行った精神科の面接です。
そして、この病院では、今度は、看護師さんに、

「一人暮らししてるの? 偉いね。足こんなになって辛かったでしょう」「自分で調べてこの病院を見つけたの? 偉いね」と言われました。

私は、自分に甘いことを言う人の話を聞いて、自分に厳しいことを言う人のことを聞かない人間はダメなやつだと思っていたので、看護師さんの言うことを聞いちゃいけないと思いました。


一人暮らしができなくなって、実家に戻ったので、病院には通えなくなりました。お金もありませんでした。退去費用の5万円は、父に頼んだところ、父が親戚に頼み、払っていただくことになりました。




申し訳なかったです。

◯進む治療
それから、家に帰ってすぐ(上記の病院を受診したすぐあと)、実家の近くの総合病院の精神科を受診し、その半年後、その総合病院にリンパ浮腫の勉強をした先生がいると聞き、受診しました。
そこでは、リンパ浮腫用の弾性ストッキングを穿くよう言われました。
本当は、私ぐらいの太さだと弾性ストッキングではなく、弾性包帯を巻かなければいけませんでしたが、先生はそれには、弾性包帯だけではなく、皮膚を保護する付帯用具が必要で、それがないと症状が悪化するということや巻き方が少し複雑で、適切な巻き方をしなければやはり症状が悪化するということをご存じなく、弾性包帯1ロールを渡して、これ巻いて、としか言わなかったので、弾性包帯を巻くのはやめました。
弾性ストッキングも適切なサイズのものを着用しなければ、悪化する可能性がありましたが、先生が「足首はサイズがあってないけど、太ももはサイズが合ってるからこれにしましょう」と言って、適切ではない弾性ストッキングを穿いていました。
ただ、 私の場合、通常のリンパ浮腫患者と違い、足首が太すぎたので、適切なサイズの弾性ストッキングは、オーダーメイドするしかなく、それはあまりに高額で私には買えなかったと思います。




そして、購入のために精神科のときと同じ薬局で注文し、お金を払い、受け取ったところ、薬局の方に「1万5千円!? 高い」と言われました。
私は、その意味がそのときはわかっていませんでした。

◯精神科を受診したときの誤解
私は、最初に精神科を受診したとき、精神科の先生と看護師と精神保健福祉士さんに「病院のお金も薬局のお金もいらないからね。この病院には、困っている人に無料で受診してもらえるシステムがあるから。薬局は、院外処方だけれど、お金のことはあまり言われないみたい」と言われて、お金を払いませんでした。
その後、すぐにバイトを始めて、お金が入ったので、その分を払うと、病院の方に話しましたが、病院の方は払わなくていいよ、とおっしゃいました。
何度も払うと言いましたが、それは仁美ちゃんのために使って。と言われました。
私は、病院に払わず、薬局だけに払うのは、平等ではないと思い、薬局にも払わなくていいと思ってしまいました。

そして、弾性ストッキングを購入したあと、薬局の方に言いにくそうに、「未納の代金があります」と言われました。
私は何のことか分かりませんでした。
私は、払おうと思ったのに、払わなくていいと言われたから、払わなかったのに、これじゃ万引き扱いです。

「病院の方に払わなくていいと言われたんです!」と言うと、「それは病院の分ですよね。病院と薬局は、違うので」

「精神科の◯◯(精神保健福祉士)さんと相談する」と言って、その場から離れました。

精神保健福祉士さんは、「ビックリされたでしょう。お金払える?」とおっしゃいました。


彼女は、私がパニックになったのは、発達障害であるがゆえにルールを理解できなかったからだと思っているようでした。



私は、そのとき、病院と薬局が別の会社だということがはっきりわかってなかったんです。
ちょっと勘違いしたことがお金を踏み倒す人間とか、ルールを分からない人間と判断されたことがショックで、そんな人間と思われたこと、実際にそんな人間かもしれないことがショックでショックで仕方ありませんでした。


私が病院にお金を払うと言ったときに、「病院の分は払わなくていいよ。ただ、薬局の分は払った方がいい」と言ってもらえていたら、払っていたかもしれません。

でも、そのときは、病院の方も私が薬局には払う必要があるということを分かっていない、ということがわかっていなかったんだと思います。

ああ仁美ちゃん。病院にお金返そうとしてくれた。だったら、薬局にもきっと自分で返しに行ってくれてるだろう、と思われた、いや、そこまで気がつかなかったんだと思います。



私は、薬なんて飲みたくなかった。
お金があっても、薬なんて飲みたくなかったし、まして、つけ払いとか、無銭飲食みたいなことをしてまで飲みたくなかった。
でも、実際に私がしたのはそういうことでした。
私にそういう意識がなかっただけで。
それがショックでした。


だったら、薬局のお金は、無料にできないから、薬は、経済的に余裕ができてから、飲むようにしようか、と言って欲しかった。


当時の私に知識や判断力がなかったのは確かです。

でも、私は当時は、23歳で若くて、精神的にも余裕がなかった。






家族がいたら違ったかもしれません。
正確には、適切な判断や助言をしてくれる家族。

ちなみに、弾性ストッキングを初めて購入したのは、独り暮らしだったときですが、実家にいたら購入できなかったかもしれません。


◯祖母の言動とそれに怯える自分
私の祖母は、自分が見たことがないものが家にあったり理解できない状況があると、怒る人でした。

たとえば、私が小学校の頃にアボカドという食べ物があると知り、それを購入したところ、祖母が怒りました。
「何これは!? こんなもの食べられるわけないでしょ!」

さけるチーズを買ったときもそう言われました。

私が薬局に家の押し入れに眠っていたドライヤーを使おうとしたときも怒りました。
「何をやっとるの!!! 頭おかしいのか!!!!」

私が花粉症になり、ティッシュをたくさん使うと、「何をやっとるの!!!こんなに使って!!!」

祖母には、ティッシュをたくさん使うぐらい鼻水が出るということが理解できなかったらしいです。



だから、弾性ストッキングが祖母に見つかれば、また怒られるんじゃないかと思いました。
結果的には、実家に帰っても、怒られなかったけれど、私は常に自分の言動が祖母を怒らせないか怯えながら、生活していた気がします。


◯祖母の死
2011年7月、祖母の様子がおかしくなりました。
明らかに衰弱して、病院に行かないと死ぬんじゃないかと思いました。

しかし、私は、救急車を呼ぶことができませんでした。
祖母は、自分の思い通りにならないことが起きると、怒り狂うからです。

たとえば、私が20歳か21歳ぐらいのとき、祖母が水道代を4ヶ月滞納し、私に2ヶ月分払ってくれと言ったことがありました。
私は、滞納なんてよくないから、4ヶ月分払うよ、と言いました。
祖母は、それを認めませんでした。

それでも、私が4ヶ月分払おうとすると、祖母は、私を叩きました。思いっきり。
そんなことをしたら、祖母の手が骨折してしまうんじゃないかというぐらい思いっきり叩きました。
「なんであんたが決めるだ。あんたはこの家の家主か!!!」

私は、そういうとき、叩かれながら、祖母の手が折れないか心配していました。

そのころ、私は、祖母に言われるまま、2ヶ月に1回、数万から十数万円程度のお金を渡していました。
なぜ2ヶ月に1回かというと、祖母は、2ヶ月に1回、年金を受給していて、父が仕事をやめてからは、私のアルバイト以外の収入はそれだけだったからです。

祖母は、「お金が足りなくて、水道代頼める? 2ヶ月分だけでええで(「2ヶ月分だけでいいから」という意味です。岐阜弁で、「〜で」という語尾は、関西弁とは発音も意味も異なり、「〜から」という理由を意味する言葉になります)」と私に言いました。
私はそのとき、アルバイトで得たお金に余裕があったので、残りも払うと言ったのです。








話は戻りますが、自分の利益になるようなことでも、予定変更があると、受け入れられない祖母だから、救急車を呼ばれるという日常ではあり得ないことになり、祖母の意思ではなく、運ばれるなんてことがあったら、隊員が祖母を運ぼうとすれば、祖母が救急隊員をボコボコに叩くのではないかと思ったんです。

そんなことになって、もしも、警察沙汰になって、祖母がもう救急車を呼べなくなったら、と思うと、怖くて、救急車を呼べませんでした。もしそんなことになったら、叩かれた方にも申し訳ないと思いました。


だから、結局、祖母がもう本当に動けなくなったときに、父が気づいて、救急車を呼ぶまで、私は、祖母を病院に連れていくことができませんでした。

ちなみに、父いわく、病院には、その少し前に行っていたそうです。
でも、病院は夏バテと判断したそうです。
私も父が救急車を呼ぶ数日前に電話で病院に相談しましたが、病院は、衰弱している祖母の様子を認知症と誤解し、認知症の対応方法を私に言いました。そういうことではないんです、と私が言うと、「病院は、医療機関なので、そういうことは、別のところに聞いてください」とかなんとか言われた気がします。
私は、本来なら救急車を呼ぶべきだと思っていました。でも、暴れる祖母が怖くて、救急車を呼べませんでした。

祖母は、7月に入院し、9月25日に死にました。


私の対応をもしかしたら、保護責任者であるものが適切に対応しなかったために、祖母が死んだんだという犯罪だと言う人がいるかもしれません。


私もそうなのかもしれないと少し思いました。

でも、本当に祖母は、さっき言ったように自分の思い通りにならないことがあると、叩き出すんです。



子どものころからそうだった気がします。
小学校のころから。

学校に行かないと言う私を祖母は叩いた気がします。





病院に入院したあとも、リハビリを促した作業療法士さんか理学療法士さんを叩いたと聞きました。

私からその方には謝罪しました。

父は、憮然とした表情でそれを聞いていました。



祖母は、そういう人なんです。
気に入らないことがあると、人を叩く。











◯自分に行動について
私にもそういうところはありました。
小学校のころ、クラスメイトにデブと言われて、2回か3回我慢したけれど、3回か4回目に言われたときに、叩きました。






先生には、口で言われたんだから、口で返しなさいと言われました。

そうするよう、努力しました。


でも、祖母はずっと私を叩き続けました。


2013年11月頃、お金がなくて不安な上、恋人とうまくいかず、体調も悪いときに、年金の関連機関の方が家を訪問されました。
私は年金の督促だと思いました。

でも、実際には違いました。

私が免除申請をできるよう、私の家まで訪問してくださった方でした。
お金ないんです!という私にその方、60代ぐらいの男性の方は優しく、そうではないんです、免除をするための手続きをご紹介しに来たんです、と言ってくださいました。
なのに、私は、収まりがつかなくなって、そのまま追い返してしまいました。
いくら、体調が悪くて、恋人から怒鳴られてばかりでお金もなくて、精神が不安定だったからと言っても、本当に申し訳ないことをしたと今は思っています。
本当に申し訳ないと思うと同時に、その方に感謝しています。辛いときにその不安を減らすよう、来てくださった方は、有り難かったです。本当にありがとうございました。


◯お天道様に恥じない生き方をする
祖母に叩かれ続けたのに、私は頑張りました。これからもお天道様の下に立って恥ずかしくない人間になれるよう、そういられるよう、頑張ろうと思います。
間違いを認めて、反省して、感謝していきたいです。



◯まとめ
だだだっと書きましたが、これを読むと、私が家族と距離を置きたかった理由の一部がお分かりいただけるのではないかと思います。

今、今まで辛かったことを文章にする作業をしています。
そうすることで、混乱していた状態から抜け出したいです。

第三者の方には、嫌な思いをさせてしまう文章かも知れません。
しかし、私にとって、誰かに知って欲しいと言う気持ちがあるため、全体公開とさせていただきます。

嫌な思いをされた方がいらっしゃったら、申し訳ないと思います。

あまりにも嫌な思いをさせる文章だと分かったら、非公開にさせていただく可能性もありますが、いったん、全体公開とさせていただきます。

この文章をもう少しまとまった文章、丁寧な文章にすることができたら、何らかの形でもっとたくさんの方に見ていただける動き(この文章をエッセイや小説風にして、コンテストに応募するなど)をすることも考えていないわけではないですが、この文章は、草稿? 絵コンテみたいなものなので、ただの全体公開とするつもりです。


また、適時、修正・加筆等をさせていただく可能性があります。

ちなみに、肝心のリンパ浮腫の治療に関してですが、2018年、今年の3月からやっと適切な弾性包帯での治療を始めることができるようになりました。
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