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2018年06月23日04:30

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北方謙三 水滸伝 十二巻 炳乎(へいこ)の章

この十二巻「炳乎の章」は、十九巻中 一番面白く感じた。

十一巻で、大きなターニングポイントを迎え「さぁ、これからどうなっていくのか!?!」
のところに、この十二巻で「関勝」が登場する。

この関勝が、なんともまぁ、おおらかな新鮮さを「ううううう」となっていたところへ吹き込んでくれる。

そして、全体的にみんな一息というか、十一巻までのクライマックスを突き抜けてきたヒーロー達が、みんなそれぞれ集まって、テーブルに腰をおろしこれまでを振り返り、言葉にならないない言葉でそれぞれの告白と思いを談笑しつつ寛ぎ和むのである。

関勝の登場に際して、一緒に出てくるのが関勝の軍師の宣賛(さんせん)。 この宣賛(さんせん)は、北方三国志の諸葛亮孔明を彷彿させる人物である。

関勝がおおらかに豊かに十二巻全体のフレームを彩る中、盧俊義(ろしゅんぎ)と燕青(えんせい)の話が中心に大きく展開する。

燕青の盧俊義に対する従者としての忠誠心とその従者としての盧俊義をなにがなんでも助け出す任務遂行力は、圧巻。

と、それは核の中のフレームなのだが、自分にとっては、個人的に、「腐刑(宮刑ー男子は去勢される刑で死刑の次に重罪の刑)」を、盧俊義に背負わせた、というか革命を支える決定的な財源を盧俊義一人で創り総指揮する闇塩商人としての、天才的であり且つ対抗するブ

レインなしの盧俊義に、北方さんがそうされたのか、それとも原本の盧俊義の背景がそうだったからなのかはわからないが、とても影のある背景をもっていって、話をすすめたところに、非常に感嘆し驚愕、畏怖させられた。

盧俊義が拷問にあって、裸にされて、知らされる盧俊義の秘密である。 それを拷問という形で表に出してくる。 「一体この盧俊義とは何者ぞ!?!」と否が応でも考えてしまう。

そして、その秘密は唯一、忠実な従者である燕青のみが知っている。 そして、この燕青の主君盧俊義に対してのやさしさ忠誠度が、これまた、半端なく心をうってくる。

盧俊義の受けた腐刑は、睾丸だけは残されているので、女性に対して欲望はもったままである。 しかし、男根は去勢されてしまっているので、女性と交わることはできない。 

そして、盧俊義は男色では全くない上に、慎重190cmもある巨体であり、それで睾丸だけされているのは、もう死刑以上に苦しい時も多いはずだ。 盧俊義は、なので盧俊義は女性を決して近づけない。

この苦しみを理解した上で、従者の燕青が盧俊義の体をマッサージしたりするときに、腰の部分をおして射精させてあげるところまでするのである。 これは盧俊義に命令されたことではなくて、燕青の純粋なやさしさからである。

盧俊義が女性を近づけないので、世間では盧俊義は男色であり、燕青がその燕だと断定しているのだが、そう言われても燕青は盧俊義をおもいやって、その噂に心を惑わすことなく盧俊義に忠誠、主従の礼を尽くして盧俊義を守る。

自分は、いろんな国のいろんな方々とお会いさせていただくことが多いけれども、自分の日本文化は中国からの影響が強いとか、漢字という文字を中国語から発展させてきたこともあり、いろいろと似ている部分も多くあるが、

中国と言えども、とてつもなく広く、いろんな民族の方々から構成されているので、一重に中国文化とか中国人の方を語ることはできないが、やっぱりいろんな意味でかなり違うなぁと思うところがある。

例えば、スケールの大きさの違い。 自分が今まで読んできた戦いの中で一度の戦いで亡くなった人数の多さは、真田幸村が作った穴に入り込んで亡くなっていった隆慶一郎さんの小説にでてきた、暗にそう指示をだした徳川秀忠の軍1万2千人だった。

それに比べて、中国では、一度の軽めの戦いに2万、3万と出てくるし、1万人くらい軽く亡くなることもあり「壮大だなぁ〜」と思う。 場所の移動も、これも隆さんの小説の中で、江戸と京都間を3日の移動、それも忍びのものたち、そうトレーニングされたもの達だが、

中国だとその4倍くらいの距離を馬でだけれども、同じく3日くらいで移動してしまう。 しかも、それは比較的に遠くない距離として扱われる。 あと、日本の小説だと、殺傷に躊躇するが、中国だと、大量栽培のにわとりのごとく、さっさと首をとばしてしまう。

一人の兵の命の重みがかなり違う気がする。 それと、忠誠心と言っても、日本の忠誠心と中国の忠誠心もちがい、中国では「義」が大事なのだそうだが、自分はまだこの「義」というコンセプトがよくわからない。 日本の忠誠心とは、結構違う気がするということだけ感じる。

と、ここまで書いて明日からスエーデンに十日遠征。 

その間、スエーデンとは全く関係なく「空海」と「密教」について観たり読んだり、「般若心経」とうろうろとしていた。 般若心経は、苫米地英人氏の訳のを拝読したが、とてもわかりやすく初めて般若心教をよく理解できた気がした。











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