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2018年06月20日00:42

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伊達政宗VS大内定綱の城

先日、中世相馬氏の墓所を訪れた帰りに、久しぶりに「小浜城」行ってみようと思い立ち、道中、案内板に誘われて「宮森城」、「四本松城」と廻ってみた。

昔の大河ドラマ「独眼竜政宗」をご覧になっていた人ならば上記の城名と大内定綱の名前が番組前半で大きな役割を果たしていたことをご存じだと思う。

この地方を治めていたのは大内定綱、居城は小浜城、宮森城、四本松城はその支城。
もう一つ忘れてならないのが小手森城、定綱と政宗の間には因縁があり戦となる。
政宗は定綱を討つべく仙道筋に出兵、その中で小手森城の攻城戦は大殺戮戦となり、城方800名が撫で斬りにされたといわれている。
結局、定綱は領地を捨てて逃げてしまい、小浜城には政宗、宮森城には政宗の父、輝宗が入ることとなる。
それから間もなく宮森城の輝宗のもとに二本松城主 畠山義継が挨拶に来るのだが、その義継により輝宗が拉致されるという事件が発生し、阿武隈川河畔で政宗の追撃を受けた義継が輝宗を殺害してしまう。
小浜城を中心としたこの地はそういったドラマがあった地である。
ちなみに事の発端の大内定綱は伊達政宗の重臣となり、伊達家の中で活躍することとなる。

1枚目:小浜城本丸虎口と石垣(石垣は蒲生氏時代のもの?)
     昔訪れた時よりもきれいに整備され、地元の方々による草刈も行き届き、草だらけのこの季     節でも明確に城跡を楽しめる(感謝)
2枚目:宮森城本丸への登城口
3枚目:四本松城案内板

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