「古代エジプトの音楽」という本を読んでいるニャ。
古代エジプトの様々な楽器は、残っているニャ。
だが、これらの楽器によって奏でられた音楽については、どのようなものであったかを伝える資料はないというのニャ。
ならば、これらの楽器そのものを手掛かりにするしかないのでニャ。
ハープ、シンバル、トランペット、リュート、リラ、などの他にも、タンバリンや太鼓などが用いられたことがわかっているニャ。
音楽の場には、手拍子もあるし、ボディパーカッションを連想できる壁画もあるニャ。
大勢の人が列をなして踊る姿も、描かれているニャ。
古代エジプト特有の楽器として、シストルムもあるニャ。
他にも、シンバルを鳴らす道具と組み合わせたクロタラのような楽器もあったニャ。
これらの楽器や、手拍子、列をなして踊る人々、さらには、ボディパーカッションもあった可能性を考えると、少なくともどのような拍子をとるのが一番自然かが、見えて来るニャ。
強弱の入れ子になってる、拍子ニャ。
前半が強く、後半が弱く、その前半と後半にも、それぞれ強弱があるのニャ。
強さの順で言うと、強い順に4・2・3・1っていう感じニャ。
実際に手拍子を打った方が、わかりやすいニャよ。
Ton!ta!ton!ta Ton!ta!ton!ta (大文字小文字に強弱を対応させて手拍子)
実はこれ、ロマ音楽の拍子の取り方なのニャ。
ロマには様々な呼び方があるが、それらを見ると彼らがエジプトから出た民族である可能性が見えてくるニャ。
ロマは、音楽の他、実は金属加工の技能者集団でもあるニャ。
一見すると、何も関係がなさそうニャ。
だが、もしロマが古代エジプトの演奏者集団にルーツを持つ人たちと見たらどうニャ。
シンバルやシストルムのような、繊細な加工が必要な金属製楽器のメンテナンスを彼らは自らの手でしていたとしたらどうかニャ。
演奏者は、修繕や制作のような特別な技能者の手を借りる必要のあること以外、日常的な手入れを大抵は自らの手でしているニャ。
シンバルやシストルムの最終的な仕上げは、演奏者自らの手でしていたかも知れないニャ。
簡単な修繕くらいなら、自分でしたことニャろ。
そうであれば、金属の加工技術もあっても不自然ではないニャ。
何らかの理由でエジプトの地を離れた演奏者集団が、ロマの起源かもしれないニャ。
オリエンタルダンスとも呼ばれるベリーダンスの演奏に合わせて、ロマ音楽の拍子で手拍子をうってみたのニャ。
ターキッシュのような激しいアップテンポのベリーダンスもあるが、基本的にはロマ音楽の拍子で手拍子をうってついていくことは可能だし、次第にのめり込んで恍惚の世界にはまり込んでいけるニャ。
あまり夢中になって、踊りださないようにしないといけないニャ。
何度ものめり込んで、踊りだしそうになったくらいどの曲にもぴったりとついていくことができるニャ。
ロマが作り出した代表的な音楽のジャンルがフラメンコなのニャ。
もしかしたら、古代エジプトの音楽は、ベリーダンスやフラメンコに別れる以前の一種独特なテンポやメロディーで演奏されていたのかも知れないニャ。
おそらくそのほとんどが、即興曲だったでしょうから、楽譜など残るはずもありません。
神々やファラオたちを喜ばせるための集団で延々と踊ることのできる即興曲、それが、古代エジプトの音楽だったのかもしれないニャ。
中には、女性の踊り手によるエロティックなものもあったことニャろ。
男性の踊り手も、あるいはいたかも知れないニャ。
ベリーダンスの踊り手には、かつて男性も少なからずいた記録があるそうニャから。
酒、食事、音楽、そして、恍惚に浸った人たちの踊りの群れ…。
神々と人々が混然となった恍惚の空間の中で、時を経つのも忘れて音楽によいしれたそんな場面も王宮では、しばしばあったのかもしれないニャ。
これはあくまでも、楽器たちが見せてくれた幻想の世界ニャ。
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