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2018年06月11日04:37

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ゴッホと日本、そして広重

いま「ゴッホと日本」展がオランダはアムステルダム市のゴッホ美術館で開催されている。

ゴッホの作品に版画の模写のような作品があったのは知っていたけれども、パリ時代と
それ以降にこれほどまでも日本というか浮世絵等からの影響を受けていたのかと驚愕した。

ゴッホは、パリに住んでいるときに、時のパリの美術商人サミュエル・ビン(Bing、アートヌーボーなど、日本の日本の美術・芸術を欧米諸国に広く紹介し、アール・ヌーヴォーの発展に寄与したことで有名)の店で、600枚以上の歌川広重、葛飾北斎他の日本の版画を買い集めていたらしい。

そして、それらの版画を、パリ時代の部屋に貼っていたというから驚きだ。

ゴッホにとっては、それが南フランスへ行くきっかけとなり、そして着いたときに「日本のようだ」とまでも、言わしている。

手に入れた版画の色彩の鮮やかさに、南フランスの色鮮やかなものが重なった模様で、その時代の絵は、実に色が濃いけれども様々な色で鮮やかだ。

ゴーギャンとのコミューン作りや夢破れて精神病院に入ってからは、色のトーンも落ちてくるのが興味深かった。 ゴッホが使う色使いは、ゴッホのその時々の気持ちや思考、エネルギー等を実にわかりやすく反映しているように自分には思えた。

パリ時代の版画収集時から、日本美術特に版画からの影響で特にゴッホが興味をもったところは、「自然への回帰」なのだそう。 それからは、麦の穂だったり、鳥、カニ、蝶々、枝に停まる小鳥とか、そういうものをどんどん描いている。 

世界に3枚ある「花咲くアーモンドの枝」の一つが展示されていた。 果てしなく美しい作品の一つだ。 それは、弟のテオ夫婦に赤ちゃんができて叔父のヴィンセント同様に「ヴィンセント」と名付けられ、その祝いに描いて送ったものらしいのだが、その赤ちゃんがこのゴッホ美術館の創始者になるとは、その時は誰も思わなかっただろう。

3枚目はどこにあるか忘れたが(もしかしたら同じくゴッホ美術館かもしれない)、あとの一枚はオランダアムステルダムにある在蘭アメリカ大使館にある。 これは、自分は一生観ることができないだろうけれど、たまにテレビで観れることもあり、やはり美しく、肉眼で観てみたいものだと思う時もある。
 
この展示会では、ゴッホ自身が所有していた歌川広重の版画がたくさん展示してあって、その広重の逸脱した才にまた感銘を深くうけた。 葛飾北斎もいいのだが、自分にとっては広重の作品は群を抜いて巨才を感じる。

自分は恵まれてゴッホの作品は何度も観る機会があったので、未だ観たことのない作品や題材の面白さのものを愉しみつつも、広重の作品を数多く観れてとても歓喜し「ありがたいなぁ〜♪ ついてるなぁ〜♪」とホクホクした。

昨年 東京へ戻った時、上野の国立美術館で、数は少なかったものの広重の作品を観れて、果てしなく嬉しく歓喜に満ちた。 「日本人でよかったぁ〜」とあまり関係ないが、そうつくづくと思いいった。

ゴッホも広重の作品にインスピレーションをかなりうけて、というか、うけまくっていて、これぞゴッホ!という有名作品の基礎はこの広重の作品なのではないかとおもうくらいだった。

なので、ゴッホはゴッホ独特の作風と思っていたが、今回の展示会をみておもったことは、意外と日本、浮世絵版画の影響が強く、東の文化が西の文化に吸収合体された感じが、目新しかったのかなと思わないでもなかった。

あとゴッホの強い思い込みも興味深く、南フランスの風景が浮世絵で思い描いた日本にとてもゴッホの中では近かったらしく、日本に行かずして日本を体験できていると幸せそうだったり、

ゴッホが収集したゴッホの世界での日本のお坊さんの生き方や哲学が、これまたゴッホをお坊さんのように坊主にして目を少しつりあげて知性深くある自画像にもしたり、ゴーギャン等に日本の芸術家(版画家)はお互いの作品を交換しているらしいから、僕たちもそうしよう

と作品交換を提案して実行していたりと、日本づくめのゴッホの中で一番日本的だった南フランス時代に精力的に作品を描き、ご機嫌に、交流もしている。

しかし、そういう思い込みの強さからか、ゴーギャンも3ヶ月ゴッホと暮らしてみたものの(ついていけなかったのだとおもうが)、南フランスのゴッホコミューンの礎にはならずに離れていってしまい、これがゴッホに耳を切るということをさせてしまう。

ゴッホはゴッホの思考の域においてとても純粋だ。 その思考域において、かれは思慮深くもあり、相手をおもいやることもでき、歓喜もなにもかもがゴッホが活き活きと本人らしく輝くのだが、その域を出ると、彼はどうも路頭に迷うようなのである。

別次元にいる感覚になるのかもしれない。 そういう点で、広重の作品を中心とする日本の浮世版画の世界は、彼の思考域にマッチするだけでなく、新たにその域を輝かしく拡げていったと言っても過言ではないのではないだろうか。

それでも、彼の思考域に大きく陣取っていた「画家のコミューン」しかもゴーギャンと協力してというのが、ゴーギャンが去ったことで大きく不可能というものに置き換えられて、というか、彼自身の思考域外になってしまって、その域が一気に狭まり、狭まっただけではなくて

どうしていいのかわからなくなったのではないだろうか。彼の死の前の作品に、パリ郊外の林を散歩する二人のカップルの作品があるが、その二人の描き方には、その二人のやさしい穏やかな人間的なものがあふれている。

そして、その対象としては、その林の木々の色が紫が多く、人の世界のさわやかさ、自然の世界の色とはもうかけ離れてしまっている。  最後に彼がたどり着いたのは、彼の思考外の紫の世界と、慈愛に満ちた一人だけではない、一人以上のやさしい人間関係というのが思考内に新しく芽生えたところだったような気がした。

今回は、彼の純粋さ、彼の思考内での果てしない純粋さに触れられた気がした。
幸いに弟のテオはこれを良く理解して、支えている。

自分は、別な分野で、こういう果てしなく純粋な域を持つ人たちと関わってもきたので、支えるのがいかにたいへんかもよくわかり、テオってすごいなと思う。 

余談だが、この展示会は世界中から観にきていて、会場内は満員御礼な感じなのだが、その中には画家や芸術家の卵も多いと思うのだが、ゴッホの芸術家のコミューンは今ならいくらでも世界中から集まってきて可能なんだろうなぁと、そんなどうでもいいことを思った。





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