本気でこの国の主人公として目覚めた市民がいったいどれだけいるのか、今、冗談抜きで問われているのではないかニャ。
違うかニャ。
民主主義では市民が主人公、政党はそのための道具に過ぎない、そう思わないかニャ。
主人公は国民であり政党はそのための道具に過ぎないことを忘れてしまった政党は、使い物にならないからさっさと捨てようニャ。
市民が主人公、この自覚が私たちの側にあるのかニャ。
今、私たち市民もまた問われているのでないかニャ。
思い出して欲しいのニャ。
私たち市民こそこの国の主人公なのだ、私たちにその自覚と覚悟が、今、あるのかニャ。
市民が主人公、そう思っている人は、野党にドンドン思いをぶつけようニャ。
与党が国民こそが主人公であることを忘れ、高慢になっていないかニャ。
突き付けようニャ。
「誰がこの国の主人公なのか」と言う、民主主義にとって最も基本的な、この問いかけをニャ。
民主主義である以上、私たち市民が主人公なのニャ。
野党は国に市民の声を突き付けるための道具、市民はこの基本を忘れないことが何よりも大事ニャ。
使い物にならない道具は市民から捨てられてしまうと、詰め寄ろうニャ。
「国民が主人公だ」この大原則を忘れた瞬間、民主主義は無力な偶像に堕落するニャ。
民主主義に命を与えられるのは私たち市民であることを、忘れてはならないのニャ。
「野党は本気で政権取りたいのかという国民の批判や疑問に答える意思を具体的な行動で示して欲しい」そう思える時、実は腰砕けになっているのは、市民の方の覚悟なのニャ。
「共闘による政権交代でどういう政策や選挙共闘を実行するか協議している姿を、はっきりと示して欲しい」、野党に一番問われているのはこれだと市民の側が本気で思うなら、市民の側こそ、本気で思いを突き付けようではニャ。
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