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2018年05月16日00:03

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日本史の謎

戦後、日本の歴史学界は
"天皇制を否定"するマルクス主義に
牛耳られました。

これはどういうことを意味するのでしょう?

すなわち、古代の歴史=天皇家
について書かれた『古事記』『日本書紀』が
正当に検証されなかったのです。

で、問題はそれだけに
とどまりませんでした。

彼らが歴史を検証するために用いたのが、
"朝鮮半島や支那大陸に残された文献"です。

その代表例が卑弥呼や邪馬台国について
書かれた「魏志倭人伝」です。

『渡部昇一の少年日本史』(致知出版社)
には以下のように書かれています。

これは『三国志』の「魏書」にある
「東夷伝」中に含まれていて、
三世紀の末ごろに書かれたと言われています。

「東夷伝」の「東夷」というのは
「東の方の蛮族」という意味です。

そんな海の向こうの蛮族について、大陸の人々は
どれほどの関心を抱き、どれほどの知識を
持っていたでしょうか。

おそらく

「東の方にもどうも島があるらしい、
 その島の名前は『やまと』というそうだ」

という、噂の噂ぐらいのレベルで
耳にしたことを書いたと考える方が妥当でしょう。

邪馬台の「台」は「と」と読めますから、
「やまと」に「邪馬台」という漢字を
当てて書いたのでしょう。

しかも相手には野蛮国という
先入観がありますから、
「邪」という悪い漢字を使っているわけです。

そこの支配者は卑弥呼という
女王であるというのも、
どこかで耳にしたことなのでしょう。

日本人から見れば卑弥呼は「日の御子」です。

日本人は昔から天皇のことを
日の御子と呼んでいたのです。

だから卑弥呼とは天皇のこと
なのではないでしょうか。

(中略)

しかし『魏志倭人伝』の作者は
野蛮人の国の日の御子だから
「卑」という字を使って
卑弥呼としたのでしょう。

しかもそれが女王であったというのは、
日本の神話では天照大神という
女神がいたという話が伝わっていて、
それと重なって女王の卑弥呼になったのだろうと
私は想像しています。

このような想像の産物が
『魏志倭人伝』なのではないかということは
昔の人も考えたようで、
第二次世界大戦の前までの
まともな日本の歴史家は誰も
『魏志倭人伝』を取り上げていませんでした。

ところが戦後になると、特に1970年代あたりは
支那大陸や朝鮮半島を重んずる風潮が強くなって、
あたかも邪馬台国や卑弥呼が
『魏志倭人伝』に記された通りであった
ようにこじつける仮説がたくさん出てきました。

このように日本の歴史は、
文献主義に侵されているだけでなく、
マルクス主義にも侵され、
私たちの直接の先祖に対する
歪んだ認識を持たされているのです。
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