自己責任と思っていたものが実は、そうじゃなかったなんてこともあり得るのニャ。
障害の内容によっては、あなたのせいよりも環境に原因があることもあり得るのニャ。
どうしてそうなのか、一度冷静に振り返ってみることをお勧めしたいニャ。
少しでも、環境に原因がありそうなら、声を上げた方が良いニャろね。
案外そのことで、心苦しく思っている人も周囲にいるかもしれないからニャ。
率直に悩みを打ち明けた方が良い場合もあるってことニャ。
自己責任と言われても、怯まないことニャ。
「何でもかんでもひとのせいにするな、自分で解決できるものだってあるだろ」そう言われたと謙虚に反省するチャンスを与えてもらえたと思うことニャ。
何でもかんでも敵対するのではなく、相談にのってもらって味方してもらえるところはしてもらう方が良いかもニャ。
「自己責任」の言葉で怯んでいる人に、聞いて欲しいのニャ。
本当に全部が自己責任なのかニャ。
少しでも環境に原因があるとわかった場合は、周囲に声をかけてみた方が良いかもニャ。
あるいは、見つけ方がわからないなんて場合も、周囲に相談してみると道が開ける場合もありニャ。
自分でなんとか解決できるものならと、悩んでないで、一人で抱え込んでいないでいる方が良いかもニャ。
国でも地方でも、あるいは様々な団体でも、「自己責任」とか言う前に自分たちに何かできることはないか考えて欲しいのニャ。
行政など環境に大きな影響を与える事ができるところは、その持っている力で何とか出来る障害を一つでも多く現場の声をきめ細かく聞いて取り除く対策何とかして欲しいものニャ。
問題解決したくても諸事情によりできないと思っている人たち一人一人も、一人で悩んでいないで自分の抱えている障害のうちで、これは自分だけでは解決は無理と思えることは積極的に声を上げた方が良いニャよ。
変わらないとあきらめないで、声を上げ続ければいつかは変わるはずニャ。
これは、しょっちゅう、くじけそうになったり、怠けそうになったりする私自身も反省しなければならない事でもあるニャ。
マタイによる福音書 24章 13節
しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。
ルカによる福音書 22章 28節
あなたがたは、わたしの試錬のあいだ、わたしと一緒に最後まで忍んでくれた人たちである。
コリント人への第一の手紙 1章 8節
主もまた、あなたがたを最後まで堅くささえて、わたしたちの主イエス・キリストの日に、責められるところのない者にして下さるであろう。
ヘブル人への手紙 6章 11~12節
わたしたちは、あなたがたがひとり残らず、最後まで望みを持ちつづけるためにも、同じ熱意を示し、
怠ることがなく、信仰と忍耐とをもって約束のものを受け継ぐ人々に見習う者となるように、と願ってやまない。
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