mixiユーザー(id:15387168)

2018年05月10日10:35

589 view

ある女性の摂食障害を発症した経緯と回復の経緯とそれにまつわる日本の精神医療や日本人の精神医療観について

■25年間「今日は死なない」を積み重ねた女性 摂食障害の壮絶な日々
(ウィズニュース - 05月10日 07:00)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=220&from=diary&id=5104230



"中学1年で症状が出始めた摂食障害は、40歳前後で回復するまでに、25年近くの時間を要しました。「ずっと居場所がなかった。私の経験が、摂食障害を抱える若い人たちの役に少しでも立つならば、話していきたい」。回復したいま、東京都内の会社員女性(42)はそう口を開きました。

あるとき、通勤中の電車の窓から、自分が毎晩歩き続けている大通りが見えて、「もうこんなことは終わりにしたい。本当の意味でリセットしたい」と思いました。就職してからずっと住み続けていた街から、引っ越すことを決めました。それが4年ほど前のことです。

若い子のことが心配
「回復しているのかも」
引っ越ししようと思えるようになったころから、回復はゆるやかに始まっていたのかもしれません。 引っ越した後、過食の量が自然と減り、リセットの作業もゆるやかになっていきました。もちろん、過食してしまうこともあったのですが、その量や頻度が減っていきました。

中学生で拒食症と診断されてから、病院を受診はしていました。でもいつも数回で通院をやめてしまって、続きませんでした。だから、あまり医療のおかげで回復したという実感はありません。

なぜ、回復が始まったのか、自分でもよく分かりません。 ただ、40歳になるちょっと前、当事者が集まる座談会に参加したことがあります。それまでは、こうしたイベントに「行ってみよう」という気持ちになったことはなかったのですが、そのときは自然と行ってみたくなりました。

私が一番年上ぐらいで、10〜20代の女の子たちが集まっていました。その話を聞きながら「いま頑張っているんだな、つらいんだな」と思いました。そのとき、「若い人のことを思えるようになった自分は、もしかして回復しているのかも」と思ったことを覚えています。 やせたい気持ちはいまもあります。体形が良くない、という自覚もある。でも、体重をいま、それほど意識しなくなり、体重計に毎日乗る、というようなこともなくなりました。

いま振り返ると、ここまでとにかく長かった。思えば中学生で拒食症と診断され、入院を言われたとき、きちんと治療に向きあっていれば、ここまで長引かず、もっと早く回復していたのかも、と考えることもあります。でもその時間は取り戻せない。かかった時間を受け入れるしかない、といまは考えています。

「今日は、死なない」を積み重ねて
 せっかく25年の時間を費やしたのだから、何らかの形でこの経験を生かしたい。苦しんでいる若い人たちに少しでも役に立ちたい。そう考え、昨年6月、摂食障害の予防・啓発活動をする「日本摂食障害協会」(事務局・東京)に、サポーター登録をしました。

 ボランティアでイベントや勉強会の手伝いをしたり、体験の発表をしたりする役割です。

 私自身は、ずっと居場所がありませんでした。だから、摂食障害に苦しむ若い人たちの居場所をつくってあげたい、という漠然とした思いをいま持っています。

 摂食障害は人によっていろいろですし、若い人たちに伝えられるメッセージはそんなに多く持っていませんが、どうか死なないでほしい。

 「今日は、死なない」
 
 その積み重ねで、私は生き延びてきたように思います。"




「病院に通院していたら、もっと早くに治ったかもしれない。」とあるけれど、私は、この方は、病院では治らない、と思われたから、通院を継続しなかったんだろう、と思う。

実際、精神疾患というのは、日本の精神医療では、治らない。もしくは、治すことのできる名医がいる精神科は少ない。と私は思います。

というのも、精神疾患は、薬(薬だけ)では、治りにくい病気だと思うからです。
一部の脳神経そのものの障害による病気を除いて、精神疾患の多くは、その人の考え方の癖だとか育ってきた環境や家族との関係性や過去の出来事およびその対処法や整理方法などが関わって生じていると思うので、そこをちゃんと自分で整理して、問題点や解決方法を分析していかないと病気は治らないと思います。
名医なら、それを助けることができるだろうけれど、そうではないその場限りの精神科医なら、「眠れないんです」「じゃあ眠剤処方しよっか」「辛いんです」「じゃあ向精神薬出そうか」で終わってしまって、「なぜ眠れないのか」「なぜ辛いのか」を考えてはくれません。
それに、名医にしたって、その人と向き合えるには、時間や距離などの制限があるし、結局のところは、本人が自分で治すしかありません。
外科の手術のように、メスで身体を切って、治せるものでもないと思います。
腫瘍が出来ていたら、それを手術で取り除けばいい。骨折したら、骨折したところをギプスで固定すればいい。でも、傷ついた心に文字通りの意味で絆創膏を貼ることはできない。
剥き出しになった心が傷つきやすかったり、壊れやすかったりすることは確かです。本来ならその心は親の愛情とか本人の処世術などで守られるべきなのだけれど、現代の人たちの中には、敏感な感性を持った人や(それを専門用語でHSP気質と言います)、親の愛情に恵まれなかったりして、親や周囲との愛着関係が安定しなかった人や(それを専門用語で、愛着障害と言います。一説には、健全な家庭で育った人は、全体の3割とも言われています)、処世術などを身に着けていないという方が本当に多い。だから、精神を病む人も本当に多い。
そうなると、周りの人は、精神科に行くように勧めるし、本人もそれが治療であり、それしか治療方法はないんだと錯覚するけれど、本当の意味での治療は、自分自身にしかできないのであって、必ずしも精神科に行かなければいけないわけではないのだと思う。
むしろ、精神科医だって、あくまでも他人なのだから、その人の病気を治して、と言われても、本当のところ、それは難しい。
手術の後、絶対安静です、と言われたのに、それを守らなかったら、治らないように、健康診断で痩せましょう、暴飲暴食はやめましょう、運動しましょう、と医者に言われても、本人がそれを実行しなければ、いつまで経っても再検査と言われ続けるのと同じように、医者が治してくれるのではなくて、悪いところを直して、最終的に治すのは自分だということ。
この会社員の方の場合は、長い時間をかけたこと、そして、環境も変えたことが回復のきっかけであり、自分と同じような人を見つけることで、自分のことを客観的に見ることができるようになったことが回復のプロセスの一つだったと思います。
精神疾患は、今の世の中の人の多くにとって、「怠け者の言い訳」だとか「ちょっと心の弱い人」「ちょっとおかしい人」だとか「自分には関係ない世界の話」だとか「病気になったら、とりあえず、医者に行って、たくさんの薬を飲まないと治らない。薬がないと生活が出来なくなる病気」などという認識をもたれている気がするけれど、実際は、もっと他の捉え方をするべき疾患であって、精神疾患こそ、学術的に治療を模索するべき疾患だと思います。
学術的とは、具体的には、被治療者としては、精神疾患やその一歩手前の本人の気質や広い意味での障害(HSP、愛着障害)等を解説した本(臨床例などを用いて説明してあるとわかりやすい)やむやみやたらに感情的になることを避けるための術が書かれた本(これも具体例を出してあると分かりやすい)を読むことが必要で、医療関係者としては、研究や臨床を重ねることが必要なのだと思います。

長くなりましたが、こういった記事が増えて、精神疾患というものを本当の意味で理解することが今の世の中には、必要なことのように思います。

この会社員の方は、回復に時間がかかったことを悔いてもいらっしゃるようですが、私は、今の世の中には、そういった苦しみを抱えている人がたくさんいるので、そういった方を救うために、つまり、そういった方にアドバイスをしたり、話を聞くなどをするには、必要な時間だったのではないかと思います。

辛い時期があったからこそ、わかる幸せというのもあると思うんです。

私も辛い時期はあったし、今も昔ほどではないけれど、辛い時期もあるけれど、そう思って、これからを生きていきたいと思っています。

美輪明宏さんは、そういった考えを「泥の中でしか咲けない花もある」という言葉で表されています。

辛い時期は、綺麗な花を咲かすためだったと思って、整理しましょう。
3 2

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する