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2018年05月10日01:01

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生き方理論

人生相談の悩みと回答がラジオ番組やテレビ番組、本などで紹介されているけれど、私は、それは、不適切なんじゃないかと思う。3行から10行程度の相談に本1ページか2ページで回答を与えることは、ふさわしくないんじゃないかと思う。

「どこにでもあるような」悩みには、複雑な背景があって、その悩みに回答をするのなら、その人のその複雑な背景にある育ってきた境遇、その人自身の性格などを全部知った上で、回答をするべきで、そうじゃない回答は、その人の心には響かないんじゃないかと思う。

実際、スピリチュアルカウンセラーの江原啓之さんは、たくさんの相談に回答を与えてきたけれど、やってよかったと思ったのは、そのうちの1割ぐらいで、残りは、「わたしの言うこと全然聞いてくれてないな」とか「こんな悩み、私が回答すべき悩みでもないし、悩みのうちにも入らない」と思えることばかりだったそうです。

また、私は歌手であり俳優でもある美輪明宏さんの人生相談の本を何冊か図書館で借りたり、自分で購入して、読んでいるけれど、その相談には、同じようなものも多く、何回美輪さんが同じことを言っても、また同じような悩みが美輪さんの元に届き、そして、その悩みが掲載されてしまいます。

それは、悩んでいる本人が美輪さんの人生相談の本を読んでいなかったり、他の人ではなくて、私に対して、回答して欲しい、と思っているというのもあるだろうけれど、そもそもの話として、その形式(数行の悩みの投稿とそれに対する回答という形式)がふさわしくないことの現れなんじゃないかと思うんです。

私としては、そういったことよりも、岡田尊司さんの本のようにある有名人のバックボーンを紹介し、そこからその人の苦しみなどを分析していくスタイルの方や悩みに対する回答という形式ではない指南スタイルが根本的な悩みの解決には有効なのではないかと思うんです。

「私、人と上手く関われないんです」って言っている人に、「あなただけが辛いわけじゃないんだから」とか「感謝の気持ちが足りない」なんて言うのは、具体的な答えではないような気がするし、本人は、自分が責められている、と錯覚してしまう可能性もあると思います。
もしかしたら、そういう「責められている」という感覚は、理解できない方も多いかもしれません。
「責めてるわけじゃなくて、あなた自身を否定しているわけでもなくて、あなたの言動を正すように指摘しているだけ」とおっしゃる方もいらっしゃると思います。
「責められている」という感覚を持つ原因は、「自己肯定感の低さ」だとか、幼少期の楽しい思い出が少ないこと(それは、「愛着障害」と呼ばれていて、オキシトシンというホルモンなどが関係しているとも言われています)や、物事を真に受けてしまう、敏感に感じ取ってしまう(「HSP」)などが挙げられます。
発達障害やHSPという概念自体がわりと最近生まれたもので、今まで、そういった症状は、発達障害とかうつ病と混同されていましたが、現在の精神医学では、それらは、別々のものであると認識されています。
とにかく、一つの悩みには、たくさんの背景があるので、それを全くの赤の他人である回答者に解決してもらおうなんてことは、不可能だということです。
それは、美輪さんもおっしゃっていて、冷静に感情的にならずに理性的に紙に書き出してみることが大事だとか、「美輪さんどうしたらいいですか」って言われても、私知らないのよ、などとおっしゃっています。

乱文になってごめんなさい。これも私が私に必要な知識を整理するために、自戒の一つとして、文章にしました。
こういう文章をここ最近、いくつか文章にしています。
そのうち、あまりにも乱雑すぎる文章は、非公開にして残しているのですが、この日記はわりとうまく書けたので、公開にします(する予定です)。

文章を書くのは、難しいのですが、うまく書けたり、人から褒められると嬉しいし、先ほど述べたように自分が整理するためにも必要なことだと思うので、調子のいい時にこうしてタイピングしています。

パソコンというものが出来たこと、私が使えるようになったことが私にとっては、すごく画期的で、私のこんがらがった頭を整理するのに役立っていると思います。
ただ、ブルーライト等の影響が怖いので、適切に使用していきたいと思っています。

追記
美輪さんは、そもそも歌手や舞台俳優、俳優、声優であって、尼さんでも心理カウンセラーでもないので、その美輪さんにお悩み相談をすること自体がナンセンスな気もします。
美輪さん自身が人が困っているのを何とかしてあげたい、と思われる方なことや、ラジオ番組等で悩みに答えているあいだにそのポジションにおさまってしまったせいだと思うのですが、少し気の毒に思います。
尼さん、という言葉を出しましたが、駆け込み寺なんていう言葉があります。現代人は、冠婚葬祭やお祭りなどの場合を除いて、宗教を異質なものとして捉えているところ、場合によっては、敬遠や嫌悪しているところがあると思うのですが、もう少し宗教の教えを身につけてもいいのではないかと思います。宗教とはお金儲けの道具でも人を操る(洗脳)ための道具でもなく、人がより良い人生を歩むための知識や能力を得るための手段だと思います。
座禅や精進料理は、科学的にも効能が立証されているはずです。ストレスから解放され、暴飲暴食を避け、質素な食事を心がける。辛いときに、感情的に喚いたり、叫び続けたりせず、落ち着いて、冷静に対処できるようになる。それは、現代人が忘れかけている人間としてのあるべき姿だと思います。私は、私たちが本能の支配からは逃れられない動物ではなく、本能に抗い、理性で物事を解決することができる人間であるという誇りを忘れずに生きていきたいと思います。
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