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2018年04月13日16:20

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【東京プリンが歌う携帯哀歌に基づいて非リア論とリア充論を語ってみる】

まずは今日のさくらんぼ作業所でのひとりとの一対一の大乱闘スマッシュブラザーズ的な報告から……。

萌える恋愛論と燃える喧嘩論とがあるのが僕はリア充なのかな? と感じていたが? そもそも リアル充実とは 欲求不満に満足する事か? 中でも異性だとか肉体関係だとか?愛するとか? 愛されるとか? 色恋沙汰だとか出会い系事変とはリアル充実とは言わない気がしている。むしろリアル非難というか?リアルの充実差と非難差というか?

彼氏彼女や旦那奥様が居る恋愛事だとか結婚事だとかってリアルの充実なのかな?

むしろリアル非難では? リアル思春期だとかリアル反抗期だとかでは 燃え喧嘩武勇伝だとか萌え恋愛自叙伝なんてリアル非難では? リアル充実とはリアル充実であってリアル充実でないんだからな。

リアル出会い目的にネット活用なんて疑問なんだよなあ。

まだ携帯電話がなかった時代は家と家の電話で話し合う訳だから親が通過点になり、現代社会は個人的に携帯電話&情報端末がある訳だからなあ?

よくモテ期というが本命に構われないと遊んでもらえないと意味や価値さえないんだ。

誰もが似通った理想と現実を背負い込んで苦しんでいる。

できる事ならば平穏や平和と平等や公平を目指してる。

差別なんてされたくないし差別なんてしたくないはずだ。

しかし区別を分類する中にも差別ならば潜んでいるんだ。

偏見は 常識障壁を破壊する。 つまり国境破壊をして世界統一するんだ。

現代社会でのデジタル化とはユビキタスという、いつでも、どこでも、という情報端末としては向いてるが情報伝達だとか、短編評論だとかが不向きな側面もあるんだ。

せっかくの情報化にSNSを使わないとならないもので受信でなく思想を送信していくんだ。

架空物語であろうと現実物語であろうと喧嘩という個人的な闘争をすべきである。

戦争は下らない。

たたかえる者が国家政府の代表戦に出席すれば良いんだから。


色恋沙汰とは物語を盛り上げてくれる萌え系であって、喧嘩 拳法 などは燃え系であるんだからな。

この世に戦闘と この世に恋愛がないとつまらないけども
売られた喧嘩を買うけども 僕は買い専門の漢であるからだよ。

他の弱者としての己の弱者としてをまずは己を強化しなければ他の弱者をも護身できぬ。

不殺活人ととして飛天御剣流の理として苦しむ者と悲しむ者を保護する事が僕の原動力である。

ネットで見かける非リア対リア充って決闘がとても、とても下らない。

リアル非難定義とかリアル充実定義とかそもそも、充実と非難が色恋沙汰のみで決定事項になるならば、その時点でおかしいしさあ? 彼氏彼女だとか 旦那奥様だとか 居なくてもだリアル充実だと思うが?

何? リアルに男女間を求める事が充実の証拠とか証明みたいな空気・空間ってさあ?

男女別だろうと、何だろうともさ。

リアルに非難感覚がある人だったりリアルに充実感覚がある人だったり、そんなものは全て
個人個人の世界観や価値観の大差でのたたかいにならないか?

生まれて来てる環境下が違えば、性格や性質、感覚や意識、神経や精神が全く異なっていくはずなのにリアルのテーマ議論で非難派と充実派に分かれるのは理解できるけど、
それを分かつのが恋愛論や結婚論になるのかな?
それと 非リアとリア充があれば
非ネッとネッ充もあるはずだ。

世の中は対極として二元じゃないと理に合わないんだ。

その基本要素が陰と陽なんだからさ。二つ あって 初めて一つなんだよ。

確か男が陽であって女が陰だったはず 陰陽道や風水学はオカルトやSFに感じるかも知れないが立派な古代科学であって現代科学の礎とも呼べるんだ。マンガやアニメやゲームやドラマやノベルは作り話でない。半分以上が古代歴史だとか、教科書に記載ない裏の歴史、
闇に葬られた時代こそが都市伝説や首都神話だからこそにて完全なる架空なんてないです。

完全なる作話なんてなく、伝説や伝承には意味と価値があり矛盾としても虚言でなく
物事は多角的にどういう印象解釈するかで真意や価値が乱れ歪む。

真実なんて共同条理の原理虚言です。共同幻想というやつであり多数決で真実か原理虚言になるが少数派が原理虚言とも真実とも語れない。

確率 統計 とは文字で動かす心理学と数字で動けなくする物理学があるんだから。

エージェント(ニンジャ)とソルジャー(サムライ)の医術と武術と忍術とを兼ね備えた文武に特化した実戦型だがPTSDから起こり得てるDID患者は色々様々なるスペシャリストだけの次元境地を極め高めてる。劣化した側面は社交性と協調性であり、肩を並べての共闘は無理難題かも。協力実戦ならできそうだけども、臨機応変の適材適所での上役からの指図にての役割分担ならば可能で、対戦相手の空気ならば読めるけど、対戦舞台の空間も一瞬刹那で分析できるんだけど、問題は対戦相手の出方、対戦相手の一発目を回避できずにあると ミスの隙間での狙い撃ちでフルボッコにされてしまう可能性と危険性だってある。

大技に自信ない者は小技をとにかく当てる。
威力大小や威力強弱とは無関係であり勝ち負けや生き死にを決定づけるのは、適応性や対応性などであるんだ。

打撃を小技蓄積で構わないから当てる。

拳法というものは 男女上下を問わずに ただただ 打撃あるのみ 対戦してみれば 女が新興していき 技術開発した 合理性に 気付くはずだ。あのブルース・リーのジークンドーとは 詠春拳の恐るべき改良型の超越実戦武道すなわちストリートファイティング。

ジークンドーの極意とはジートといわれたりもしている対戦相手の攻撃を停止維持させたりするものであり正に武という語源由来の体現であります。

つまりはジークンドーこそが武の化身であるとして過言じゃなくて全然修行に苦しまない状態の次元境地で何もかもを楽しんでる奴を超えられる武人なんてない、あえて表現するならば宇宙禅拳法あるいは武神流古武術としても過言でない。

我 文武の両道を歩む者なりて 武術拳法を知りて 文明・文化を知りわきまえる 雑学王なりて 我に諸説網羅できる雑学王に【わからない】の文字を心の百科辞典にないですからね。

自分の頭脳の中の飽くまでも諸説網羅ですので正解かどうかは違うので誤解なきように……


まあ 質問あるいは人生相談など 物事現象の意味価値ならば返答させてもらいます。

ただ 信じるか 信じないかは アナタ次第です!!
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