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2018年04月11日11:34

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価値はバーチャル 〜 ゲーマーの先

2018年01月06日のツイート

なんとなくRPGがやりたい。あの成長していく、お金とかが増えていく感覚が気持ちいい。RPGというのは、成長する、増えるというのを数字の増加によって表現する、言ってみれば数字を増やしていくゲームだ。数字に強さ豊かさといった意味が付与されており数字が増えると強く豊かになったと感じるわけだ。

RPGというのは、別に何かを上手く操作すると勝利とか成功とかじゃない。賭けをするのも避ける。普通に数字の低いものに対して数字の高いものを当てていくという、簡単な判断をしていくだけの作業であり、実はゲームとは言い難いものだ。ロールプレイングゲームというよりロールプレイングワークだ。

それが気持ちいいのがRPGだ。RPGの根幹だ。そこにその他諸々のお楽しみ要素がクリスマスツリーのように飾り付けられているのだ。そんなRPGの中の数字も、現実にとってみたら何の価値もない数字だ。それを一生懸命増やす作業をするわけだ。なぜそれでもRPGは楽しいのか。

それは、そもそも「価値」というのが人間の頭の中にしかないバーチャルなものだからだ。人間が価値があると思ったら価値が生まれる。実際何かの役に立ったり、気持ちよかったり、いろんな価値はそれぞれいろんな理由があって生まれる。だがとにかく価値があると思ったら価値は生まれてしまうのだ。

だから、自分が何に価値があると思うのかは、理性があれば自分でコントロールできるのだ。しかし人間には理性がないので世の中や誰かにコントロールされっぱなしだ。世の中が「これに価値がある」と言ったり、巧妙に価値があると思い込まされたりすると、それに従ってしまうのだ。

世の中には、あるものには価値がある、あることには価値がある、と巧妙に思い込まされる仕掛けがある。最近ではネットのサイトや掲示板での工作が顕著だ。新聞・テレビといったマスコミもそうだ。人間はそれらから自分の中にあるものを作り上げる。それが「物語・ストーリー」だ。

ストーリーが作られて、その人の中の価値はしっかりと確立される。間接的ではなくストーリーを直接表現するのがストーリー作品で、小説、映画、漫画、アニメ、ドラマ、ゲームといったものになる。価値というのは文脈の上にある。文脈が直接読み取れるように作品的に作り上げたのがストーリー作品だ。

ゲームにはRPGでなくても必ずストーリーがある。ストーリーがなかったらプレイヤーが勝手に作るから生まれてしまう。ストーリー作品には必ず主人公がいる。ゲームには自分が操作するキャラクターがいる。他のキャラもプレイしていると仲間や敵かが分かる。○だろうが□だろうが物語の登場人物となる。

そこに自分がいるなら、自分のキャラにとって役に立つ回復したり強化したりといったアイテムでもあれば、もうそこに価値が生まれる。ソシャゲであれば何かを収集する気持ちから生まれる「収集価値」は代表的なものだ。すべてバーチャルである。それに価値があると思えば価値があることになってしまう。

これが自分で決めれるということだ。ゲームの中にしか価値がないと思えば価値がない。現実でいいことがあるものなら価値がある。よく考えて自分で決められるものなら決めるべきである。


言いたかったのはそういうこととはちょっと違うのだけど風呂に入って考える。


ゲーム障害というのは間違いなくある。私こそがそのゲーム障害である。なので対策というか逆手にとって「ゲームをしていたと思ったら仕事をしていた 何を言っているのかわからねーと思うが」という状況というかシステムを作れば無敵だということで推し進めているところである。

分かりやすいのはマインクラフトというゲームで「何かを作り上げる」こと。つまり「何かを作り上げる」というのはゲームと同じなのだ。じゃあマインクラフトじゃなくて、何か作って売ればそれは仕事になるのだ。これが「ゲームをしていたと思ったら仕事をしていた」という状況ということになるわけだ。

RPGでキャラを育てるのも同じ。街づくりも同じ。対戦ゲームで勝てるプレイヤースキルを育てるのも。ゲームの中で何かを作り上げる。そうやって作ったものが現実に売れるのなら、それはもう仕事になるのだ。ゲームの中のアイテムを現実のお金で取引する「リアルマネートレード(RMT)」もこれの範疇だ。

ゲームをやっていると窮屈ではないか?だったら別にゲームの中だけにいる必要はない。ゲームから飛び出せばもっと自由に作りたいものが作れる。もちろん難易度は上がる。だができることは無限に広がる。ゲームのアドバンスモードが現実だ。ゲームは現実のイージーモードだ。そんなんで物足りるのか?

3DSのソフトに「コミック工房」というのがある。3DSで漫画が描けるソフトだ。これでいくら漫画を描いても遊びにしかならない。別に遊ぶためのソフトだからそれで何の問題もない。だがそれでもし物足りないと思ったら、アドバンスモードのようなものが外にあるのだ。それがクリップスタジオである。

ハードも3DSからパソコンになる。ペンタブレットも必要になる。しかしプロレベルの表現が可能になるのだ。もちろんそのためにはスキルが必要だ。でもそれは「ゲームと同じ」なのだ。ゲームが面白くてやり込んでいくとプレイヤーはそのゲームに上達していく。だがゲームに上達したから、それがなんだ?

今の世はありがたいことに、プロゲーマー、ゲーム実況者、ユーチューバーという「ゲーマーの先」がある。私の子供の頃からしたら夢のような世の中だ。まさに夢の未来世界が現実のものとなっている。でもゲーマーの先というのはそんなもんじゃないのだ。ゲームが出来るならなんだって出来るのだから。
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