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2018年04月10日17:06

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他をバカにして常識だの当然だのぬかす輩は、全てやってみてから他をバカにしなさい







愚痴や泣言は吐くと良い。

他者周囲に吐いて良い。

カッコ悪くて良いじゃん、カッコ悪くて弱いんだから、弱さを認めろよ。

誰も聞いてないかもな。

誰か聞いて笑ってるかもな。

でも笑われても良いじゃん。

笑ってるのはこっち見てるからじゃん。

弱い奴はよく吠えるよく叫ぶでもロックな生き方って弱くてバカげてる。

弱いから強くなりたいんだ。

理想や願望 掲げて 走って 叫んで 求めて 何がいけない?

口から愚痴や泣言は散々吐けば、そのうちに吐かなくなる。ってか吐けなくなる。

愚痴や泣言のネタだって
いつか
尽きるだろう?

もしかしたらさあ、
自分の叫びに 応えてくれる
そんなアドバイザーが現れたら
返答があれば解決になったら
愚痴の意味や泣言の価値って
意味や価値ってものを持つ、
相談事項・質問事項に変わってたりな?

人は人と
直接でも
間接でも
関わって生きるんだ。

電気、ガス、水道水……。
この順番に
ライフラインって止められるんだ。
最後に命綱の水道水が停止されてしまう。

けど それで
誰かをうらんで
悪や闇に沈むなかれだ、
諦めたい気持ちなら誰でもあるだろう?


やれる事を頑張るしかねぇ。
やれる事しかできねぇ。
やれねぇ事は 誰かを頼る、
下げたくねぇ 頭を下げ
生きたいなら 生きろ。

できる事が増やしたいなら頑張れ、
いや僕も頑張るから、一緒に頑張ろう。

別に言葉を 交わさなくても
頑張ってる背中見ただけで
勇気が湧き出て来るもんだ。

アイツも頑張ってる、
僕も頑張ろうって思える。

見ず知らずな奴でも
同じ地球で生きてる
ファミリーに違いねぇ。

このDNAプログラミングには
ミトコンドリア・イヴって、
ビッグマザーが居るんだからホントは わかってんだ。

オトコはオンナを大切にと。

はじまる事とは 女だ。
命を賭けて 女が子を成すだから 始まりの字は女が土台なんだよ。わかってんだよ。

でも 脳と心(魂)と体。
神経が狂って壊れて
おかしくなってんだよ。

だから 精神病院 行ってんだ。

治療不可でも個性化や能力化の可能性がある。

必要性があるんだから、
生きてるだけで丸儲け ってやつだ。

逃避して
軌道修正
挑戦して
また 逃避して
軌道修正。

軌道修正は
努力実践だ、
努力実践している奴には
協力支援が絶対 現れる。

思考は現実になる。
ただ 思考だけ吐いたら
そりゃ嘘吐き だろうよ。
思考と現実の間に 努力実践だ。

夢+努力=現実と 小森まなみさんが夢の方程式と語った。

涙も出ない悲しみに出会った事があれば、それがホンモノの悲しみ。

う〜〜ん……
よく言えば
現代ザムライ?
義理人情とか
愛の熱血漢?

悪く言えば ……。
曲がった事が大嫌い??
一長一短ですが
何事も
短所・長所。

強くは
ないですけど
強さに向かう努力実践ならしてる。

まず第一に
弱っちい自分と向き合えないと
目をそらして
自分から逃避したら
身の程が知れずに・身の程がわきまえられずにある。

自分のザコさ加減を知らないと
強くなりたいとか
強がろうとかできません。

生まれた時から名前や想い出がある訳じゃない。

現実のほとんどは架空でできているんだ。

架空の物語創作の創作素材とは

現実の物事や現象である訳で、
現実から架空の物語創作が始められるんだ。

色即是空
空即是色

陰陽 対極 宇宙


物語というのは
登場人物さえ
際立っていれば
面白い作品になっていくはずであるんだよ。

どういう種類別ジャンルによって
登場人物が
動かされた世界観を起承転結(序破急)と化していくものなのか?

小説とは
始め良ければかなり良しだ。
竜頭蛇尾というやつなんだ。

終わり良ければ全て良しは小説作品には通用していないものである。

起承転結という山場あり谷端ありが
大切なのであって
竜頭蛇尾という竜頭の勢いにより
読者にインパクトさえ与えれば
蛇尾な結末にも納得になるか気になる余韻が残るものなのであるんだよ。

今は小説という物語作品より
短編評論だとか、
セカイ系セカイ論を語りたく思っている。

自叙伝というか、
武勇伝というか、自分を語るのも良い。

小説長文を短文にして再構成すると歌詞(作詞)になるのだ。

歌も
伝言型にするのか?
物語型にするかだ。

ロックンロールを
創作する
イメージとは
社会に属したくない想いだと
感じているんだ。
社会に対する反逆や復讐を歌うんだよ。

現実世界の中では
トゲトゲしてても有益なものが
何もなくて、むしろ無益なんだ。

でも
トゲトゲ評論だとか
トゲトゲ表現だとかを
創作世界観でやれば良い。

自分自身と
徒手空拳のたたかいを
大人らしくやるならば
路上喧嘩でなくリングの上でやれば良い。


スポーツには
規則や道徳や礼儀があるけども
それこそが
武道としては
心得と技術と体調だと思えるんだ。

少林寺拳法とは人の質の学習と成長を求めた精神鍛錬であるんだ。


弥富の高校入学したかったけど
中学の頃の担任教師が
四日市の高校にと推薦されたので
面接合格して高校入学した。

高校から初めて文のみの書物を読んだ。
最初はライトノベルで中でも
ブギーポップシリーズが好きで
セカイ系セカイ論にも興味を持った
SFが混じったシュール作品を読んでいた。

今はジャンルは

自叙伝か
参考書なのか
専門書だとか
読み始め
知識欲が高められ
自分もエンターテイナーになりたいと思えた。
いわゆるマルチタレントであり
芸術の極意であり、
〇〇を何年間やり続ける事を日本美学として
コメディアンだとか
エンターテイナーだとか
マルチタレントとかを僕は目指したくて、

まずは作家狙いにて
エンターテイメントの専門学校に就いた。

ノベルズ科を卒業しているんだ。

声優の通信講座をしていたし、

ほぼほぼ文武に特化しているが
自分がやりたい肝心な活動とは
世直しと人救いであるんだよ。

個人論的なので
押し付ける
決め付けの
断定論や断言論というものは
語らぬが定義や概念として
一様としては語らねばならぬ。

個人論としては
納得できない創作モノがあるならば
自分自身にて創作モノを表現してみると良いだろう。

言うだけならば
易いだろうし
行うのは
難いものであるのだから。

人生経験の物事現象とは
言われても
気付かない
悟れないモノも数多くて
体験と体感あってこそにて
実感と真理だったりとか
正見を手にする。
偏見を捨てられる。
差別は平等や公平に扱うだけの事で
老若男女と上下主従というのは
一言で漢(性別と性差を問わずに)の理は
皆が皆同じく属性であるんだよ。

腑に落とすには、やってみるのが一番。
その時に失敗せずに、きれいに収めようとするんじゃなくて、色んな人に嫌われたり、変な人だと思われたり、損したり、
いっぱい失敗してね。

今までと違うことするんだから、すんなり自分の気持ちいいバランスを、取ることはできないかもしれない。でも、それでいいのさ。
失敗できると相当自由だよ。失敗していこう。

この選択はどうだったのか、と、よく聞かれるけど、選択は自由に選んだらいいじゃない、と僕は思う。自分の人生だしね。
それより、その下のベースである「スタンス」は整っているか。そっちが大事。
「スタンス」は自動操縦みたいなもので、
そっちが幸せなものなら、日々、何を選択しても、幸せな方にやんわり向かっていくからさ。

選ぶものくらい、好きに選んだらいいよ。

傷つかないで、失敗しないで、恥ずかしい思いしないで、楽になろうとしたり、
色んなことを腑に落とそうとしたり
しようとしてない!?
痛い思いをしないとか、そういう話じゃなくて、感覚的には一回死ぬ感じよ。
(本当に死ぬ訳じゃない)

一回死んで、新しい人生を始める。

そんな清水の舞台から飛び降りる感覚で、やってみるということだよ。

「頑張らない」なんてできません、とかそういうレベルじゃなく、「頑張らない」を一回死ぬみたいな感覚でやるのよ。

嫌われるって、相手に羨ましいと思われたか、相手に嫉妬されたか、相手のしょうもないルールを破ったか、そのどれか。
嫌われる感覚は、決して気持ちよくないけど、嫌われたって自分を責めたり、反省する必要はない。

相手が羨ましいくらい、自分はすごくって規格外だってだけだ。

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