身の程知りわきまえるとは自分自身の脆弱を知りわきまえろということなんだからさ
最初からの最強なんてないんだ。
みんながみんな強さを求めて高めて極めてるのは、
自分自身の脆弱と向き合えてる者なんだからな。
自分自身の脆弱さを知らず威張り自惚れるなかれだ。
誰もが人間とは脆弱だから最強を目指していくんだからなあ。
僕が戦国以降江戸にて、僕が生きてたら幕府に勝たせて、維新志士を倒していただろうな。
自分自身が目指すのは飛天の剣術流儀の理に基づいている弱き者や力なき者、悲しむ者だとか、苦しむ者だとか、自分自身をまずは脆弱を強化させる脆弱から目を背けずに脆弱さを直視して逃避せずにその為には孤独の暗闇の奈落の奥底まで向かわないと自分自身とは向き合えない。
脆弱と孤独を克服すれば弱点とは障害とか障壁だとか付き合い続けて個性化して生きるか?
乗り越えて特化させて少しでも劣化を減らしていき、能力化していき、成長していくんだ進化していくんだ超越していくんだ喧嘩と冒険とかを子供の頃に体験や体感していくんだ。口づてで教わって気付けない事がほとんどであって技としては一度動画を視聴して見極めるか、実際の対戦相手の使う技術を見極めるのか?
一流を超えた一流は医術と武術を知ってて学んでいる。
一度見極めた技を二度受けるのは、
三流のやる事でしかなくて
医術と武術での合成技は人体破壊も人体治療や治癒もできるんだよ。
無免許医にとっては
神経系に打撃を与えて破壊するか
下半身中心的に打撃を与えるか?
あとは正攻法の正中線としての急所打撃で倒すか、間合いを計算を出して、計画を立て、回避して自滅させるのか?
身長差と体格差によっては戦略は変化していって当然で最大限の効力を、最小限の労力で叩き込むのが妥当であるものである。
それこそが処世護身であるんだ。
憧れを持って何が悪い? 理想を持って何が悪い? 願望を持って何が悪い?
それを現実化するには、思考に対す努力実践が絶対的に必要不可欠であり、思考を吐くだけは嘘吐きになるんだよ。
苦悩に思うだけにては、雑念になるだけであり、自分なりに返答理論とか出せれば哲学と化していくんだよ。
天才を超えてる大天才にはキチガイは誉め過ぎる程の誉め言葉だけど、それは特殊論だ。
一般論では キチガイとは差別用語や偏見用語でしかないから攻撃用語では一般コミュニティーのトピックでは他者周囲には刺激的の度を過ぎてるから激怒しただけだ。
僕は苦しむ者、悲しむ者、弱くて力なき者を外道が更なる外道を葬るのが務めと思い、 悪党が更なる悪党を始末するのが務めだと思っている。
聖なる者同士の属性がたたかえば まず 倒せないから、悪と同質から誕生しているんだ。
僕みたいな任侠義賊とは悪と同等な力を宿す闇じゃないと闇は同士討ちできないんだからな。
自分の感覚と感情他者周囲の感覚と感情(つまりは、気持ち)というものでヒトは生存している。
ヒトは気分的な生き物であり、虫の居所が悪いと意味もなく腹が立ったり、苛立ったりするもので空腹になると餓えれば飢える程に短気で余計にキレ易くするらしいんだよなあ?
ハングリーでアングリーみたいなものだ。
イジメは理屈抜きでイジメであるな。
喧嘩だとかイジリなどは信頼の度数が高くて初めて成立する一般論でいうところの親友や戦友などに 対するところの教えでは 君は心のTPOとスルースキルが低いと 過去の元カノ 草魔龍樹の親友 麦角アルカノイドから言われた事がある。
双方からは絶縁をされている。
草魔龍樹も多重人格性(解離現象と憑依現象)であってキリシタンである。
草魔龍樹も情報端末機でのキーワード検索閲覧してみるとボロクソに悪口で誹謗中傷にて叩き伏せられてる。
自分自身はメンヘラの味方であっての自由や正義の味方じゃあないんだ。
アンチメンヘラがはびこる限り我々のSNS大戦は終わりが見えない……。
そして個人情報保護とは名ばかりなサイトがSNS系サイトであって
中でもCIAと密接にリンクしているものがある。
それが
心理兵器
フェイスブックであるんだ。
フェイスブックは個人情報保護とは真逆の
個人情報収集をエシュロンという情報機関でやっていて
現段階 情報の天下統一をしていると予測されているものがロックフェラー財団であり、ロックフェラーの孫がフェイスブックを設立しているとされているようだ。
数々の陰謀論や暗殺論の中でもまず的外れでないだろう、図星的中になっているのが日ユ同祖論であって、
天皇家の氏神様を奉る伊勢神宮名所巡りの数は18ヶ所存在していて、18という数字を崩すと666となる。
そして最も証拠となるだろう証明がある。
同じ伊勢神宮の同じヶ所にユダヤの星の紋章と天皇家の菊の紋章がある。
偶然としても奇妙だと思いませんか?
何か意味がある一致だと僕は思うのです。
心理学者のカール・グスタフ・ユングが語る。
正にシンクロニシティだと僕は思えてならないのです。
追記
最近 僕は悟りました。
インターネットの知識情報機関内部としてはインフォメーションテクノロジーとして活用できれば情報収集には抜群に向いてます。
しかし 人間 対 人間に関してのコミュニケーションツールとして思案すると話し合うには向かない気がしますね、何せ相手の感情や表情が見えず、口調も発音もわからない文字談話仮想現実と言った感覚ですね。
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