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2018年04月05日07:58

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なぜかいまだに見かける@Typeの「女性の転職」の書き出しに通じるものがあるな

■土俵で心臓マッサージしていた女性に「降りて」 京都
(朝日新聞デジタル - 04月04日 22:08)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=5057208


動揺したにしては、控え目にいって世間知らずのバカと呼ばれても仕方のないアナウンス技術しかないようですね。普段から危機管理訓練とか、やってなさそうだ。
挙げ句の果てには「客が土俵に上がってもいいのかといったから」と他人のせいにするのは、潔くないな。
その客も控え目にいって世間知らずの愚鈍だ。

救急対応担当職員が土俵に上がっているなら、「救急担当以外は下がれ」といい、性別を形容詞に設けないだけでいい。上がっていないのなら、アナウンスする必要はない。その程度のことがなぜわからないのか。

・・・とも思ったが、昔から首都圏のJRの広告の中にある@Typeの「女の転職」の書き出しに通じるものがあるな。
女性は給料ややりがいだけで決められるほど楽に考えられる生き物ではない・・・(「ただ楽しそうとか、ただ稼げそうとか、そんな単純に女性は転職先を決められないものです。女性が活躍できる環境か、結婚・出産後も働けそうか、見極めなきゃいけないポイントがたくさんあります。だから、100%女性目線の転職サイトが安心。ずっと、長く、働くために。」が正確な広告文)みたいな書き出しから始まるムーミンのあの女キャラクターの広告だけど、

それは暗黙的に男性は、もしくは「混ざりけのない女性以外は」給料ややりがいだけで決められる楽な生き物、といっていることになる。
男性も同じくらい楽な生き物ではない、と予防線を張るつもりなら、そのような形容詞は記述しないはずだろう。
もしくは、男性より女性がどの程度何が違うからどう大変な生き物になるのかを具体的に示せる根拠をもって言っているのならまだわかるが、そうではない。
サイトですら示している記述を見たことがない。
ということは、これを書いた広告代理店かコピーライターがそんなことにも気づかないほどに純然たるバカだった、もしくは気づいているが押し通したやつが純然たるバカということになる。

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「人間は自分じしんの歴史をつくる。だが、思う儘にではない。 
自分で選んだ環境のもとではなくて、すぐ目の前にある、あたえられた、持ち越されてきた環境のもとでつくるのである。 
死せるすべての世代の伝統が夢魔のように生ける者の頭脳をおさえつけている。 
またそれだから、人間が、一見、懸命になって自己を変革し、現状をくつがえし、いまだかつてあらざりしものをつくりだそうとしているかにみえるとき、まさにそういった革命の最高潮の時期に、人間はおのれの用をさせようとして、こわごわ過去の亡霊どもをよびいだし、この亡霊どもから名前と戦闘標語と衣装をかり、この由緒ある扮装と借り物のせりふで世界史のあたらしい場面を演じようとするのである。」
(Karl Heinrich Marx、市橋秀泰訳『Der 18te Brumaire des Louis Bonaparte(ルイ・ボナパルトのブリュメール18日)』(新日本出版社、2014.01)) 

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■今村の 越すに越されぬ バカの壁
http://yaplog.jp/akasyuri/archive/956

心理学の世界では有名な精神分析家フロイトは、 
「言い間違い」 について重要なことを発見したことを、体験から述べています。 

その重要な発見をした体験とはこんなできごとです。 

ある会議の場でのことでした。 
司会者が 「これから開会します」 と言うはずのところで 
いい間違えて 「これから閉会します」 と言ってしまったのです。 

このとき司会者はあわてて 「あ、開会です」 と仕切りなおし、 
その会議は何事もなかったかのように終わったのですが… 

ここまではよくあることのように思います。 
しかし、フロイトはこの言い間違いに注目したのです。 

「もしや…」 

会議終了後、フロイトは司会者に言い間違いについて詳しく尋ねたのです。 
すると彼はついに白状しました。 

「実は私、今日は早く帰りたかったんですよ、それでつい…」 

これを聞いたフロイトは大喜びだったそうです。 
そして、彼はこう結論したのです。 

「人間の言い間違いには、無意識の願望が表れている!」 


すなわちこの司会者は、 

「今日は会議だるいよ〜。どうせ何も決まらないんだろうし、やっても無駄でしょ? 
でもそんなこと言ったら怒られるし…。仕方ないからサクっと進行して、さっさと終わらせよう」 

といった感じで、自分の気持ちを抑圧していたので 
ふと意識が緩んだときに、「閉会します」 という言葉として、 
その気持ちが表れてしまったというわけです。 


またフロイトは、こういった無意識の願望が表れるのは言い間違いだけではなく、 
「忘れ物」 や 「行動の間違い」 など、人間のふとした行動にも当てはまると考えました。 

ほら想像してください。 
たとえば、会社勤めのサラリーマンが電車の中で 
「重要な取引書類を置き忘れた」 といった致命的なミスをしてしまうことがあります。 

これも実は、彼の意識の中に 

「この取引はうまくいって欲しくない」 
「どうせ俺の仕事なんてうまくいくわけがないんだ…。」 

という気持ちが隠されていて、それが無意識に行動に表れたと考えられるわけです。 

ほら、あなたにも、「もしかしてアレも…?」 と思い当たることがありませんか? 

僕がこのフロイトの考えを学んだとき、めちゃくちゃ疑心暗鬼にかかってしまいました。 

「いまの言い間違いは…!」 
「そ、その忘れ物は…まさか!?」 

まさに疑い状態が一人歩きしている僕がいました。 
そんな折に、ある女性がフラれた時、その友人が慰めでこんなことを言っていたこともありました。 

「たしかに見た目はカッコイイほうがいいけど、○○さんの顔は人間じゃないよ」 

……… 

(そりゃさすがに男のほうもフっちゃうよね、テヘッ☆ ) 
…って全然慰めになっていません。 
いえ、むしろ全否定された気分です。 

「○○さん、人間は顔じゃないよ」 と言いたかったのでしょう。 
この子はフラれた女性の顔をかわいくないと思っているんだな… 
とそのときの僕が考えていたことはいうまでもありません。 

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「実際にあった話である。  
誰でも知っている、ある有名なビール会社のパーティで、ビール発送用の箱を作っている下請会社の社長が挨拶しなければならなくなった。  
ところがこの社長、これも有名な商売敵のビール会社の名前をあげて、大声で万歳を叫んでしまったのである。  
全員がしらけてしまい、失策に気づいた社長は真っ青になった。  
あわてて「いやこれはどうも、ギャグが強烈過ぎましたようで」などと誤魔化し、改めて万歳をやった。  
なんということか。  
彼は二度目もまた、商売敵の会社の名前を大声で叫んでしまったのである。  
「もう一度やらせてください」と言って泣きわめく社長は、手取り足取り会場から連れ出された。  
こういうアホなことは、違った形で、さまざまな局面で、日常的に起〔原文ママ〕っている。  
(・・・)言ってはならない、言ってはならないと思っていながら一番強烈な表現でそのことを言ってしまう。  
こうした局面暴言は、それが言ってはならないことであることを本人が必要以上によく自覚している時に起〔原文ママ〕ることが多い。  
意識せずして言ってしまう場合より多いのである。意識的に、言ってはならぬ、言ってはならぬと自分に言い聞かせることによって、どうしようもなく言ってしまうのだ。  
これはつまり、潜在意識では、それを言いたいのだということになる。  
(・・・)言えば大変なことになることがはっきりしている以上は、それを言うことによって何らかの罰を受ける、その罰が望みなのだとも考えられる。  
むろん潜在的な望みである。  
潜在的な願望というのは、理性では計り得ない突拍子のなさを持っているので、真相はなかなかわからないが、例えば前記社長の例で言えば、疲れたので社長をやめたい、または会社を倒産させたいという願望があるのかもしれない。  
社員の中に気の食わない者がいて、そいつを路頭に迷わせたいという願望かもしれない。  
その他、もっと突拍子のない理由はいっぱい考えられるが、真の理由は本人ですらわからない。  
ある居酒屋で会社員何人かが談笑しながら飲食していると、あきらかに暴力団員とわかる数人の男が入ってきて近くに座を占め、食べものを注文し、酒を飲みはじめた。  
すると会社員の中のひとりが急に、暴力について話しはじめた。  
同僚がひやひやして、やめろやめろと目顔で教えるにかかわらず、この社員は話をやめるどころか、暴力団員のひとりの頬に傷があることを知りながら、頬の傷というものがいかに脅迫行為に役立つかについて話しはじめた。  
この会社員が同僚も含めてひどい目に遭ったことは言うまでもない。  
極端な例だが、これに近いことは誰しも酒席などでよく見かける筈だ。  
前述のような場合はもう、罰を受けたい、ひどい目に遭いたいというマゾヒスティックな潜在的願望があったとしか思えない。  
もしかすると殺されるかもしれない危険な言説であり、この願望には死への衝動つまりタナトスがかかわっているのだろう。」  
(筒井康隆『アホの壁』(新潮社、2010.02)pp.27-30)  
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