mixiユーザー(id:6279625)

2018年04月03日22:31

287 view

徐福

徐福

誰?

なんて思う人は日本人ではないのかも知れないし、原始の日本人なのかもしれない

縄文の時代に天孫人により突然文明が持ち込まれた

秦始皇帝の時代
策略に嵌められ何人も処刑に合うような暴君から逃げるように始皇帝を騙して不老長寿の霊薬を探す名目で少年少女約3,000人を連れて稲作と文明を日本にもたらしたのが徐福

高千穂の峯に降り立った
のではなくヒムカの国(現在の鹿児島と宮崎)へ
鉄を作る技術から治水技術、織物、稲作、そして忘れてはならないのが蘭を持ち込んだこと

蘭好きなら遠い国へ行く時に手持ちの中からこれはというものを持っていきたいと思うだろう
中国の漢詩人たちも瞑想に耽る時には香りの良い蘭を傍らに置いた
徐福研究をしている方が駿河蘭は福建の建蘭で三保の松原に徐福が持ち込んだと記していた
蓮弁蘭やミツバチを集めることが出来る金陵辺も当然持ち込まれたのだろう
養蜂の技術も秦の時代にあったのかもしれない

東洋蘭研究の本にも明の時代に書かれた書物に日本の蘭の項目があり、秦の時代に徐福によりもたらされたものとあり、現代の中国蘭界でも流行から外れなくなってしまったものが日本に古の品種として存在すると書かれていた

徐福がもたらした中国の古の品種が今も育てられているとは恐れ入る
それだけ強く枯れない植物なのだろう

先日、エビネ展で東洋蘭の一種の寒蘭を特価で販売していて残り4つの内の一つを選びに選んで一つ買うと残り全部持って行ってよといわれ、全部まとめて500円で引き取ったと
書いたが、その場所に30分くらいいたらしい
そして葉っぱ一枚一枚丁寧に長め、光に翳して病気のチェックや害虫のチェックなどもしていたが、店主は感心したらしい
育ててもらうならこんな人に育てられたいいと思い
全部預けたと後から聞いた

初めての寒蘭だが、寒蘭は把握した
そして鹿児島の販売店だから薩摩寒蘭と日向寒蘭を調べている時に徐福の記事に出会う

寒蘭→ヒムカ→徐福→ニギハヤヒ

蘭好きの遺伝子は長く繋がっているのかな


咲き始めのナゴランと花数の少ないナゴラン

それと咲き始めの Epc kyouguchi M sano

ナゴランとキョウグチは香りの審査でいつも上位にくる香りのエリート


フォト

フォト

フォト


4 2

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する