mixiユーザー(id:431351)

2018年03月28日17:56

162 view

死を肯定出来たとき

ずっと暗闇の中にいた。
抜け出すことは容易には出来ず、私は暗闇の中で音楽を聴くことも、文章を書くことも出来ず、ただときが過ぎていくだけだった。
mixiの日記は2015年5月で止まったままだった。
自分のサイトの掲示板とメールに返信するのがやっとだった。
両親を介護出来なかったと自分を責め、未来も希望もなくなった私は明らかに心のバランスを崩していた。
仕事に行かれない日々が続き、孤独に押し潰されながら、なんとか浅い息をして生きていた。
何もしたくないために時間が全然たたず、携帯で何とか相談所に電話する日々の繰り返し。

どうしよう、このままじゃ死んじゃう。
死んじゃったら、無になってしまう。

孤独と死への恐怖で、私の小さな心臓は破裂寸前だった。

しかし、突然光が射したのだった。
そのきっかけが何だったのかよく覚えていないが、とにかくまず仕事に毎日行かれるようになった。そうすると自然と生活のリズムが整い始め、自然と孤独を感じなくなっていった。すると、今まで聴けなかった音楽がすっと耳に入ってくるようになり、すっと文章を書きたい感情が湧いてきた。本当に約3年の年月がかかり、私は昔の自分を取り戻せることが出来た。

両親がもし亡くなっても、それは悲しいことであるけれど、今の自分はその悲しみを受け入れることが出来るのではないかと、思い始めた。何故なら両親は私の心の中で生きているから。無にはならずに、私の心の中に存在してくれる、そんな強い想いを感じることが出来た。

娘が赤ちゃんのとき、音楽雑誌を通じて私に音楽の文章を書くように促してくれた音楽仲間さんが、私よりも若い年齢でこの世を去った。そのときは、もういないんだな、と悲嘆に暮れたが、今はその友も私の心の中に存在してくれていることを感じられる。何故なら彼女の残してくれたメールの文章や日記の文章を私はいつでも紐とくことが出来るから。

心に光が射すようになってから、私は検索からある日本のバンドの映像に辿り着いた。そのバンドのライブに20代の自分が行っていたことも思い出した。長いときを経て、再び耳にしたそのバンドの曲はとても素敵に私の心に響いた。中でもリーダーでベーシストの男の子の魅力にすっかり取り込まれてしまった私は、やがて彼が3年前に病死していたことを知った。しかし、私の心はその死を知ってもなおついえることなく彼の魅力に取りつかれている。それはやはり、先ほど書いたように、私の心の中に彼が存在してくれているからである。

死を肯定出来たとき、私の心は暗闇から放たれた。

また音楽を聴くことを愛し、文章を書くことを愛おしく感じられる自分を取り戻した私は、毎日が楽しく充実している。
それには、あの辛い日々が必要だったのかもしれないけど。

フォト


16 5

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する