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2018年03月12日13:45

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西谷啓治の政治観−菅原潤著『京都学派』より

「西谷自身が言うように、神秘思想は脱俗的なものだから、現実にそっぽを向くのが神秘思想の当然の成り行きであるが、西谷は逆に、神秘思想の立場から世俗の倫理を批判する。とりわけ西谷が問題とするのは、ルネサンス以降の人間中心主義と、その帰結である民主主義である。人間中心主義であれ民主主義であれ、両者においてその起点となる人間の理性が自明視されていることに不満を抱き、西谷は、理性を否定するところに生の根源性を見出されることを強調する。なお民主主義に疑念を抱いている点では、西谷の政治観は《国体の本義》のなかで国体が民主主義と適合しないと論じた和辻哲郎と近似的である。」

上記は、菅原潤著『京都学派』(講談社現代新書)の「第三章 京都学派の展開」の一説である。

菅原潤著『京都学派』では、�犁�都学派�瓩髻△修竜�源から戦前の西田幾多郎、田辺元の確執、そして戦中の�犁�大四天王�瓩噺世錣譴神消�啓治、高山岩男、高坂正顕、鈴木成高の思想と言動、さらには戦後の京都大学人文科学研究所を中心とした�狄卦�都学派�瓩噺討个譴觚Φ羲圓燭舛泙任良�広い角度から論じた書籍である。

この新書の帯には「〈世界最高〉を目ざした最高の知性は、なぜ〈戦争協力者〉へと堕ちたのか」と書かれていた。この帯の文言はまさしく戦時中の西谷啓治、高山岩男、高坂正顕、鈴木成高が『世界史的立場と日本』と『近代の超克』の中で述べた、アジア・太平洋十五年戦争に�狹�学的意義�瓩鰺燭─�肯定したことを指すのであろう。

わたしが上に引用した一節は、わたしの恩師・西谷啓治先生の�狎�治観�瓩亡悗垢訖�原潤氏の見解である。

菅原潤氏が指摘されているように、ドイツ留学から帰ってきた西谷先生は、ナチス思想運動に陶酔していたと聞く。ナチス思想運動も民主主義を否定していた。その点に共鳴してのことなのか、西谷先生は留学から帰国後、ヒトラーの『我が闘争』を読むことを周囲に勧めたという。

「戦後に発表された《西田哲学と田辺哲学》(1951年)で西谷は、後期田辺が主張する〈懺悔〉が個人的な問題にとどまり、西田の主張する社会的認容の広がりが欠けていることを批判するが、同じことは、西谷自身の立場にも当てはまるのではないだろうか。」

西谷先生の政治観は、西谷先生が研究された神秘思想によるものだとも見受けられるが、菅原潤氏によれば、西谷先生もハイデッガーと同じく単なる�狎�治オンチ�瓩鵬瓩�なかったという。わたしには、この菅原潤氏の指摘に大いに合点がゆくのである。

西谷先生の�狹鎚嫖�学批判�瓩慮酸瑤砲蓮∪消�先生が書いた「ヒットラー運動の精神」等の、ヒトラーの『我が闘争』からの引用やナチス思想への賛美ということで、ナチスから迫害を受けたカール・ヤスパースと親交のあった田辺元との仲の悪化が一因としてあったのではないかと、菅原潤氏は書いておられる。

新書の帯にあった「〈世界最高〉を目ざした最高の知性は、なぜ〈戦争協力者〉へと堕ちたのか」ということであるが、菅原潤氏によれば、若き日の高山岩男と高坂正顕が弘文堂書房の「西哲叢書」に書いた『ヘーゲル』『カント』は�狎こ�最高水準の研究書�瓩箸気譴討い拭�

「けれども研究活動に脂の乗り切った時期にたまたま第二次世界大戦の勃発と重なったため、時流の渦に巻き込まれ、戦争協力をせざるを得ない状況に追い込まれた。このことが敗戦後厳しく追及され、京都学派の哲学は戦時中の負の遺産とされて長いあいだ顧みられなくなった。」

では、西谷啓治も高山岩男も高坂正顕も鈴木成高もなぜ戦争協力を行ったのか。その理由については、彼らは戦後何も語らなかった。ただ彼らが�狡觜饌膤悗龍鬼鵜瓩任△辰燭箸いΔ海醗奮阿法△錣燭靴燭舛郎2燭眞里蠧世覆い里任△襦�

このような�犁�都学派の哲学�瓩砲錣燭靴燭舛呂い�に向き合うべきであろうか。菅原潤氏は次のように書いている。

「京都学派の哲学者たちの戦争協力から、今日われわれが学ぶべきことは、彼らが主張した、寺領に乗った日本精神の正当化の論理は、端から破綻していたということである。彼らの言説は、むしろ西洋哲学的な文脈のなかにおける新たな理論として位置づけ直すべきであろう。」


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