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2018年03月10日03:45

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くんちぇ広場

避難生活支えたスーパー閉店へ
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=5020396


「くんちぇ」とは、客が来店する時の「ください」の方言なのですね。
ちょっとだけお洒落な外国語のような響き(ドルチェとかフィレンツェみたい)もあるし、それにさらに広場という言葉をつけたことで、親しみやすい店名になったと思います。
本当にくださいとおっしゃる方に色々なものをお売りになり、また、お金では買えないものも提供されたのではないかと思います。
震災にあった方々が交流しあう場所を作るというのは、とても大事なことです。
日本人、特に海岸沿いに住んでいらっしゃる方は、昔から魚を食べて生きてきました。
不安なときやイライラしているときにカルシウムをたくさん含んだ小魚を食べると気持ちが落ち着くとも聞きます。
震災で不安な日々を過ごしていた住民の方に鮮魚店の経験を生かし、目の前で魚をさばいて提供された三本木さんと吉田さん。
また、電話で注文をお聞きし、配達されたことやお店にないものは他のお店で調達された上での販売。
本当に避難生活を送るみなさんのために真摯に働いてらっしゃったんだと思います。

オープン当初は、1日150人の方がいらっしゃったということから、住民の皆さんがミニスーパーを待ちわびていらっしゃったことがよくわかります。
オープン理由自体が国からの要請によるものだったということです。
国が動いたということは、それだけ住民の皆さんが困っていらっしゃったのでしょう。

今後は、60代後半の三本木さんは、商売再開の予定は未定、57歳の吉田さんは、食堂を営まれる予定で、自宅再建を目指されるということです。

この記事を読んで、自分がもし同じ立場になったとき、何ができるか、ということを少し考えました。
私は、今のところ、魚をさばいたり、車を運転することはできませんが、それでも何か自分ができることで、誰かのために何かしたいです。

だって、お互い様ですから。
誰かが困っているときに助ける。
そして、自分が困ったときは、助けを求める。
もちろん、両方とも無理のない範囲で。

それがこの災害の多い国に生まれた日本人が築いてきた文化であり、歴史であるはずです。

最近、それが薄れてきていると感じることも多いですが、忘れてはいけません。

それを思い出させてくださった三本木さんと吉田さんに感謝の気持ちを述べて結びたいと思います。

改めて、三本木さん、吉田さん、ありがとうございました。


追伸
タイトルをくんちぇ広場にしてから思ったのですが、オープン当初の2011年10月。
震災から半年あまりのこのとき、もしかしたら、「下さい」と言うことに勇気が必要だったのかも知れません。
寄付をする人もたくさんいたでしょう。
仮設住宅もできました。
震災でたくさんのものを失った中、与えられたものも少しはあったはずです。
そんな中で、あるいは、「下さい」ということが躊躇われた時期でもあったかも知れません。
だからこそ、敢えて、「下さい」を馴染み深い方言にした「くんちぇ」を店名に入れた…。
私には、そんな気が少ししました。
本当のところは、どうか分かりませんが、くんちぇ広場というお店にもありがとうと言いたいです。
「くんちぇ広場」は、有り難い場所でした。

そういう場所が日本に世界中に増えますように。
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